祖母の話 | 望む世界で生きる。彩り豊かな世界で生きる。

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えりです。アラフォーです。元、理学療法士。 
最近は野菜作りやハンドメイドをしたりしてのんびり生きています。
2015年10月Happyちゃんのブログに出会う。
自己否定、無価値観、罪悪感が強く、常に他人軸だった。今は「私はわたしで在る」「今ここ」がモットー。

祖母が生前、大切に育てていた
花たちが次々に咲いている黄色い花ブーケ2




何が起こっても
自然は変わらず。

そこにある生命力とか美しさに
癒されたり、気付かされたりする。

時間の流れも感じる。


祖母がこの世からいなくなって2ヶ月経った。

89歳で一人暮らしでしたおばあちゃん

めちゃくちゃ元気で
認知面もクリア。

めちゃくちゃしっかりしてた。

昨年の夏までは自転車に乗り
どこまでも買い物に行っていた自転車


昨年の12月から少しずつ
でも急激に体調が悪くなり、

年末年始〜冬の間は
24時間付きっきりで
介護・介助生活をしてた。

その日々は全く苦じゃなかった。

いつか元気になると思っていたし、
そのためには何でもするぞ!!くらいだった。

でも、そこから4ヶ月の間に亡くなってしまった。


1年半くらい前に癌が見つかって
余命1〜3年とか言われたけど

「死ぬ時期なんて医者(他人)が決めることじゃない。初めから自分で決めてきてる。死ぬ時は死ぬ。どうせ一度は死ぬし。気にしたって仕方ない。」と

心配する家族をよそに
全く気にすることなく

その後も一人暮らしを続け
家族に頼ることなんか
本当になく

病気が見つかってからも
それまでと何も変わらず
元気に暮らしてた。

そんな姿に尊敬と救われて
こちらもすっかり忘れるくらいだった。


それが仇となったのか
元気すぎて、細胞が若かったらしく、
いつの間にか進行していたみたい。

昨年12月に声が出にくくなって
風邪かなぁと思っていたら

喉あたりに転移してると分かるまで
進行していることに気づきもしなかった。

本人も家族も。


そこから2ヶ月でみるみるうちに
元気がなくなってしまって

2月末に一瞬の隙に転倒してしまって
骨折、手術、入院となってしまった救急車病院

3月末には緩和病棟のある病院に転院して
10日目に祖母はこの世を旅立った。


幸いだったのは
入院していた病院には知ってる人が
たくさんいて本当によくしてもらえたこと。

「とってもよくしてもらった。入院、嫌じゃなかった。みんな優しかった。」と本人が笑っていたこと。

コロナが一旦落ち着いた時期の
転院だったから

最後の10日間は毎日面会できたこと。

食べたいもの飲みたいものを
食べさせたり飲んでもらえたこと。

最後の瞬間は夜中も付き添い許可してもらえて、見送れたこと。

葬儀も近くの親戚みんなで
送れたこと。

ほんの少し時期が違えば
会えなかっただろうし、
今、こうして、心穏やかに過ごせたりはしなかった。

ありがたかった。


祖母は誰に頼ることなく
口癖は「迷惑だけはかけないように」だった。

迷惑なんて思わないし
むしろもっと迷惑かけてほしかったとさえ思う。

亡くなる時期も、日にちも、曜日さえも、
全員の迷惑にならない時だった。

意識がなくなる前の日には
1ヶ月先の私の誕生日を祝ってくれたり、

お世話になった人を挙げて
「必ずお礼をしてね。」と言ったり

死ぬ間際のきつかっただろう時にも自分以外の人のことを考えて想ってくれる人だった。


祖母の家を片付けていると
洗濯ネットのファスナーに
自分で紐つけてるのを発見。


一人暮らしを一生懸命に
工夫して過ごしていたんだと
気づく。


私が最近始めたコンポストも
祖母は庭の花壇に生ゴミを捨て
堆肥を作ってた。

生きてる時、だいぶ昔だけど
「生ゴミはゴミの日に捨てなきゃいかんよ!」
なんて言って、

外に捨てるなんて、ありえない!びっくりえー
くらいに思ってたけど、

「堆肥になる。土がフカフカになる。野菜や花がよく育つ。」ってよく言ってたんだ。

そんな知識を知ろうともしなかった。


あと今になって改めて思うのは
愛情深い人だったということ。

毎年、誕生日には朝一で必ず電話してくれてた。

子供の日には菖蒲湯に入るようにと菖蒲をとってきてくれていた。
(今年初めて菖蒲湯入らなかった。)

何気なく持っていった飲み物のパッケージを覚えて、次に祖母の家に行くとそれが大量にストックされていたこと。

買い物に行くと重いだろうに
我が家の分も何かしら買ってきてくれたり。

おでんや筑前煮やおはぎや
夕食の準備が少しでも楽になるようにと
おかずを作ってくれたり。

帰る時は必ず外に出て
駐車場まで見送ってくれたり。


当たり前だと思っていたこと

何気にふとしたこと

「もうそんなにしなくていいよ。そんなにいらないよ。」とそのありがたさに気づかず

感謝もそこそこに
軽くあしらってしまっていたこと。

体調崩してからは毎日会いに行き
お世話もしたけど

元気な時はそんなに会いに行ってなかったし
優しくもしてなかった気がすること。

祖母が亡くなって
気づいたり、後悔したり、
ありがたかったなぁ、
優しかったなぁと思ったり。

思った以上に寂しい。

そんな日々だったりします。


それから祖母は氷川きよしくんが大好きだった。

ファンクラブにも入っていて
コンサートも何度か一緒に行った。

コンサートでもテレビでもDVDでも
きよしくんを見るのが楽しみで、
嬉しそうに笑って幸せそうで
おかげで元気だっただろうし
きよしくんには感謝しかない。

最近、きよしくんみると涙が出るえーん

まぁ、しばらくは仕方ないですね。

でもようやく祖母のことを書けた。
残しておきたかった。
 
ありがとうと大好きを込めて。