樹門流占い師のトノサキです。
今回は日本の古都、
「平城京(へいぜいきょう)」をピックアップします。
『なんと(710)きれいな平城京』という語呂合わせで、
小学校から歴史の教科書に出ている有名な都市です。
現在の奈良県奈良市にあたる1300年前の日本の首都です。
私は読みを“へいじょうきょう”と習いましたが、
現在の教科書の多くは“へいぜいきょう”とふられているそうです。
一般的な定説では当時の中国名「唐」の長安という首都を模したもので、
都であった期間は710年から、
現在の“京都”である平安京に移るまでの794年までで、
時の天皇は元明天皇が平城京を造り、
その後、
元正天皇⇒聖武天皇⇒孝謙天皇⇒光仁天皇と御世を代え、
桓武天皇の時に平安京(794年)に遷都します。
当時の日本の人口は400万人で、
平城京に住んでいた人は10万人といいますから
まさに“大都市”であったことがうかがいしれます。
聖武天皇の時代には仏教を国の威信をかけた政策とし、
東大寺の大仏が造られました。
しかし、その後、平城京の価値を揺るがす事件がおきます。
孝謙天皇の時代に僧侶でありながら信を得た道鏡が台頭し、
結果は未遂に終わりましたが
天皇という皇位を簒奪しようとしました。
この原因は各豪族の寺院の多くが平城京の中にあることで
寺院の権力が増大する中で起きた事件でした。
桓武天皇の時には、
道鏡事件など、寺院権力の問題。
そのほかには、
近くに大きな川がなく食料を効率よく運搬ができない地理的条件や、
慢性的に水が枯渇している水道インフラの問題。
これら様々な諸問題を解決するために
平安京に遷都を計画します。
桓武天皇が平安京を造営するにあたり、
水問題に対しては東側に鴨川、西側には桂川の地に
都を造営することにより、水インフラを確保。
政教分離に対しては政府直営の寺を東寺・西寺のみとし、
平安京内の寺院の造営を認めませんでした。
その後は色々な問題が出てくるものの
明治維新を迎えるまでの約1200年間は
日本の首都として繁栄を保ち続けました。
どの時代も様々な問題や悩みを抱え、
国家がもがき苦しむ姿は一緒のようです。
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