普通の人が教えるエンディングノートインストラクター鈴木優治のブログ

突然ですが、終活の番組がBS11で午後9時より午後9時54分まで5日間放送されます。

ご興味ある方は、見てください。下記はBS11のWebの抜粋です。

====

シリーズ「終活~自分らしい最期を考える~」

番組のテーマは「人まかせにしない、自分らしい人生の閉じ方を考える」。
自分自身の「終活」に関心がある方にむけて、何をどのように進めてゆけばよいのか、さまざまな事例を交えて紹介。介護・終末期・葬儀・相続など、幅広い「終活」について、詳しい専門家と考える。
誰もが迎える「死」を見つめることで、これからをどう生きるか考える5日間。

【12月2日(月)】
二木 啓孝(BS11解説委員)
川添 永津子

終活 介護「私が要介護2になったらどうする」
ゲスト:荒木 由美子(俳優 夫:湯原昌幸氏)、三国 浩晃(NPOトータルライフサポート理事長)

【12月3日(火)】
二木 啓孝(BS11解説委員)
川添 永津子

終活 認知症・終末期・看取り「私が認知症になったらどうする」
ゲスト:荒木 由美子(俳優 夫:湯原昌幸氏)、三国 浩晃(NPOトータルライフサポート理事長)

【12月4日(水)】
二木 啓孝(BS11解説委員)
川添 永津子

終活 葬儀・墓「私らしい旅立ちとは」
ゲスト:小山 明子(俳優 夫:大島渚監督)、三国 浩晃(NPOトータルライフサポート理事長)

【12月5日(木)】
二木 啓孝(BS11解説委員)
川添 永津子

終活 遺言・相続・遺品整理「私は誰に託すか」
ゲスト:小山 明子(俳優 夫:大島渚監督)、三国 浩晃(NPOトータルライフサポート理事長)

【12月6日(金)】
二木 啓孝(BS11解説委員)
川添 永津子

終活「おひとりさまでも在宅で逝けるか」
ゲスト:樋口 恵子(東京家政大学名誉教授)、三国 浩晃(NPOトータルライフサポート理事長)

=====

どんな内容かは、見ないと判りませんが、終活を考えるきっかけとなるのは間違いありません。

参考情報として、お知らせ致しました。


終活でお悩みになったら、このお問い合わせフォーム をお使い下さい


生活者目線に立ったアドバイスを心がけています。

普通の人が教えるエンディングノートインストラクター鈴木優治のブログ


仏教講師、菊谷隆太の『一からわかる仏教(ブッダの言葉)』

【無明の闇(2)】より引用

■金を持っている人は「番人」

持っていない人は「非番」です。

門を警備する番人は侵入者を入れてはいけない責任があるから 居眠りは許されないし、

ちょっと用を足しに行くこともできない。

非番になれば、気楽なものです、 ゆっくり寝ておれますので。

■ちょうど金持ちは、金の番人のようなもの。

持っていると、銀行に預けても倒産しないか心配です。 箪笥に入れておけば空き巣が心配です。 株で持っておれば、常にインターネットの前で 市場の変動が気になって仕方がない。

非番の方がよっぽど楽ではなかろうか。

■無常の世、昨日までは番人でも、 今日は非番になるかも知れぬ。 今年は非番でも

来年には番人になるかも知れぬ。

宝くじが当たって、非番だった人が番人になる。 あるいは事業に失敗して、番人が非番になる。人生まことに紆余曲折で、 いつ番人になるか、非番になるか、 今日明日のことさえわかりません。

■ただ、いずれにしても言えるのは 【番人に過ぎない】ということです。

何も持たずに地上に出てきて、人と争ってまでかき集め、必死に番をして、最後は全部置いて、番人の役目終わって次の人に番を譲る。自分は何も持たずに地上を去る。 遺産相続で、兄弟や親戚同士 骨肉相食む争いはよく聞く話ですが、 中には死なぬ前から、病人の隣室でそんな揉め事も起きることもあるようです。

その一部始終を、隣の部屋で聞く無念はなんとしたことでしょう。

「こんな人生なんなのか」

「何のために必死にかき集めてきたのか」 と臨終の床で嘆く。

何のためのこの世に出てきたのかわからない。 そして、何も持って行けず、誰も連れて行けず。丸裸、ひとりぼっちでいったいどこへいくのか。暗い心が胸を覆う。

人間に生を受けた喜びはありえないでしょう。

=====引用終了=====


生まれた時には裸で生まれ、亡くなる時にも裸で死んでいく。

お金はあの世には、持っていけません。

資産をどうするのか?時間がある時にエンディングノートを使って考えてみましょう。

お悩みになったら、このお問い合わせフォーム をお使い下さい

生活者目線に立ったアドバイスを心がけています。


普通の人が教えるエンディングノートインストラクター鈴木優治のブログ

その他大勢から抜け出す77の言葉 (著者 東雅美、現代書林)P176より

子供の頃、私達の前に時間は永遠に、そしてごく当然に存在していた。家族も、一緒にいて当たり前の空気のような存在だった。父も母も兄弟も歳をとらないかのようだった。それが錯覚だと気づいたのはいつだったろう。頭では気づいても、実感として理解するのは、家族に何かあった時、もしくは自分が年齢を重ねた時ではなかっただろうか。

家族はもちろん不老不死でもなければ、永遠に一つの屋根の下で暮らせるわけでもない。たとえば、妻の顔も見たくなかろうと大好きであろうと、彼女は少しずつシミを作りシワを刻みながらおばあちゃんになっていく。哀しいけれど。あなたも少しずつ白髪が増え、老眼になりながら、おじいちゃんになっていく。どんなにアンチエイジングに勤しもうとも時間には抗えない。そしていつか100%確実に死は訪れる。それは、不可避で容赦のない現実だ。

死亡率100%宣告された妻と、死亡率100%を突きつけられた自分がそこにいる。

いつか必ず、今の苦労は終わる。

いつか必ず、今の幸せも終わる。

死を考えたとき、あなたの目の前に「生」が立ち上がる。

===引用終了===

今回は、友人から頂いた書籍より気づいた言葉をシェアしました。

これからの事、沢山不安がありますね。この様な悩みの相談は誰に聞くのでしょうか?葬儀屋さん?司法書士さん?保険屋さんですか?

お悩みになったら、このお問い合わせフォーム をお使い下さい

生活者目線に立ったアドバイスを心がけています。