猫の後ろ姿 2336 「またね!」
榎並和春「コーヒーブレイク」部分 2026
混成技法 山口画廊展示中 予約済み
楽しい二日間だった。また来年同じ頃に同じ場所でお会いしましょう。またね!
今朝、榎並さんのブログを開いたら、観に来てくれたお客さんへのこんな榎並さんの挨拶が書かれていた。
「またね!」というところで、不覚にも泣きそうになってしまった。
こんな歳になると、今日こうやって会えたとしても、もう二度と会えないかもしれない。 だから、胸の内で、「ありがとう。さようなら。」とつぶやきながら、 口からは「またね。」と声に出す。
この「またね!」には、別れと感謝と希望の思いが重なっている。
だからこそ、思いを込めてつぶやきます。「またね!」。
■2026年5月7日(木)~25(月)
榎並和春個展 「あさきゆめみし」
千葉 山口画廊 企画画廊くじらのほね 同時開催
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猫の後ろ姿 2335 イラン戦争
昨日、在日米軍のうち、沖縄駐留米軍と長崎駐留米軍が戦争の渦中にある中東に派遣されると報じられた。日本もまた間接的とはいえ戦争に加担することになる。すでに今は、平時ではなく文字通り、我々の日常は「戦時下」にある。
アメリカによるイラン攻撃はなぜ決断されたのか? ホルムズ海峡は即座に封鎖されるであろうし、原油をはじめとする物流の停止が関係諸国の不安定化を招くことは容易に考えられるにもかかわらず、なぜトランプ大統領は戦端を開いたのか。
もしかしたら、これはアメリカが、海峡の封鎖によって直接ダメージを受ける諸国すなわち日本・ドイツ・イギリス・フランス、そして中国にまで自らの力をみせつけ、アメリカの側に立つのか敵対するのかと踏み絵をふませようとしているのではないか。
「物流の回復のためにはアメリカと共に戦う必要がある。君らも武器を取れ。」トランプはこうを我々を脅しているのではないか?
繁栄と安定を望むなら、USAの傘下に従順に参列し、偉大なるアメリカにひざまづけ、とトランプは見得を切っている。
来日中のIMF専務理事ゲオルギエア氏はこう言った。
「不確実な状況が新たな常態になるだろう。」
われわれの日常は非常に不確実な「New Normal」となってしまうのではないか。
猫の後ろ姿 2334 生の意味を問う
今朝、雪がうっすらと積もっていた。
「雪が降っています。何んの意味がありますか。」
チエホフの小説のなかの一文を思い出した。題名は思い出せない。
ぽっかりこんな文章だけが記憶の中から浮かび上がって来たのだ。
この一文から昔読んだ白川静先生の言葉がよみがえってきた。
<あらゆるものは生命の連続のなかに生きる。その連続の過程をどれだけ充たしてゆくことができるのか、そこに生きることの意味があるといえよう。
生とは自然的生である。細胞の活動に支えられるものには、すべて生がある。
自然的生のなかでは、生きることの意味は問われていない。その意味を問うものは命(めい)にほかならない。命ははじめ令とかかれた。礼冠を著けた人が跪(ひざまず)いて、しずかに神の啓示を受けている。おそらく聖職のものであろう。その啓示は、神がその人を通じて実現を求めるところの、神意であった。その祈りに対して与えられる神意が命である。生きることの意味は、この命を自覚することによって与えられる。いわゆる天命である。『論語』に「命を知らずんば、以て君子たることなきなり」というのはその意である。当為として与えられたもの、それへの自覚と献身は、その字の形象のうちにすでに存するものであった。>
雪が降っている。しかしその雪が降っていること意味は問われてはいない。その雪の中で、雪と共にいかに生きるのかが問われているだけだ。私は今なにをなすべきか、「当為として与えられたもの、それへの自覚と献身」をみずから求めねばならない。
近い将来の日本の行く末を決める重要な日の夜、これを書き留めて我が覚悟のしるしとしたい。



