「猫の後ろ姿」 -2ページ目

猫の後ろ姿 2054 大野一雄 『魂の糧』

 

 

  『魂の糧』。

  2010年103歳で逝った舞踏家・大野一雄の舞台写真と大野慶人が記す大野一雄の舞踏の神髄。

 

 大野一雄が踊るディヴィーヌという老男娼が舞台上で死ぬ。死んだ同じところから、今度は「少女」になって生まれ変わる。生命が誕生するように、静かに立ち上がってくる。
 大野一雄の舞踏は死と生の根源的な関りを現前させる。そこには狂気の世界が現出する。
 大野慶人はこう語っている。
 
 <狂気の世界に入りこみ、狂気そのものの形を取り出したいと。そういうものが舞踏の世界として値する世界だと考えている。
一雄の言う一番の狂気は、よく言いますが、何億もの精子が一気に卵子に向かって投入していくことです。それはまさに狂気の世界だと。それで結びつくのは一つの精子、 一つの命しか生まれないのだと。
 誕生そのものが狂気だということです。その根源の狂気が、人間の中に記憶としてある。そこに根源があると思います。狂気の形と言ってもいい。>

 
 生命は受精の瞬間からすでに狂気を孕んでいるということ。
 <根源の狂気が、人間の中に記憶としてある。>
 この一行は、人間というものの真のあり様を語っている。
 
 最晩年、立つことも出来ず、手だけで踊った。ベッドに眠る一雄の姿は荘厳だった。
 大野一雄の踊りは、文字通り、『魂の糧』だった。感謝して、合掌。
 

猫の後ろ姿 2053 執拗で孤独な道 村山槐多展

 

 

     上田市立美術館で「村山槐多展」を観た。
 
       もっと野蛮に
       もっと勇猛にならなくてなならない、
       執拗で孤独な芸術がむしろ俺の道だ
 
 槐多の『信州日記』1915年10月16日に記されたこの言葉が胸に沁みた。
 「執拗で孤独な」道を突き進んだ「火だるま槐多」。
 
 帰って来て、辺見庸『いま語りえぬことのために 死刑と新しいファシズム』(毎日新聞社、2013年)を読んでいてこんな文章に出会った。
 
 <ひとりびとり、ひとつひとつに、それらの固有性と孤絶の深みに、どこまでもどこまでもこだわりつづけることだけが、嘘という不自由から逃れられるただひとつの方法なのだ。>(147頁)
 
 ああ、これこそ「槐多」だ。「執拗で孤独な」営為にこだわりつづけること、「真実」があるとしたら、そこにしかない。

 

「裸婦」 1914 槐多18歳

 

 

「コスチュームの娘」 1917 槐多21歳

 

「風船をつく女」 1918 槐多21歳

 

   この「執拗で孤独な」槐多の営為については又改めて丁寧に記したい。

 

猫の後ろ姿 2052 奈良岡朋子 朗読 「黒い雨」

https://youtu.be/JpCELJobnkA

 

  原爆忌声朗朗と響かせて奈良岡朋子『黒い雨』読む

                                      (箕面市)田中令三

 

  8月25日の朝日歌壇でこの歌を読んだ(佐佐木幸綱選)。

  おかげで、奈良岡朋子さんが井伏鱒二の「黒い雨」の朗読会を続けていることを知った。

  youtubeで、聞くことができます。ぜひ。