私、いい子の典型発想ですが、やらなきゃいけないことを済ませれば、心の重石が取れて、エネルギーも浪費せず、自由を満喫できるものだとばっかり思ってました。

いやー、これ、かなりの勘違いです。

子どもの頃、「出されたものは残さず食べなさい」という教育を受けてきました。
好き嫌いなくなんでも食べられるように、という母の配慮(+残されたら困るという母の都合)で、出されたものを残すことはまず許されず、全部食べ終わるまで解放されませんでした。

「~を食べたら、○○を食べてもいいわよ」という教育もありますね。

でもね、嫌いなものでおなかが埋まっちゃったら、好きなものも食べられない。
もしくは、あまり美味しくなくなっちゃう。

これと同じで、やらなきゃいけないことを済ませたら、時間もエネルギーもなくなっちゃう。

だから、やらなきゃいけないことから解放されるには、
・やらなきゃいけないことが、実はやらなくてもいいことだと気づく か
・やらなきゃいけないことがなくなるなんて、現実にはありえないとあきらめる
ですね。

で、どうせ完全な自由が幻想だ(そもそも束縛がなければ、自由だー!という開放感も味わえない)とわかってしまえば、あとは束縛があったとしても、どこに自由を感じるか、だけですよ。

どうせ100%自由なんてありえないのなら、いかに小出しにゲリラ的に自由を楽しむか。

たとえば私の場合、ピアノを思う存分弾きたい、でもそこまで時間がない、という不満が慢性的にあります。

だったら、弾きたい気分になった時に、さっさと弾いてしまう。15~20分くらい弾くだけで、場合によっては5分でも、かなり満足します。

やらなきゃいけないことは、全部終わりませんが、やりたいことを我慢してやらなきゃいけないことを優先したとしても、やっぱりやらなきゃいけないことは全部終わらない。だったら、どっちでもいいじゃん♪ ゲリラ的に不完全な自由を楽しんでみる、の方が、現実的に実現率が高いです。