自分らしさを大切に -23ページ目

犬山祭を足元から支えるわらじ

 

 

今年の犬山祭は、「わらじ」に着目した。

 

祭りの前日にわらじの確保が困難になってきたことを特集した

地元の新聞記事を目にしたからだ。

 

庶民の履物だったわらじだが、昨年まで4カ所あった依頼先が2カ所に減少。

 

今年必要な1000足のうち650足を岐阜県東白川村のグループが担ったが、

高齢化が進み確保が難しい状況となっている。

 

わらじを編む技術を継承する人がいないからだ。

 

地下足袋にしたらどうかという声もあるが、

守ってきた伝統はそうやすやすと手放せるものではない。

 

祭りを伝承していくことの難しさをあらためて知り、

私は祭りの最中、山車(やま)を曵く若者衆のわらじばかりを見ていた。

桜は小枝に「花を持たせる」

 

花見をたのしんでいるとき「花を持たせる」という慣用句が頭に浮かびました。

 

桜の花は桜の幹に咲くのではなく、幹の枝から伸びる小枝につきます。

 

つまり、桜の木は、いいところをぜんぶ桜の小枝に譲っているのですね。

 

細くて頼りなさそうな小枝が、桜の花を誇らしげに咲かせている様子を見ると、

これって上司と部下の関係に似ているなぁと感じました。

 

どっしり太い幹が小枝に栄養を運び、小枝の開花(成果)につなげる。

 

幹はあくまで黒子。

 

小枝に花を持たせているのです。

 

翻ってうちの会社はどうかな。

 

同じことができているだろうかと、思いを巡らせました。

 

少なくとも部下に対しては「褒めて育てる」方針を貫いています。

 

うまくできたときは声に出して称えます。

 

最も現在は「花を持たせる」必要がないほど部下の成長が著しいので、

黒子の役割を果たす機会はめっきり減りました。

 

ならば、今こそ自分の花を咲かせるのに注力すべきです。

 

満開とはいきませんが、小夜嵐が吹いても散らぬ花を咲かせたいものです。

犬山城遊覧船を妻とたのしむ

 

 

 

 

陽光うららかな春の休日、妻と犬山城遊覧船をたのしみました。

 

遊び慣れた地元の観光ですが、二人とも遊覧船に乗るのは初めての体験です。

 

ツインブリッジと犬山橋を川面から見上げるアングルは迫力があります。

 

妻は船頭さんによるガイドの案内に熱心に耳を傾けていました。

 

約2億年前の深海底のチャート層が間近に見られたことに驚き、

名古屋市民230万人の生活を木曽川水系が支えている説明には誇らしげな顔で何度も頷いていました。

 

埼玉出身の彼女も岐阜での生活がすでに30年を超え、

第二の故郷となった地にも揺るぎない郷土愛が根付いたものと推測できます。

 

日本に5つしかない国宝指定の古城の1つを毎日眺めながら暮らせる幸せにも最近ようやく気づいたようです。

 

その証拠に、以前だったら徒歩移動を敬遠していた、

犬山城のお膝元に広がる城下町の散策もつきあってくれるようになりました。

 

私はこの状況が一日でも長く続くように舟遊びの余興を考えたり、

良さげな食事処や甘味処をチェックしたりと、涙ぐましい努力を重ねているのです。

 

涙ぐましいは、ちょっと言い過ぎかな。

 

私の場合、こういった努力は厭わない性格ですから(笑)。