【私は、やっぱり子どもの味方でいたいと思う】
「子どもの味方でいたい」
そう思ってこの仕事を選んだけど、
気づけば20年以上ずっと、いつも心の真ん中にあるのはその気持ち。
でもね、“100%子どもの味方でいる”って、実は簡単じゃない。
① 子どもの味方でいることの意義
たとえばある日、
教室に戻れなくなって、保健室の前でうずくまっていた子がいたの。
「行かなきゃ」と思ってるのに、足が動かなくて涙がポロポロ。
私はその子の隣にしゃがんで、
ただ一言だけ「つらかったね」と伝えた。
するとその子は、
「ほんとは行きたかったのに、無理って言えなかった」と
ぽつりと本音を話してくれた。
その瞬間、私はあらためて思ったの。
「子どもの味方でいる」って、こういうことなんじゃないかって。
子どもってね、大人が思ってる以上に繊細で、
自分の気持ちをわかってくれようとする人を
ちゃんと感じとってる。
脳科学でも、
安心できる存在がそばにいると脳が“安心モード”に切り替わって
オキシトシン(愛着や信頼を深めるホルモン)が出てくるって言われてるの。
それが、人とつながる力や「自分って大丈夫かも」って気持ちを育てていく。
だから私は思う。
子どもにとって「味方がいる」っていう感覚は、
心のなかに小さな“安全基地”ができるってこと。
② それでも「難しい」と感じるのはなぜ?
……とはいえ、やっぱりね、現実はそんなにキレイごとばかりじゃない。
私もこれまで何度も揺れてきた。
「そんなに甘やかしていいの?」
「他の子とのバランスは?」
「だから先生がナメられるんだよ」
そんな声を浴びるたびに、
「あぁ、私のやり方って間違ってるのかな」って不安になる。
子どもの気持ちに寄り添いたいのに、
“正しさ”や“こうあるべき”に引っ張られてしまう。
でもそれって、大人の誰もが抱える自然な葛藤なんだよね。
心理学では、ストレスがかかると人は共感しづらくなるって言われてる。
自分に余裕がないと、相手の気持ちに目を向ける力も減ってしまうの。
だから、「子どもの味方でいたい」と思いながらも
難しさを感じてしまうのは、ある意味、人間らしい反応なのかもしれない。
③ 私たち大人にできること
だから私は、こう考えるようにしてる。
「完璧な対応」はできなくても、
“味方でいようとする姿勢”は持ち続けられるんじゃないかって。
大事なのは、正解を出すことじゃなくて、
「あなたの気持ち、大事に思ってるよ」って伝わる関わり方。
スクールカウンセラーとして、よく使う言葉があるの。
「話してくれてありがとう」
「それだけつらかったんだね」
「がんばって来たんだね」
たったそれだけの言葉でも、子どもの目がふっとやわらかくなることがある。
そしてもうひとつ大切なのが、
私たち大人自身が「自分を整えること」。
私はよく、自分に問いかけるようにしてる。
「私は今、余裕あるかな?」
「この子の立場だったら、どう感じるだろう?」
「“ちゃんとさせること”よりも、“安心できること”が先じゃない?」
そんなふうに立ち止まって、
「この子の味方でいたい」と思った瞬間があるなら、
それだけで、もう“味方であろうとしている”ってことなんだと思う。
たとえば――
・子どもの言い訳に、イラッとしながらも「何か理由があるのかも」と思ったとき
・全部は理解できなくても、「この子なりにがんばってる」と感じたとき
・うまく声かけできなくても、そばにいようとしたとき
そういう“小さなやさしさ”は、
ちゃんと子どもに届いてる。
気づかれなくても、感謝されなくても、
子どもが「自分は一人じゃない」って感じられる、種になってる。
子どもの味方でいようとする気持ちは、特別なスキルじゃない。
むしろ、私たちが日々の中でふと感じる
「この子のこと、ちゃんと見てあげたいな」っていう、あの気持ち。
それが、いちばん大切なんじゃないかな。
だから、どうか安心してね。
あなたがしている小さな関わりも、
ちゃんと“味方でいる”ことにつながってる。
迷いながら、揺れながらでも、
一緒に“子どもの味方であり続ける大人”でいられたら、うれしいな。
今日のサスケさん♡
いいお天気だったので窓辺でお昼寝💤
かわいい♡