樹門流占い師 外崎:日本史探訪「津軽為信」 | 占いブログ 魂ゆら占い 二代目樹門幸宰

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ブログを通してより多くの皆様に樹門流占術のご理解の役に立てればと思います。

樹門流占い師のトノサキです。




今回は日本史に少なからず影響を及ぼした人物


「津軽為信(つがるためのぶ)」をピックアップします。




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おそらくあまり知られていない人物です。


津軽為信は今からおよそ400年前の江戸初期の武将で、


津軽藩の初代藩主です。




この津軽藩祖は現在までも青森県と岩手県に禍根を


残すクセのある人物です。


青森県の西側(弘前藩の領土)では英雄視され、


青森県の東側と岩手県(南部藩の領土)では反逆者として


見られています。




津軽為信の出自は諸説あり定かではありませんが、


南部氏の支族の家に生まれたのが有力です。


端緒として、


南部氏の一族の内乱にかこつけて周辺の豪族を滅ぼして勢力を


広げ津軽地方を手に入れます。


本来であれば、南部氏の一族であるため、


手に入れた土地を本筋である南部氏の領土へ組み入れるのが当然の流れですが


津軽為信は独立を画策します。


時に中央では豊臣秀吉が台頭し、小田原の北条氏を倒すと


天下統一を目前にしていたところでした。


まさにその小田原攻めの秀吉の下に参陣し、


大名としての地位を確立させます。


秀吉の早く天下を統一したいという思惑が為信に味方したのです。




以降、関ヶ原の戦いでは徳川家康に味方して藩の基礎を築き、


以後津軽氏が江戸時代を通じて津軽地方一帯を治めました。


また地位を確保するため、時の権力者にそれ相当の根回しがあったようです。




南部氏側からすれば、部下が勝手に独立したようなもので


ここから南部氏と津軽氏の禍根が生じます。




藩としての南部藩は現在の青森県八戸市も含まれていました。


その八戸で一番読まれている新聞は、


青森の県紙「東奥日報」ではありません。


また、青森市や弘前市を含む青森県西側では


フジテレビ系専門局はありませんが、


岩手のフジテレビ系局「岩手めんこい」テレビは


県が異なる八戸でも観ることができます。


現代でも江戸時代の藩の境界がそのまま続いていると


考えてもおかしくはありません。




東北新幹線の現在の最北駅は八戸市ですが、


上記の考え方からすると厳密には青森県(津軽藩の領土)には


到達していません。




津軽為信の運勢型は「束縛されるのが嫌い、干渉されるのが嫌い」


マンネリを嫌い、“創っては壊す、“創っては壊す”という


クリエイティブな頭脳の持ち主で、革新派を代表する頭領運です。


やり方には賛否両論ありますが時代を創ったという意味では


運勢型の本懐を為した人物です。


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