町から、人が消えた。

 周りにいた人々が、掻き消すように消えたのだ。

 車を運転していたドライバーも消え、あちこちで車同士が衝突したり、建物に突っ込んだりした。

 残ったのは、僕だけだ。

 僕はなにがどうなっているのかわけがわからず、パニックに陥った。

 しばらくして気を取り直した僕は、誰かいないか歩き回った。

 ある中華料理屋を覗いたが、誰も見当たらない。

 調理中だったらしく、スープの鍋に火がかかっていたり、炒めている最中だったと思われるチャーハンがフライパンの上で焦げていた。

 火事になるといけないといけないから火を消そうなんて思いを持つ余裕などなく、あまりの不気味な光景に店を飛び出した。

 30分ほど歩き回った。

 建物の中に入ったり、飲食店に入ったりした。

 寝食店の調理場は、どこも最初に見た中華料理屋と同じような光景だった。

 スーパーにも駅にも人がいない。

 いったい、どうなってしまったんだろう。

 これは、夢か?

 夢なら覚めてくれ。

 そう願いながら、人の姿を探してどこまでも歩き続けた。

「もうすぐ、バレンタインですね」

「バレンタインなんて、いったい誰が決めたんだ? チョコレートをもらった数で優劣を決めるなんて、おかしいだろ」

 まあ、そう怒るな石田。気持ちはわかるけどな。

「詳しいことは省きますが、バレンタインの歴史はローマ帝国の時代に遡ります。そして、これも詳しいことは省きますが、バレンタインが恋人たちのイベントになったのは、14世紀以降と言われています」

「そんなに古くからあったんだ」

 俺も知らなかったぞ。

「日本で広がったのは約70年ほど前で、諸説ありますが、1番有力な説はお菓子会社の陰謀説です」

 おっと、少し雲行きが怪しくなったぞ。

「やっぱりか、許せん。企業は売るためには、俺たちモテない人間を平気で暗い気持ちにさせるんだな」

 おい、石田。俺たちって、俺まで巻き込むなよ。まあ、モテないけどな。

「婚約指輪も宝石屋の陰謀ですし、クリスマスもケーキ屋の陰謀ですね。こうして、我々は各分野の企業の陰謀に嵌って、起源も意味もわからず踊らされているのです」

 いや、陰謀って、ちょっと言い過ぎじゃないか。

「そうか、だったら婚約指輪なんか買わないぞ」

 石田よ、俺たちにはそんな機会はないと思うぞ。

 雪の降る町を、あてもなく彷徨い歩いた。

 傘など差していない。

 黒いコードが真っ白になるくらい、身体中が雪で覆われている。

 だが、寒くはない。心が、氷のように冷えきっている。

 雪で、心の氷が溶けないか。

 そう思いながら歩いているのだが、無駄だった。

 なんで、俺だけ? 人間なんて滅んでしまえばいい。

 呪いの言葉をつぶやきながら、あてどなく雪の中を彷徨う。

 すれ違う人々はみな、奇異なものを見る目で俺を見ていく。

 目は虚ろで、全身が白くなり、それでもゆっくり歩く男。

 誰もが気味悪がって、当然だろう。

 だが、俺はそんな目など一向に気にならない。

 どれくらい歩いていただろう。

 ふいに、俺の前になにかが差し出された。

 それは、暖かいペットボトルのお茶だった。

 差し出したのは、見知らぬ女子高生だ。

「なにがあったか知りませんが、これでも飲んで元気を出してください」

 それだけ言うと、逃げるように去っていった。

 そのお茶を一口飲んだ。

 心の氷が溶けていくような気がした。