仏教講師、菊谷隆太の『一からわかる仏教(ブッダの言葉)』
【無明の闇(2)】より引用
■金を持っている人は「番人」
持っていない人は「非番」です。
門を警備する番人は侵入者を入れてはいけない責任があるから 居眠りは許されないし、
ちょっと用を足しに行くこともできない。
非番になれば、気楽なものです、 ゆっくり寝ておれますので。
■ちょうど金持ちは、金の番人のようなもの。
持っていると、銀行に預けても倒産しないか心配です。 箪笥に入れておけば空き巣が心配です。 株で持っておれば、常にインターネットの前で 市場の変動が気になって仕方がない。
非番の方がよっぽど楽ではなかろうか。
■無常の世、昨日までは番人でも、 今日は非番になるかも知れぬ。 今年は非番でも
来年には番人になるかも知れぬ。
宝くじが当たって、非番だった人が番人になる。 あるいは事業に失敗して、番人が非番になる。人生まことに紆余曲折で、 いつ番人になるか、非番になるか、 今日明日のことさえわかりません。
■ただ、いずれにしても言えるのは 【番人に過ぎない】ということです。
何も持たずに地上に出てきて、人と争ってまでかき集め、必死に番をして、最後は全部置いて、番人の役目終わって次の人に番を譲る。自分は何も持たずに地上を去る。 遺産相続で、兄弟や親戚同士 骨肉相食む争いはよく聞く話ですが、 中には死なぬ前から、病人の隣室でそんな揉め事も起きることもあるようです。
その一部始終を、隣の部屋で聞く無念はなんとしたことでしょう。
「こんな人生なんなのか」
「何のために必死にかき集めてきたのか」 と臨終の床で嘆く。
何のためのこの世に出てきたのかわからない。 そして、何も持って行けず、誰も連れて行けず。丸裸、ひとりぼっちでいったいどこへいくのか。暗い心が胸を覆う。
人間に生を受けた喜びはありえないでしょう。
=====引用終了=====
生まれた時には裸で生まれ、亡くなる時にも裸で死んでいく。
お金はあの世には、持っていけません。
資産をどうするのか?時間がある時にエンディングノートを使って考えてみましょう。
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