少し時間に余裕ができて、その時心で鳴っていたショパンのワルツを久しぶりに弾いてみた。ああ、なんてステキな響き。

心の中に歌が生まれそれが指先からピアノの響きとなり、耳から私に戻ってきて次のフレーズを促す。

心に響く琴線があって、それをたどりながらピアノを弾く。
非常に満足。

思い出した。ああ、私はこれが欲しくて、ピアノを弾いていたんだった。
これさえあれば、他のものは要らなかったんだ。あまりに単純で、気が抜けた。

それが、ピアノを続けるって言うだけで、
周りからいろんな雑音が入ってきて、自分を見失っていたんだ。

まず親から「将来何になるんだ」「コンクールで優勝するとか、
一流の先生に認められて留学するとかじゃなきゃ、やる価値がない」
「お前、人前に出たいからピアノ弾いているんだろう」などなど
いろいろ中傷された。

才能がたとえあっても、それを形にするには、時間がかかる。
お金もどうしてもかかる。そこに時間とお金をかけるという事は、
他の進路も可能性もあきらめるということだ。

才能を形にできる環境が欲しいと思ったら、お金があって時間があって、
さらに幾多のライバルに勝ち抜かないと、勉強する機会さえない。

ライバルに勝ち抜くために必要なレパートリー、技術。
ここでも、本来の望みからどんどん逸れていった。

運よく仕事に就いたら就いたで、他の人から要求されるものを
他の人が満足するように演奏しなければならなかった。
仕事に就いたために、自分の心の音楽は蓋をされるという矛盾。

それでも自分の生涯の望みは果たすことができた。
心の中で鳴る音楽をそのまま実際の響きで歌うこと。
これが人生の望みだった。

これだけ雑音が入っても、障害に当たっても、
この望みは達成することができた。

本来の望みは達成できた。
ホントは、心の音楽を奏でたいだけだったんだ、ということも
思い出した。
これからは、自分の心を満たすためだけに音楽してもいいよ。