「価値観が合うなぁ」と感じていた既婚女性の友達が急に離婚して、「離婚したなら付き合いたい」という気持ちが生じました。

 

普通の人は、「付き合えるかも?!」と思ったらワクワクしたり喜んだりすると思うんですけど、昔から恋愛依存症の傾向がある僕は苦しくなってメンヘラになりました。

 

今までは普通に友達として接してて、相手の欠点も普通に分かっていました。

 

「価値観は合うけど、もしこの人がパートナーだったら、こういう点は苦労しそうだなぁ」というのも普通に分かりました。

 

LINEの返信はもともと遅い人で、時には1週間くらい放置されて、まとめてドカンと長文のLINEが来ることも何度かあったんですけど、前は全く気になりませんでした。

 

なんなら、こちらが返信を忘れて放置していたこともあるし、向こうから返信が来なくても私が忘れていて、久しぶりに返信が来たら「なんの話だっけ?」と思うこともありました。

 

ところが、あちらが離婚してから異性として意識してしまうと、返信が遅いだけで

 

「なんかマズいことを言って嫌われたのかな?なんでインスタのストーリーズを更新する暇があってLINEの返信をしてくれないんだろう・・・」

 

という典型的なメンヘラ束縛男みたいな思考になってしまいました。

 

さすがに追いLINEは控えているし、向こうは本当に何とも思ってないと思うけど、不眠症になってしまった自分のメンタルをどう改善するかが問題です。

 

問題は、一人の時間を充実させられていないことなんですけど、僕自身が離婚してからずっと一人の時間は楽しく過ごせて来れたのに、その女友達が離婚してから急にメンヘラになってしまって困りました(向こうは何も悪くない)。

 

とても話が合う人で、飲みに行ったり電話したりすると毎回6時間以上話し込んでしまうくらい気が合うし、理想のライフスタイルとか、お金の使い道とかも一致してると思うし(向こうもそう言ってたし)、恋愛の話や夜の生活の話もするくらいだったから、本当に気は合うと思います。

 

これから独身同士になるならアプローチするのは自由だけど、僕は完全に「お友達ゾーン」に入ってしまっているから、ここから異性として意識してもらうのは大変だろうと思います。

 

でも、僕も彼女のことを友達として認識していたのに、急に異性として意識するようになったのだから、逆もあるかなと期待してしまいますね。

 

そして、こういう期待をしてロクな結果になった試しがない。

 

昔から恋愛依存症なので、好きな人に執着して相手の欠点が見えなくなる(相手を理想化してしまう)のは何度も経験があるのですが、今まで何とも思ってなかった人のことを急に異性として意識するようになったのは生まれて初めてのことなので、「恋愛モードに入ると、こんなに頭がおかしくなるんだ」と学べたのは良かったです。

 

学べたのは良かったものの、とはいえ日々のメンヘラが治るわけではないのでどうしよう・・・

 

小学生の頃から悩みのレベルが全く進化してなくて絶望しかありません。

 

小さいころは、「大人になれば恋愛で悩むこともなくなるだろう」と思ってたし、「結婚すれば恋愛で苦しむことはないだろう」と思ってたけど、結局バツイチになって振り出しに戻ってしまいました。

 

この先、再婚しても離婚を繰り返して70代になっても恋愛依存症で悩んでそうな予感もするけど、それはそれで良いと思っている自分もいます。

 

お金や友達の分野では「引き寄せの法則」をうまく使いこなせるようになったけど、恋愛だけは苦手ですね...

アメリカやイギリスで生まれ育ったら、何の苦労もなく英語を話せて、自由に世界旅行や海外就職もできて、もっと人生が楽だったんじゃないかと思う人がいますけど、そんなことないです。

 

英語を話せる人は世界中にいるので、世界中の人と闘わなければなりません。

 

インド人なんてまだ平均年収が20万円くらいですし、英語を話せるエリート層でも年収150万くらい出せば英語がペラペラで優秀な人を雇えます。

 

シリコンバレーのエンジニアが、インド人の優秀なエンジニアに仕事を奪われて失業したなどという話も20年前くらいによく聞きました。

 

発展途上国では、英語がペラペラで優秀な人達が大勢いるので、英語圏の人達はその人たちと勝負しなければなりません。

 

日本の場合、まだ英語を話せなければ生きていけないほど貧しくはなく、日本語だけで生活ができ、日系企業もそれなりに世界で活躍していますので、日本語でも仕事があります。

 

日本語を話せる人はとても少ないので、日本語の壁に守られてある程度の仕事があります。

 

ただベトナムやインドネシア、中国などへ行くと、日本人より優秀で日本語ペラペラな人達が低賃金で働くので、少しアメリカと似たような状況ではあります。

 

東南アジアの賃金も上がってきてますが、シンガポール以外はまだ日本よりは少し安いです。

 

「人生は配られたカードで勝負するしかない」と言いますが、どんな環境で生まれ育っても何かしらメリットはあるはずなので、そこを見つけて勝負するしかありません。

女性が男性を煽てる手法としてよく聞くのが「さしすせそ」で

 

さ・・・さっすがー

し・・・知らなかった―

す・・・すごーい!!

せ・・・センスあるぅ!

そ・・・そうなんだ!!

 

ですね。

 

確かに、女性にこれを言われると弱い...

 

まだまだ自分で自分を認められず、自己肯定感が低いから、女性からの承認を求めてしまいますね。

 

でも、キャバクラで一方的な自慢をして、キャバ嬢から「すごーい!!」って言われて悦に入っているような、痛いおじさんにはなりたくないという気持ちもある。

 

さすがに、本音と社交辞令の違いくらいは見抜ける...と信じたい。

 

ではどうするかと言うと、女性から本音で「すごーい!!」と言ってもらえるくらい自分磨きをする。

 

究極的には、「女性から『さしすせそ』なんて言われなくても、自分で自分を認められるし、十分幸せです」と思えるようになりたい。

 

メンタルが安定している時は大丈夫だけど、弱ってメンヘラになった時にまだまだ女性依存が発症するのが良くない。

 

女性依存というのは、女遊びするという意味ではなくて、「女性に癒してもらいたいけど、今それができないからメンタルが凹む」という精神状態になることですね。

 

メンタルが弱ってる時に夜のお姉さんのお店に行ってしまうと、ますますどんどんメンタルが落ち込んで立ち直れなくなってしまうので、誘惑はあるけど踏みとどまらなければいけない。

平日は仕事がそれなりに充実していて、週末は読書や旅行をしたり、散歩したり、友達と会ったり、それなりに充実しているのですが、夜になると急に寂しくなるんですよね。

 

昔から、布団に入って寝る前の時間が憂鬱です。

 

夜に「あー今日も疲れた~ゆっくり寝よう」と、前向きな気持ちで寝られた試しがないですね。

 

寝る時が後ろ向きだから朝も憂鬱で、家を出てやっと前向きになるという感じです。

 

「誰か一緒に寝てくれる人がいたらなぁ」と思うこともあるのですが、結婚していた時は独身の今よりも孤独感が強かったので、相手の問題ではなく自分の気持ちの問題だと思いますね。

 

「誰かが自分の寂しさを埋めてくれたら、寂しくなくなるんだけどな」という、他人に自分の寂しさを埋めてもらう発想が、寂しさを生み出す原因ですね。

 

自分でも分かっていて、悩んでいる暇があったら瞑想でもして自分と向き合う時間を作る方が良いのですが、気がついてみたら夜ベッドの上でマッチングアプリを眺めてますね。

 

「瞑想なんかやってもどーせ変わらない」というエゴが潜在意識に入っているかも知れません。

 

でも、今は本気で出会いを求めているわけではなくて、新しい出会いを探すよりも自分の時間を充実させたいし、独身の間しかできないことをやり尽くしたい。

 

実際、結婚してた頃は「独身だったら○○できるのになぁ」ってずっと思っていた。

 

だから昼間の時間を使って本気で出会いを探す気にはならないし、そこに時間を使うのは3年後にしたいと思っているのですが、なんか夜になると寂しくなるんですよね。

 

夜はインターネットを遮断して呼吸に集中するよう努めたい。

毎日3食ガッツリ炭水化物と油の塊を食べて遅くまでアルコールを飲み、運動をせず遅くまでスマホを見て休日は昼過ぎまで寝ている・・・

 

そんな不摂生な生活をしていたら、周りから「そんな不健康な生活をしていたら将来後悔するよ!」と言われてしまうかも知れません。

 

しかし本人は「まぁ大丈夫でしょう」と言って危機感がなく、40代を過ぎてから健康診断結果に青ざめ、60代以降に糖尿病になって後悔する人は多いと思います。

 

この一連の流れが何かに似ていると思ったら、子どもの勉強です。

 

元気な20代や30代に飲み歩いていても危機感を持てない社会人と同じく、勉強しない子どもに向かって「勉強しないと後悔するよ」と言ったところで危機感は持てないでしょう。

 

私は「健康に悪いジャンクフードを思いっきり楽しもう」という記事で、楽しいことをしていれば自然と健康に気をつけることになるので、まずは人生を楽しむことが大切なのではないかと書きました。

 

 

 

不満とストレスだらけでイライラした人生を送っていても長生きしたいと感じられないので、まずは楽しいことを見つければ「この人生を長生きしたい」と思って自然と健康に興味を持つようになるのではないかと考えています。

 

子どもの勉強も同じで、もし「どうして勉強しないといけないの?」と質問する子どもは、ガリガリと勉強する前に本気で楽しめる遊びを見つけるのが先かもしれません。

 

子どもによって、絵を描くことなのか、スポーツなのか、それとも外出なのかは分かりません。

 

もし絵を描くのが本当に好きな子なら、「ずっと絵を描くには、自分で絵の仕事を取ってくるスキルが必要で、そのためには国語ができる必要がある」と、そこまで考えられなくても自然と勉強にも興味を持つのではないかと思います。

 

それでも勉強がつまらないなら先生の教え方が悪いだけかもしれませんが、今は真剣に学びたければYouTubeでいくらでも優れたコンテンツがあるので、本人に勉強する気があれば対策はできるかと思います。

 

しかし子ども本人に学習意欲がなければ、どんなに優れた先生がいても意味がありません。

 

仕事と自宅の往復でストレスフルな生活を送るサラリーマンが「健康に気をつけて、この人生を楽しみたい」と感じられないのと同様に、毎日学校と塾と自宅の往復で楽しいことが分からない子は「色々学んで、この人生を楽しみたい」という意欲がわかず、勉強する気が起きないはずです。

 

自然と学習意欲が湧かないのに親や先生の期待に応えて勉強を頑張り切ってしまう子はとても危険で、大学に合格してから鬱になったり、社会人になってから過労で倒れてしまうかも知れません。

 

私は東京大学経済学部卒なのですが、大学に入ってから学習意欲を失って鬱になって退学をしたり、自殺をしてしまった同級生もいました。

 

せっかく頑張って勉強をして東大まで入ったのに、何のために生きているのか分からなくなり命を失ってしまったのでは悲しすぎます。

 

逆に、テストが0点でも楽しいことがあれば人生は何とかなると思います(特に今の時代は)。

 

不摂生な生活を送って中年を迎え糖尿病を迎えた人は、若い頃の不摂生を後悔するかもしれませんが、そこで人生終わりではないでしょう。

 

ある糖尿病患者の人から、病気になってから「生きているのが当たり前」ではなく「生きられるだけで感謝」と考え方が変わり、日常のささやかなことに感謝して幸せに生きられるようになったという話を聞いたことがあります。

 

確かに小中高生の間に勉強をサボっていたら社会人になってから苦労して後悔するかもしれませんが、社会人になって本人が困ってから本気で勉強を始めても遅くはないと思います。

 

親は「子どもが引きこもったらどうしよう」と不安になってしまうのだと思いますが、親がすべきことは先回りして子どもの将来を心配することよりも、子供が学校を卒業したら家から叩き出して強制的に自立させる覚悟を持つことではないでしょうか(子どもが出ていかないなら親が出ていくしかないと思います)。

 

引きこもっている子の親の様子を見ていると、子どもの心配ばかりしていて子どもを手放す覚悟ができていない気がします。

 

今の時代は本人にやる気があれば無料で勉強できるコンテンツが山ほどありますし、IT業界を中心に学歴を気にせず本人のやる気次第でキャリアを構築できる世界もあります。

 

確かに、社会人になって苦労してから「もっと若いうちに勉強をしとけばよかった」と後悔するかもしれません。

 

しかし、子どものうちに楽しいことを見つけられず勉強だけ頑張って、大人になってから「楽しいことや好きなことが分からず、勉強も仕事も大変なことばかりで、何のために生きているのか分からない」と感じてしまう方が遥かに深刻で、回復にも時間がかかります。

 

なので「子どものうちに勉強と遊びのどちらが大事か?」と聞かれれば、どちらも大事ですが遊びの方が優先順位が高いと思います。

 

健康第一と言いますが、健康だけど退屈でツマラナイ人生を無気力に送っているより、多少不健康でも好きなことに打ち込んでいる方が幸せではないでしょうか?

 

それと同じで、子どものうちは色々遊んで経験して「楽しい」と思えることに出会えるのが最も大切で、その楽しいことを追求するために勉強が必要だということを子供に納得してもらった上で勉強も頑張る必要があるのかなと思います。

 

ただ子供の「楽しい遊び」にも注意が必要です。

 

スマホ、ゲーム、アルコール、ドラッグ、たばこ、セックス、ギャンブル、砂糖などドーパミンが出る系のものは依存しやすいので、スマホやゲーム依存症でドーパミン漬けになっている状況を「楽しい」と勘違いしてしまうと深刻だと思います。

 

ドーパミンではなくセロトニンがでるような楽しい遊びを見つけることが必要です。

 

本当にゲームを楽しんで極めているのか、楽しい遊びが見つからないからゲームやスマホに依存しているのかは見極めが必要だと思います。

 

親が仕事で忙しいと子どもに様々な経験を積ませる機会を作るのも難しいのかも知れませんが、隙間時間で一緒に楽しめることを見つけられたら良いですね。

小学生の頃、テストで間違えると親や先生から「次に同じ間違えをしないように、間違えたところを復習しなさい」と言われました。

 

たとえ90点であれ99点であれ、100点でない限り改善の余地があり、90点に甘んじず改善していくことで成長するという考え方でした。

 

しかし社会人になって振り返ると、子どもに100点を目指させることはメリットよりもデメリットが多いように感じます。

 

最大のデメリットは、欠けているところや足りないところばかりに注目して、何事にも満足を感じられなくなることです。

 

まず、社会人になってから、生活であれ仕事であれ100点満点を取る必要はありません。私の感覚では何事も60~80%くらいできていれば大丈夫です。

 

0点から60点に伸ばす労力より、90点から100点に伸ばす方が大変です。

 

人間的に成長するとは、90点から100点に伸ばすことではなくて、「時間と労力をかけてまで100点を目指す価値があるのか?」という視点を持つことではないでしょうか?

 

会社の仕事だって、無限に時間をかければ質の良いものができますが、そこまでのコストをかけてまで品質を上げる必要があるのか?は常に考えなければなりません。

 

子どものうちから遊ぶ時間を犠牲にしてまで100点を目指してしまう癖がついてしまうと、無限の残業を強いるブラック上司になってしまうでしょう。

 

個人的には、70点くらい取れたら復習なんかせずに遊んでて良いのでは?と思ってしまいます。

 

もし子ども自身が100点を取ることをゲームとして楽しんでいたり、子ども自身が100点を取らないと気が済まないという性格であれば全く問題ないでしょう。

 

本人の気が済むように100点を目指してもらえば良いと思います。

 

例えば外科手術を担当する医者とか、飛行機の整備工など、絶対に失敗が許されない完璧主義の性格が求められる職業もあると思うので、子ども自身がもともと完璧主義なら無理に変える必要はないと思います。

 

しかし、本人が70点で満足しているのに親や先生が100点を目指させてしまうと、「70点しか取れない自分はダメなんだ」と自信を失ってしまって弊害しか生まないでしょう。

 

実際には、15時間かけて100点を取るよりも5時間をかけて70点を取って残りの時間で他のことをできる子の方が評価される世界もあります。

 

日本人は「文法を間違えてはいけない」と構えてしまうので英語を話すことができず、「伝わるなら間違えても良いから喋ってみよう」と考える中国人やインド人よりも英会話力が劣ってしまうというのは有名な話です。

 

極論を言うと、たとえ全科目0点でも本人が「何とかなる」と思っていれば何とかなってしまうものだと思います。

昔から私は「どんなスキルでも、きっとどこかで役に立つ」と考えてきました。

 

10年以上も前、ある友人から「何もしないでボーっとすきるのが得意なんだけど、そんなスキルは役に立たないでしょ?」と言われたことがあります。

 

当時は「きっと役に立つと思うけど・・・」としか言えませんでした。

 

それ以来、ボーっとするスキルがどこで役に立つのか、ずっと世の中を観察してきました。

 

あるとき、仕事でインドへ行った時のことです。

 

インドは携帯電話のアプリでタクシーを呼んで移動するのが一般的なのですが、タクシーを手配しても勝手にキャンセルされたり、1時間以上も待たされたり、突然携帯電話の電波が圏外になってタクシーと連絡を取れなくなったりします。

 

タクシーで移動するだけで膨大な時間を浪費するため、大多数の日本人はイライラして耐えられないのですが、「ボーっとするのが得意な人」はここで力を発揮します。

 

「インドではイライラしたら負け」と言われるのですが、周りをイライラさせられる性格の人の方がインドでは勝ちます。

 

英語を話せず大したスキルがない人でも、「日本語ができてインド生活に耐えられる」というだけで、現地人の5倍くらいの給料でインドで仕事を見つけることができます。

 

「よく同僚や上司から怒られるが、なぜ自分が怒られるのか全く分からない」というタイプの人は日本では煙たがられるのですが、インドではその鈍感力を最大限に活かすことができます。

 

インドまで行かなくても、地方の博物館などへ行くと客が終日誰も来ないような受付でひたすら座らなければならないような仕事がたくさんあります。

 

世界は広いので、誰でも力を発揮できる場所がどこかにあるのは間違いないです。

 

なので、学校でイジメを苦に自殺するくらいならとりあえず不登校になった方が良いし、不登校で落第になってもどこかしら生きる道はあるはずということを多くの小中高生に伝えたいです。

 

大学生の頃、不登校の子の家庭教師を担当していたのですが、お母さんが毎日「このまま不登校だと落ちこぼれる。大変なことになる」と騒いでいました。

 

「勉強ができなかったり不登校になったりすることより、不安を煽って『自分はダメだ』と委縮しちゃう方がよっぽど大変なことになると思います」とお母さんに伝えたのですが、私の人生経験がなさ過ぎて説得できませんでした。

 

今だったらもう少し人生経験を踏まえて話ができるかも知れないのですが、「勉強ができないと人生終わる」というお母さんの思考は変えられないかも知れません。

人生は常に

 

1. 安定して安心だけど退屈で不満がある選択肢

 

2. ワクワクするけど不安な選択肢

の2つから選ぶことを迫られます。

 

離婚すると自由になれるけど不安

結婚を維持すると安心だけど不満

 

疲れる人と友達関係を続けるのは楽だけど不満

疲れる人と縁を切るのはワクワクするけど不安

 

転職や企業をするのはエキサイティングだけど不安

今の会社で働き続けるのは安定して安心だけど不満

 

ずーっと「安心だけど不満」の選択肢を選び続けていくと、退屈で不平不満だらけの人生になります。

 

一方、不安の方を選んでいくと、意外と何とかなります。

シンシナティ大学のロバート・リーヒは『不安な心の癒し方』のなかで、不安の殆どは実際には起こらないと書いています。

 

不安の方を選ぶと、ワクワクしているので、不安を解消するために全力で対策をします。

その結果、不安が解消されていきます。

一方、不満の方を選ぶと心のエネルギーが消耗されるので無気力になっていきます。

 

とはいえ、「不安はあるけど、ウクライナに義勇兵として参加してみよう」と考えるのは無鉄砲すぎますよね。

不安がある場合には、情報収集をして不安を具体化していって、最悪のケースを想定して受け入れられるかどうかで判断するのが良いのではないでしょうか?

 

例えば、転職や起業で失敗しても再就職すれば良いですし、日本には失業保険や生活保護もあるので、最悪のケースでもなんとかなるはずです。

一方、ウクライナに義勇兵として参加してしまったらロシアに拷問されて酷い手段で殺害されてしまうかも知れません。

その最悪のケースでもOKだという人のみ参加できます。

 

大抵は不満と不安の選択肢で悩むことになりますが

 

1.情報収集して不安を具体化する

2.最悪のケースを考える

3.最悪のケースを受け入れられるなら不安の方にチャレンジしてみる

 

と考えればOKではないでしょうか?

 

 

普通の人は、学校や職場で素敵な人と巡り合って気持ちがトキめいて恋愛関係になります。

 

ところが、「恋愛依存症」と言われる人たちはそのような流れで恋愛をしません。

 

恋愛依存症の人達は、まず「恋愛しないと落ち着かない」という不安が先にあり、その不安を静めるために「好きになれる」人を見つけて恋愛をします。

 

ここでいう「好きになれる人」とは「自分の気持ちの穴を埋めてくれる人」です。

 

お酒を飲んで「美味しい」と幸せを感じられる人はアルコール依存症ではなく、「お酒を飲んでも幸せは感じられないが、飲んでいないと不安でイライラする」という人がアルコール依存症です。

 

恋愛も同じで、健全な人は「このパートナーと一緒に居られて幸せ、別れたら悲しい」と感じます。

 

ところが恋愛依存症の人は1人でいることに耐えられないので、付き合っている間も「振られたらどうしよう。浮気してるんじゃないか」と不安が強くて幸せを感じられず、別れたら「自分の存在を否定された」と絶望します。

 

まるでアルコール依存症の人からお酒を奪ったかのような反応を示します。

 

健全な人は、次に好きな人が見つかるまで1人の時間を楽しみますが、恋愛依存症の人は「誰か私の心の穴を埋めてくれる人は他にいないか」と次の依存対象を探します。

 

失恋したタイミングで上辺だけの優しい言葉をかけてくれる不誠実な人に引っかかってしまうタイプの人です。

 

健全な人は、1人の時間でも100点満点の幸せを感じられて、そのうえで「この人と一緒になって、1人では味わえない経験や感情を楽しみたい」と考えます。

 

しかし恋愛依存症の人は「1人でいると0点の人生だから、素敵なパートナーが私の人生を100点にしてくれないかな」と期待します。

 

私の場合、母がとても厳しく、無条件に愛された感覚を持てなかったので、無意識で自分のことを無条件に受け入れてくれる女性(つまり母親代わりの女性)を探していました。

 

また1人っ子なので、「結婚して家庭を築かなければ天涯孤独で孤独な老後を送り、1人暮らしで亡くなっても誰からも気づかれず、異臭に気づいた近隣住民に通報されて発見される」という将来を想像して不安になっていました。

 

そういう不安を埋め合わせるために、素敵なパートナーが自分の不安を埋めてくれることを期待して恋愛をしていました。

 

期待された方は重いので、恋愛がうまくいくはずありません。

 

振られると「誰か他に自分を受け入れてくれる女性はいないかな」と探し始めます。とても危険な状況です。

 

恋愛依存症の人の特徴として、異性(性的指向によっては同性)からちょっと優しくされるとすぐ好きになってしまいます。

 

振られ続けますが、たまに付き合ってくれる女性がいます(今振り返ると、そういう女性も気持ちに穴が空いていて「誰でもいいから気持ちを埋めて欲しい」と考えていました)。

 

モテる男女が色んな人と恋愛を楽しんでいるのとは少し違って、毎回とても必死で、恋愛依存症だった私は振られると自分の存在が否定されたと感じて、どん底まで落ち込みます。

 

お互いが恋愛依存症同士だと、相手に「自分の気持ちを埋めてもらうこと」ばかり求めてしまうので、よくトラブります。

 

「私のことを好きなら、このくらいやってくれるよね?」と試し行動をしてしまい、要求に応えてくれないと「やはり私を受け入れてくれる人はいない」と自己嫌悪に陥ります。

 

恋愛依存症の人は恋愛依存症のパートナーを引き寄せやすい(不安型が回避型を引き寄せる)ですが、そういうパートナーは上辺だけ優しいことを言ってくれます。

 

パートナー自身も嫌われるのが怖いからです。

 

しかしパートナーも本音は「自分の心の穴を埋めて欲しい」なので、上辺だけ優しく取り繕っていても、無限に期待に応えてあげられるわけではありません。

 

勝手にパートナーへ期待をして、パートナーが期待に応えてくれないと勝手に怒り出します。

 

ストーカーやセクハラをする人の思考もこの延長線上にあります。

 

ストーカーやセクハラをする人のことは1ミリも擁護できませんが、残念ながら私もストーカーやセクハラをしてしまう人の心理は少し理解できます。

 

私は25歳で結婚したのですが、結婚を転機に少し変わりました。

 

結婚をすると妻以外との恋愛が封じられるので、妻以外の女生徒に対して「自分のことを男性として受け入れてくれるのか?」という謎の期待を持つことなく友達としてフラットに接することができます。

 

そうすると、自然と女性の友達もどんどん増えていき、今まで味わったことのない安心感を覚えました。

 

「恋愛をしなくて良い」という状況が安心感に繋がったので、もともと恋愛をしたくてしていたわけではなく、不安を埋め合わせるために恋愛をしていたのだと気がつきました。

 

結婚も同じで、1人でいることへの不安を埋め合わせるために結婚したのだと10年間の結婚生活を通じて学びました。

 

それを学ばせてくれた元妻には感謝していますし、離婚後も友達として親しくしています。

 

自分自身で自分の心の穴を埋められないから「寂しい」と感じてパートナーを求めてしまうのですが、私のようにわざわざ結婚までしなくても、自分の心の穴は自分で埋めることができます。

 

逆に、自分の心の穴は自分以外で埋めることはできません。

 

心の穴を埋めようとしてくれる人が現れる場合もありますが、その人にとっても負担になるので結局埋めることはできず、共倒れになります。これを共依存と言います。

 

自分で自分を認めるというのは非常に大変でしんどいことなのですが、ここを乗り越えずにパートナーの愛情を求めたところで問題は解決されません。

 

唯一の解決方法として見つけたのが、このブログのタイトルである「孤独を楽しむ」ということでした。

 

孤独を楽しめない人は家族や友人に依存して負担をかけてしまいます。

 

孤独を楽しむというのは、必ずしも1人でいることではありません。

 

孤独を楽しむことができて初めて家族や友人のことを本当に大切にできると私は考えています。

スピリチュアル系に「人は生まれる前に人生を選んで生まれてくる」という考え方があります。

 

生まれる前に、あの世で親や社会を選んで生まれてくるそうです。

 

しかも、あの世の世界は時間概念もないため、死ぬまでに起こりうることを全て理解した上で人生を選んで生まれてくるそうです。

 

例えば、2020年からコロナウィルスが発生することも生まれる前に知った上で生まれてきたそうです。

 

ちょうど、ゲームのプレーヤーを選ぶような感じです。

 

魂のままでは成長ができないので、わざわざ人間界へ下りてきて肉体を持つことで人生というゲームをプレーし、魂のレベルを上げていくという考え方です。

 

東本願寺の親鸞聖人750遠忌のテーマが「今、いのちがあなたを生きている」でしたが、似たような考え方かもしれません。

 

さて、生まれる前に人生を選んできたのか、そうでないのかは分かりません。科学的に立証しようがありません。

 

立証できないのに「生まれる前に人生を選んでこなかった」と言い切るのも非科学的です。

 

恐らく世の中の9割の人にとっては、そんなことどっちでも良いのではないかと思います。

 

生まれる前の話より、夕ご飯を美味しく食べて、ゆっくり寝ることの方が大切だと思います。

 

ところが、「人生を選んで生まれてくる」と聞くと激怒し始める人が一定数います。

 

なぜ激怒するのでしょうか?

 

それは、「自分が今の人生を選んで生まれてきた」と認めてしまうと自分の不幸を親や社会や政府のせいにできないからです。

 

つまり、「自分が今の人生を選んで生まれてきた」と聞いて激怒するのは他罰的で他責傾向のある人です。

 

今の人生を自分で選んできたと認めてしまうと

 

「酷い親だった」

「日本政府が○○だから」

「今の格差社会が○○、大企業が○○...」

 

と世の中の愚痴を言っても、「いや、でもそれを知った上で今の人生を選んできたんでしょ?」と反論されてしまい、一切の愚痴を言えなくなってしまうからです。

 

そういう言い方をすると冷たく聞こえるかも知れませんが、何らかの成長テーマを持って今の人生を選んできたということです。

 

例えば、コントロール欲求が強く束縛したがる親の元に生まれてきた理由は、「そんなに厳しい環境でも自分らしく生きられるよう自分自身を鍛えたい」という目的かも知れません。

 

「今の人生を選んで生まれてきた」という前提に立つと、自分の身に起きている全ての出来事が自分の問題になります。

 

これは一面では、他人の問題への関心を失わせてしまうかも知れません。

 

世界での紛争や貧困のニュースを聞いても、「まぁ本人がそういう人生を選んで生まれてきたんだから、何か理由があるんでしょう」で片づいてしまうからです。

 

しかし、いくらプーチン大統領のウクライナ侵攻にイライラしたところでプーチン大統領の行動は変えられないのだから、イライラするだけ損とも言えます。

 

アドラー心理学での「他者との課題の切り分け」や、7つの習慣での「自分が影響を及ぼせる範囲にだけ関心を持とう」など、心理的に健全な考え方として世界で普及している考え方は「人は生まれる前に人生を選んで生まれてくる」という前提で考えた方がすんなり理解できます。

 

人はそれぞれ自分の課題を抱えて生まれてきたのだから、他者と自分の課題に境界線を引き、他者の課題を解決する必要はなく、自分の課題を解決することに専念しろというのがアドラー心理学の考え方です。

 

本当に生まれてくる前に人生を選んできたかどうかは分かりません。

 

科学的に証明しようがないことなので、それぞれが納得できる方を選べば良いと思います。

 

私はもともと「どうして世の中不公平で理不尽なんだ」と無気力で受け身にな考え方をしていました。

 

しかし「生まれてくる前に人生を選んできた」と考えるようになってから「それなら、この人生で魂を成長させようとした何か理由があるはずだから、どういう人生を送りたいか考えよう」と前向きになりました。

 

「どうも前向きになれない」という人は、一度「生まれる前に今の人生を選んできたから、何かしら幸せになる方法があるはず」という考え方を素直に受け入れてみるのはいかがでしょうか?