小学校の頃、よく先生から「学校行事も含めて何事も一生懸命取り組みなさい」と言われました。
しかし、なぜ何事も一生懸命取り組まなければならないのでしょうか?
当時、先生方からは「大人になれば分かる」などと言われていましたが、35歳になっても全く理由が分からないのでインターネットで調べてみたところ、Yahoo知恵袋などで「なぜ学校行事は強制なのか?」と質問をしている人を見つけました。
回答を要約すると以下の3つです。
回答1:学校行事も授業の一環だから
回答2:嫌なことに慣れるべきだから
回答3:学校教育を通じて協調性を身につけるべきだから
などという回答が並んでいました。
学校行事の強制参加について - 体育祭や合唱コンクールなどの参加は... - Yahoo!知恵袋
全て意味不明なので1つずつ反論していきましょう。
回答1:学校行事も授業の一環
確かに「学校行事も授業の一環」とはよく聞きます。「授業の一環」という名目で放課後や休日まで学校行事の準備を強制させられ、とても理不尽に思いました。
もちろん、私も全ての学校行事が嫌いだったわけではなく、文化祭や遠足は好きでした。しかし学芸会や運動会は嫌いだったので、文化祭は一生懸命やりましたが運動会は手を抜いてました。今振り返ると、嫌いな学校行事は手を抜いて大正解でした。しかし当時は優等生思考だったので、運動会に対して一生懸命になれない自分に罪悪感を持っていました。
この「学校行事も授業の一環なんだから一生懸命やりなさい」考え方は、「飲み会も業務の一環なんだから積極的に楽しみなさい」という謎の日本企業文化に似ていると思いませんか?
前職の上司は「部署の飲み会も業務の一環」と主張していました。本当に業務の一環なら飲み会費用の全額会社負担はもちろん、飲み会の時間分だけ残業代を支払うべきですが、残業代が出ないのはもちろん参加費用も自腹でした。
残業代も参加費用も出ないということは自由参加のはずですが、だからと言って飲み会を毎回欠席すると「コミュニケーションの円滑化に飲み会は重要だ(要は「空気読め」)」などと訳の分からない説教をされます。
時には「飲み会への参加を嫌がる人は成長意欲がない」などと言われることもあります。もちろん、飲み会へ行って親睦が深まり、業務にプラスになることもあるでしょう。しかし、どこまで成長したいのかは本人の自由意思によるべきで、「飲み会へ行ってまで成長したいとは思わない」という考えもあると思います。
もちろん給与を頂いてるので業務をサボったら減給や解雇という話になりますが、仕事をきちんとしているのに「飲み会への参加を嫌がるような成長意欲の低い姿勢は道徳的に問題だ」などと言われる筋合いはないです。
「業務の一環なら、正式に飲み会参加の業務命令をして残業代も払うべきでは?」と言うと「屁理屈を言うな」などと怒られます。
しかし「業務内なのか、業務外なのか」という線引きは極めて重要です。この境界が曖昧になると無限のサービス残業地獄からの過労死・過労自殺という結末が待っています。
子どもの頃から「授業だけでなく、部活も遠足も行事も全校集会も、全部授業です。だから一生懸命やりなさい」なんて言われ続けていたら、過労死の未来しか見えないでしょう。
家庭生活でも会社生活でも、「境界を死守する」という覚悟が幸せに生きるためには非常に重要です。たとえパートナーであっても自分の境界を踏み越えてきたら拒絶しなければなりませんが、ましてや上司や会社なんて絶対に踏み越えさせてはいけません。
子どものうちに身に着けるべきスキルは、教師や同級生が何と言おうが、どんなに冷たい視線を投げつけられようが、周りの視線を無視して手抜きをする「嫌われる勇気」と「孤独を貫く覚悟」だと思います。
日本の学校教育は同調圧力が半端ではないので、もしその環境で本当に自分らしさを貫ければ逆説的に「自分らしく生きる力」がメチャクチャ身につく環境だとは思いますが、少しストイックすぎるように思います。
多くの人は同級生や先生からの無言の同調圧力に屈することができず、サービス残業への道を歩むことになってしまうと思います...
回答2:嫌なことに慣れるべき
この回答があまりにも多いので驚愕しました。確かに、社会に出てから嫌なことはたくさんあります。私も仕事をしていてもちろん嫌なことが色々あります。
しかし、社会に出てからの嫌なことというのは「生活のため」とか「給料のため」と割り切れるところはあります。また、そもそも「自分が本当にやりたいことのために必要だ」と納得できればまだ嫌なことでも割り切りができるのではないでしょうか?
一方、義務教育時代の嫌なことというのは、何のためにやっているのかが本当に分かりませんでした。
大人になってから履歴書に書くのは「〇〇高校卒業」「〇〇大学卒業」ということだけで、中学校の運動会の練習をサボったところでそんな記録はどこにも残りません。
大学に入ると、「単位さえ取れれば卒業できるから、必要単位を超える部分については特に頑張らなくて良い」という明確な線引きがあるのでまだマシなのですが、小中学校の理不尽さは尋常ではなく、「卒業に必要」という明確なモチベーションもないまま「何事も一生懸命にやらないと社会に出てから苦労します」という謎の脅迫をされ続けます。
もちろん先生も、子どもを不幸のどん底に陥れようと思って不安を煽っているのではなく、本当に心配して言っているのだと思います。しかし残念ながら、不安を煽る先生は社会のことを知らなさすぎるという印象です。
社会人の場合は職業や会社を選べますし、どうしても耐えられなければ転職という選択肢もあります。
一方小学生は簡単に転校することができません。住む場所についても親の仕事の都合に依存するので、好きな小学校へ入学してそこへ引っ越すという選択肢はありません。これは当たり前のことではなく、どちらかと言うと異常事態です。
私は、小さい頃から嫌いなことを我慢して頑張る習慣が身につくと、逆に自分が本当にやりたいことや好きなことを見つける力が失われ、本当に社会へ出てから苦労してしまうのではないでしょうか?
特に今の時代、得意なこと、好きなこと、稼げることさえ見つけられれば、嫌いなことや理不尽なことは避けて通れます。
やりたいことを見つけるというのは大変なことだからこそ、子ども達には「嫌いなことを我慢して頑張る習慣を身につけなさい」ではなく「本気で打ち込めることを見つけるのは大変なことだから、嫌いなことは無理をせず、本気で打ち込めるものを見つけてください」と伝えたいです。
回答3:学校教育を通じて協調性を身につけるべき
社会人になったら、嫌いな人とプライベートで関わる必要はありません。 嫌いな友人との関係は全員切ることができますし、極端なことを言えば親戚や親との関係も切ろうと思えばできます。近所付き合いが嫌なら引っ越しをする自由もあります。
仕事では確かに嫌いな人とも付き合わなければならないですし、チームワークも必要になります。しかし、仕事での人間関係というのはまず「この仕事を完成したい」というのが先にあって、そのために人を集めて協力するという順序ではないでしょうか?
職場での人間関係には利害関係があるので、必要とされる人であれば相手もあまり酷いことはできないはずです。もし職場で理不尽なことをされるのであれば転職を検討する自由がありますし、どうすれば転職市場で価値を上げられるか研究することもできます。
もし職場でイジメやパワハラを受けるのであれば、「どうすれば嫌いな職場の同僚と仲良くできるか?」を悩むよりも、「日本には何百万社も会社があり、世の中には転職している人も大勢いるのに、なぜ自分はこんなクソみたいな会社にしがみついているのか?」を考えた方が良いです。
本気で売上や利益を上げて成長している会社はイジメなんてしているほど暇ではないので、職場でイジメが発生するほど暇な会社にしがみついていても将来はないです。
嫌いな人と無理して付き合うことに慣れると、「本当に信頼できる人を見つける力(人を見抜く力)」が鈍くなります。
結局、学校行事はどう考える?
小さいうちに様々な経験して「これが好き」「これは嫌い」という感覚を掴めば、好きなことを見つけるのに役立つかもしれません。
従って、学校行事が無駄だとは全く思いません。
しかし、その学校行事が好きかどうかは感覚で分かることなので、嫌いだと分かっている学校行事まで一生懸命に取り組む必要はないと思います。
学芸会なども、一応参加して演劇に興味がなくて嫌いなことさえわかれば、あとは適当に手を抜いた方が良いと思いますし、嫌いだと確信したなら、欠席できるなら欠席で良いと思います。