猫の後ろ姿 2334 生の意味を 問う
今朝、雪がうっすらと積もっていた。
「雪が降っています。何んの意味がありますか。」
チエホフの小説のなかの一文を思い出した。題名は思い出せない。
ぽっかりこんな文章だけが記憶の中から浮かび上がって来たのだ。
この一文から昔読んだ白川静先生の言葉がよみがえってきた。
<あらゆるものは生命の連続のなかに生きる。その連続の過程をどれだけ充たしてゆくことができるのか、そこに生きることの意味があるといえよう。
生とは自然的生である。細胞の活動に支えられるものには、すべて生がある。
自然的生のなかでは、生きることの意味は問われていない。その意味を問うものは命(めい)にほかならない。命ははじめ令とかかれた。礼冠を著けた人が跪(ひざまず)いて、しずかに神の啓示を受けている。おそらく聖職のものであろう。その啓示は、神がその人を通じて実現を求めるところの、神意であった。その祈りに対して与えられる神意が命である。生きることの意味は、この命を自覚することによって与えられる。いわゆる天命である。『論語』に「命を知らずんば、以て君子たることなきなり」というのはその意である。当為として与えられたもの、それへの自覚と献身は、その字の形象のうちにすでに存するものであった。>
雪が降っている。しかしその雪が降っていること意味は問われてはいない。その雪の中で、雪と共にいかに生きるのかが問われているだけだ。私は今なにをなすべきか、「当為として与えられたもの、それへの自覚と献身」をみずから求めねばならない。
近い将来の日本の行く末を決める重要な日の夜、これを書き留めて我が覚悟のしるしとしたい。
猫の後ろ姿 2333 憧れることに憧れて
晴れた空 そよぐ風
港出船の ドラの音愉(たの)し
別れテープを 笑顔で切れば
希望(のぞみ)はてない 遥かな潮路
あゝ 憧れの ハワイ航路
波の背を バラ色に
染めて真赤な 夕陽が沈む
一人デッキで ウクレレ弾けば
歌もなつかし あのアロハオエ
あゝ 憧れの ハワイ航路
常夏の 黄金月
夜のキャビンの 小窓を照す
夢も通うよ あのホノルルの
椰子の並本路 ホワイトホテル
あゝ 憧れのハワイ航路
(1948年 キングレコード
作詞:石本美由紀 作曲:江口夜詩)
昨日、私どもが住んでおります甲府市湯村の自治会13組の恒例の新年会がありました。酒を呑み、うまいものを食べますれば当然、次は「歌」となります。私はいつも岡春夫の「あこがれのハワイ航路」をうたいます。聞く方にはご迷惑ではありましょうが、当の本人は大変気持ちいいものなのであります。気持ちがすっきりといたします。
ずいぶん昔、朝日新聞夕刊の「素粒子」という小さなコラムに、
「男ひとり、深夜、あこがれのハワイ航路を歌う。あこがれることにあこがれて。」
と書かれていたことを今もよく覚えております。この深夜にひとり憧れを歌う男の心情は、私自身老いてさらに深くわかるような気がいたします。
猫の後ろ姿 2332 真実の顕現 榎並和春さん
榎並さん、御作をお送りいただきありがとうございます。小さなスケッチですが、じっと見ていると、絵って不思議なものだなあと感じ入っております。
ずいぶん以前、神奈川県立近代美術館でジャコメッティ展を観たのですが、ジャコメッティの手が描き出す線は対象の表面をたどるだけではなく、こちらからは見えない対象の後ろにまでまわりこんでゆく。
ジャコメッティの線は、対象の表面を無数の痕跡でたどり、その執拗な線の探求が、ものを平面の上に存在させている。
絵とは線で真実を顕現させる術なのではないかと僕は思います。
真実とは事実の意味なのだと白川静先生が言っておられました。
画家とは線による真実の探求者なのだと僕は思います。
さらに深い探求をお続けください。

