「思うような反応が返ってこない…」その引っかかり

 

子どもたちに声をかけたとき、こちらがイメージしていた返事が返ってこない。
 

 

助けたい、支えたいと思っているのに、そっけない一言や沈黙で返される。
 

 

 

そんな「うまくかみ合わない感じ」を覚えたことはありませんか。

 

 

そこで一度見つめてみたいのが、
返ってくる反応は、こちらの“問い(声かけ)”の質そのもの
という視点です。

 

 

 

 

 


「なんで?」は本音が出てこない

 

子どもに対して、つい口から出てしまう「なんで?」という問い。
 

 

「なんでこうしたの?」

「なんで行きたくないの?」
 

 

責めているつもりがなくても、この問いは
ほぼ確実に“いいわけ” を引き出します。

 

 

「忘れてて…」
「時間がなくて…」
「別に…」

 

 

これは“本音”ではなく、“身を守るための言葉”です。
 

 

問いの形だけで、子どもの心は無意識に守りに入ってしまうのです。

 

 

 


なんで?は本音が出てこない

 

保護者の方から、よくこんな相談を受けます。
 

 

「なんで学校に行きたくないの?って聞いても、何も話してくれなくて…」

 

 

そして、
 

 

「友だち関係かな?」
「勉強がしんどいのかな?」
「朝が苦手なのかな?」
 

 

と、保護者なりに理由を並べてくださるのですが、
どれも決定打ではなく、本音には触れられないままです。

 

 

 

その姿を見るたびに、
“なんで?”は本音ではなく“言いやすい理由”を引き出してしまう
という現実を感じます。

 

 

 


問いが変わると本音が見える

 

同じ子どもでも、問いを変えるだけで返ってくる言葉が変わります。

 

 

「どのようにしたら学校に行けそう?」
「何があったら行ける?」
「逆に、何がなかったら行ける?」

 

 

こう聞いてみると、
子どもの心は“守るモード”から“考えていいモード”へやわらかく切り替わります。
 

 

すると返ってくるのは、
アイデアや小さな解決策 です。

 

 

 


本音が見える問いに出会えると

 

実際に子どもと向き合う中で、こんな言葉が出てきます。

 

 

「実は、朝教室に入るのがしんどい」
「友だちと顔を合わせる前に落ち着ける場所がほしい」
「保健室からなら入れる気がする」
「先生にひと声かけてもらえたら行けるかも」

 

 

さっきまで言葉が出てこなかった子が、
問いを変えただけで、自分の中にある答えをスルッと出し始める。
そんな瞬間があります。

 

 

子どもは“話したくない”わけではありません。
話せる問いに出会えていなかっただけ
 

 

そんなふうに感じる場面がたくさんあります。

 

 

 


自分への問いも同じしくみで動く

 

この“問いの力”は、子どもにだけ働くものではありません。
 

 

自分自身にも、同じように影響します。

 

 

「なんで私はできないんだろう…」
 

 

そんな問いは“できない理由探し”に向かってしまい、心は重くなります。

 

 

 

でも、
 

 

「どのようにしたら今日は少し楽にできる?」
「どのようにしたら、一歩だけ動ける?」
 

 

と問いかけを変えると、
“今できること”に目が向きやすくなります。

 

 

問いが変わるだけで行動の方向がすこし変わります。
 

 

大きな変化ではなくても、
“ちょっとだけ動ける方向”が見えるかどうか
その方向転換を、問いはそっとつくってくれます。

 

 

 


今日の問いかけ

・最近、子どもについ口にした「なんで?」はどんな場面でしたか?

・その声かけを「どのようにしたら?」に変えるとしたら、どんな言葉になりそうですか?

・その問いに対して、子どもはどんな小さなアイデアを返してくれそうですか?

 

 

 


今日できる小さな一歩

 

今日どこかで一度だけ、
「なんで?」を「どのようにしたら?」に置き換えてみる と試してみてください。
 

 

返ってくる言葉の質が、そっと変わる瞬間があるはずです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日のサスケさん💕

初雪❄️うれしいね☃️

かわいい💕

無意識の言葉が誰かを傷つけていたかもしれない


 

高校生と話しているときに、
 

 

「その言い方、けっこう傷つくんですよ」
 

 

とまっすぐに教えてくれた場面がありました。

 

 

責めるような雰囲気ではなく、ただ事実だけを落ちついて伝えてくれた感じでした。
 

 

その言葉を受け取ったとき、胸の奥が静かに揺れました。
 

“あれ?私も無意識のうちに同じような言葉を使ってきたことがあったかもしれない…”
そんなふうに、これまでの自分の関わり方をふり返るきっかけになりました。

 

 

 

養護教諭をしていたころ、健康診断の日には当たり前のように
「男子はこっち、女子はあっち」
と声をかけていました。
 

 

そのときの私は、流れをつくるための“必要な案内”と思っていました。
 

 

 

でも今ふり返ると、その言葉が性別に違和感を抱える子にとって
小さな痛みになっていた可能性があります。

 

 

悪気はありませんでした。
だからこそ、見えなくなっていたのだと思います。
 

 

大人の“当たり前”が、子どもにとっては重たく響くことがあるということに。

 

 

 

子どもは、違和感をちゃんと感じています


 

学校ではよく「悩みがあったら相談してね」と声をかけます。
 

 

もちろん大切な言葉です。

 

 

 

でも、子どもたちが抱える“違和感”はそのもっと手前にあって、
本人の中ではすでにしっかり存在していることがあります。

 

 

ただ、
 

 

「言っても大丈夫かな?」
「言っても伝わらないかもしれない」
 

 

そう感じると、子どもは言葉を飲み込みます。

 

 


子どもが声を出せないのではなく、
大人がその違和感に気づけていないだけ

 

 

そんな場面も多いのだと思います。

 

 

 

大人が慣れた感覚のままでいると、
子どもの世界の“ざらつき”は見えにくくなります。
 

 

だからこそ、大人がときどき自分の感覚をふり返ることが必要になるのだと思います。

 

 

 

小さな子の疑問が示す、大人の“古い前提”


 

性教育の時間、小さな子がこう尋ねました。

 

 

「むねってプライベートゾーンなのに、なんで男の子は見せてもいいの?」

 

 

その問いは、とてもまっすぐです。
その子にとって胸は大切な部分で、男女の分け方とは関係のない“自分の体の感覚”です。
 

 

けれど、教材の絵では
「女子=胸を隠す」「男子=海パンで胸を出す」
という構図が“当たり前”として示されています。

 

 

幼稚園でも、
“男の子は胸を見せるもの”という前提で話す場面があります。

 

 

でも、小さな子はちゃんとそのズレに気づいているんです。
 

 

「なんで?」「これっておかしいよね?」
 

 

という違和感をまっすぐ感じています。

 

 

 

あのとき、私は気づきました。
アップデートできていないのは、子どもではなく大人のほうだと。

 

 

 

困っている側が、さらにがんばらなくてよいように


 

性別の違和感を抱える子、
“男子だから”“女子だから”の枠にひっかかる子。

 

 

そういった子どもたちは、
“自分から言わないと配慮されない”という構造そのものが負担になっています。
 

 

困っている側がさらにもうひと踏ん張りしないといけない世界は

やさしくありません。

 

 

本当は、
大人が先に気づく
そこからじゃないと、安心できる環境はつくれません。

 

 

大人の感覚が止まっていると、
子どもが先に疲れてしまいます。

 

 

 

子どもの世界に寄り添いたいならまず“当たり前”を疑ってみるところから


 

子どもの世界に寄り添いたいなら、
大人のほうが、自分の“当たり前”に何度でも立ち返る必要があります。
 

 

子どもはすでに感じていて、気づいていて、
大人の感覚のほうが追いつけていないこともあります。

 

 

大人にとっては当たり前でも、
子どもにとってはひっかかりになることがある。
 

 

そしてその違和感は、言葉になる前から、もう子どもの中にあります。

 

 

 

だからこそ、関わるたびに
 

 

“この子はいま、どんなふうに感じているんだろう?”
 

 

と、子どもの側から世界を見直してみること。

 

 

その姿勢こそが、
子どもの違和感に気づき、
子どもと本当に通じ合っていくための土台になるのだと思っています。

 

 

 


■今日の問いかけ

・あなたが「これ、昔の感覚かもしれない」とふと気づいた瞬間はありますか?
・子どもの違和感を受け取れなかった経験はありますか?
・自分の“当たり前”を疑うとしたら、どの部分をふり返ってみたいですか?

 

■今日できる小さな一歩

 

今日ひとつだけ、口にする言葉を意識してみてください。
 

 

その言葉、誰かの違和感を置き去りにしていないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のサスケさん💕

落ち葉🍂とサスケさん🐕同じ色🧡

かわいい💕

久しぶりの小学生の授業へ向かう朝


 

先日、小学校で性教育の授業をしてきました。
 

 

普段は中学生や高校生と関わることが多いので、小学生に会うのは久しぶり。
 

 

「どんな表情を見せてくれるんだろう」
 

 

そんな楽しみと、ちょっとしたドキドキを胸に教室に入りました。

 

 

 

特別支援学級の子どもたちとは、

プライベートゾーンの話と、ふれあいサイコロゲームをしました。
 

 

仲の良い子たちで、サイコロで出たアクションにも「いいよー!」「やろうよ!」と笑顔で応じる姿がほとんど。
 

 

その明るい空気に、こちらまで自然と肩の力が抜けていきました。

 

 

 

「嫌だよ」のあとに自然に生まれた「ごめんね」


 

とはいえ、みんながすべてのアクションを受け入れられるわけではありません。
 

 

中には「ちょっと嫌だ」と感じる子もいて、

素直に「嫌だよ」と伝える場面がありました。

 

 

私はそのとき、
 

 

「嫌だと思ったら“嫌だよ”って言っていいんだよ」
 

 

とだけそっと声をかけました。

 

 

すると、その直後の子どもたちの口から自然と

 

 

「いやだよ。ごめんね。」
「したくないかな。ごめんね。」

 

 

という言葉が続いたんです。
誰も教えていないのに、です。

 

 

 

これには本当に心を動かされました。
 

 

 

クラスの安心感もあるけれど、それ以上に——
 

 

先生方が、日頃から“安心して過ごせる空気”をつくり、お友だちを思いやる心を育ててきたからこそ出てきた言葉だ
と感じたんです。

 

 

「嫌だよ」も大切な気持ち。
「ごめんね」も大切な気持ち。

 

 

どちらも押しつけられたものではなく、

普段の積み重ねがあって自然に出てくる言葉。
 

 

その光景に、胸の奥がじんわり温かくなりました。

 

 

 

高学年の「その子らしさ」があふれた時間


 

次の時間は高学年。
 

 

テーマは〈性被害をどう防ぐか〉。

 

子どもたちに、見た目は子ども頭脳は大人の名探偵になってもらい、
“こんなときA子さんはどうしたらよかった?”という場面をもとに

グループで作戦を考えていきました。

 

 

私がしたのは、意見が出たときに
 

 

「なるほど!」
「そう見るんだね」
 

 

とまず受け止めることだけ。
 

 

そうすると、子どもたちは次々と意見を出し始めました。
 

 

「A子さん、こうできたかもしれない」
「相談できる人って他にもいるよね」
「気づいてほしいときってあるよね」
 

 

そんな“その子らしい言葉”がたくさんあふれてきました。

 

 

 

授業後、養護教諭の先生が
 

 

「普段は見られない姿でした。こんなに考えていたんですね」
 

 

と驚かれていました。

 

 

子どもたちは、安心できる場があると自分なりの言葉や考えを自然と出してくれる。
今日はその大切さを、あらためて教えてもらった時間でした。

 

 

 

外部の授業はその日で終わらない


 

授業をすることで、私が本当に望んでいるのは、
その日に伝えた知識や経験が、子どもたちの日常の中で少しずつ使われていくこと。

 

 

たとえば、ふれあいサイコロゲームのあとに
 

 

「○○していい?」
「嫌だったら言ってね?」
 

 

そんな言葉が生活の中に増えていくようなこと。

 

 

 

もし忘れてしまっても、ふとしたときに
 

 

「そういえば“聞く”って大事だったよね?」
 

 

と思い出せること。

 

 

 

そうやって、授業での体験が毎日の関わりにほんの少しずつ広がっていく。
その積み重ねが、子どもたちの毎日を少しずついい方向へ変えていく。

 

 

 

外部として授業に入る私は、その“最初のきっかけ”をそっと置いてくる役目なのだと思っています。

 

 

 

来週もまた小学校で授業があります。
子どもたちが安心して、

楽しく体験できて楽しく学べる時間を一緒につくれたらうれしいです。

 

 

 


❓問いかけ

  1. 今日見えた子どもたちの姿で、あなたの心が動いたのはどんな場面でしたか?

  2. 子どもが自分の考えを言いやすくなるのは、どんな空気のときでしょう?

  3. 今日の学びが、日常のどんな場面で使われるといいと思いますか?

 

 

 


 

 

 

🌱今日できる小さな一歩

 

子どもの“おっ”と思う発言や表情が出たときに、
心の中でそっと「今のいいな」と気づいてみる。
 

 

それだけで、その子の次の一歩が少し歩きやすくなります。

 

 

 

 

 

 

 

今日のサスケさん💕

パパさんにむりやり服を着せられて絶望ww

かわいい💕

オープンクエスチョンが通じないとき

 

「子どもの気持ちを引き出すには、オープンクエスチョンが大切」
 

 

そう教わって、意識して使っている先生も多いと思います。

 

 

でも、「どうしたの?」「どんな気持ちだった?」と聞いても、
「別に」「わかんない」と返ってくること、ありませんか?

 

 

せっかく心を傾けて聞こうとしているのに、沈黙やそっけない返事が返ってくると、
“私の聞き方が悪いのかな”と感じてしまうこともあるかもしれません。

 

 

 

けれど、オープンクエスチョンがうまくいかないのは、先生のせいではありません。
その子の「言葉にする力」が、いま少し弱っているだけなんです。

 

 

 

 

 


言葉を出すエネルギーが足りない子もいる

 

たとえば、学校に行く気力が出ない子。
悩みや不安を抱えている子。
 

 

そんな子は、頭の中がぐるぐるしていて、
「自分の気持ちを整理する」余裕がないことがよくあります。

 

 

“どうしたの?”と聞かれても、
“どうって言われても……”と感じて、心の中で言葉が見つからない。

 

 

 

だからこそ、「言葉を引き出す」よりも、
“言葉を見つけやすくする”工夫が必要なんです。

 

 

 


 

 

 

セレクトクエスチョンという聞き方

 

そんなときに役立つのが、「セレクトクエスチョン」。
 

 

いくつかの選択肢を示して、子どもが“えらべる”ようにする聞き方です。

 

 

 

たとえば──
 

 

「悲しい・びっくり・イライラ、どれが近い? それとも、どれでもない感じ?」
「今日は行きたくなかった・眠かった・人に会うのがしんどかった、どれっぽい? それとも、ちょっとちがう?」

 

 

こんなふうに3つくらいの選択肢と「どれでもない」を添えると、
子どもは“自分のペースでえらべる”感覚を持てます。
 

 

「どれでもない」と言えることで、

“自分で考えていいんだ”という安心も生まれます。

 

 

 


「えらぶ」から始まる会話

 

悩みや困りごとを聴いていて、子ども自身が整理できていない時もあります。
 

 

そんなときに、
 

 

「話を聴いていると、あなたが悩んでいるのは、友達のこと・勉強のこと・家のこと、どれかな?
 それとも全然ちがう?」
 

 

と聞いてみると、子どもは自分の中を少し整理しながら、
“いま自分は何に引っかかっているのか”を見つめることができます。

 

 

誰かに選択肢を示され、それを自分でえらぶという行為は、
「自分の気持ちはどれに近いだろう?」と内側をのぞく小さなプロセス。
 

 

その瞬間、子どもは少しずつ“自分の気持ちに気づく力”を働かせています。

 

 

セレクトクエスチョンは、答えを導くための質問ではなく、
子どもが自分の気持ちに気づくきっかけを渡す質問なんです。

 

 

 


 

 

 

聞く力は「待つ力」と「選ばせる力」

 

オープンに聞ける日もあれば、セレクトで支えたほうがいい日もあります。
 

 

その子の調子や心のエネルギーに合わせて、聞き方を変えられる先生は、
“その子をよく見ている先生”。

 

 

聞く力とは、言葉を引き出す技術だけでなく、
「今のこの子には、どんな聞き方がやさしいだろう?」と考える力でもあります。

 

 

 

“えらぶ”を手渡すことは、その子の自己理解を支え、
「自分の気持ちを言っていいんだ」という小さな自信にもつながります。

 

 

 


🌿問いかけ

  • この子は今、“えらぶ力”が残っているかな?

  • 私の聞き方、この子にとってやさしいかな?

  • オープンで聞けなかったとき、自分はどんな気持ちになるだろう?

 

 

 


 

 

 

🌱今日できる小さな一歩

次に子どもと話すとき、ひとつだけ“セレクトクエスチョン”を試してみよう。
たとえば「〇〇・△△・□□のどれが近い? それとも、どれでもない?」と、
三択+αで聞いてみるだけでOK。
 

 

子どもの「うん」「それかも」が返ってきたら、それがもう第一歩です。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のサスケさん💕

おーい。もう2時間も歩いてるから帰ろうよー

帰る気ないね笑 かわいい💕

つい「立ち直って」と言ってしまうとき

 

子どもがつらそうにしているとき、
私たちはつい「前を向こう」「立ち直ろう」と声をかけたくなることがあります。
 

 

その言葉の奥には、

「元気になってほしい」「苦しみから抜け出してほしい」という願いがあります。

 

 

 

けれども、ふと立ち止まってみると、
「立ち直る」ことをどこかで“良いこと”として決めつけていないでしょうか。
 

 

もしかしたら、支援する側が「痛みを抱えたままではいけない」と思い込んでしまっているのかもしれません。
 

 

その思い込みがあると、
子どもたちの「いま、つらい」という気持ちに、
ゆっくり寄り添うことが難しくなってしまいます。

 

 

 

 

 


できごとは“なかったこと”にはできない

 

「立ち直る」という言葉には、「元の自分に戻る」という響きがあります。
 

 

けれども、起きたできごとは“なかったこと”にはできません。
心の傷や痛みを完全に消すこともできません。

 

 

 

以前、いじめを経験した生徒がいました。
 

 

その子は、そのできごとを長い間引きずって生きていました。
 

私は、「その時の悲しみや痛みを癒したら、もっと生きやすくなるのに」と感じていましたが、
その子は静かに言いました。
 

 

「起こったことを忘れたくないんです」と。

 

 

その言葉を聞いたとき、私はハッとしました。
 

 

癒すことは、忘れることではありません。
 

 

でも、その子にとって“忘れない”ことは、
痛みを抱えた自分をそのまま大切にするということだったのだと思います。
 

 

 

その姿を見て、私は感じました。
 

 

立ち直るとは、痛みを消すことではなく、
そのできごとを自分の一部として生きていくことなのだ
と。

 

 

 


「折れない心」に潜む思い込み

 

最近よく耳にする“レジリエンス(resilience)”という言葉。
 

 

心理学では「逆境から回復する力」と訳されますが、
本来は「折れたあとに形を変えて生きていく力」という意味に近いそうです。

 

 

しかし日本では「折れない心」と訳されることが多く、
まるで“折れたらいけない”“強くなければならない”という印象を持たれることがあります。
 

 

 

私たち支援者も、その空気を知らないうちに吸い込み、
「子どもには立ち直ってほしい」「前向きでいてほしい」と
無意識に“強さ”を求めてしまうことがあります。

 

 

でも、「折れないことが大事」という思い込みをそっと手放してみたら、
子どもたちの痛みや揺れを、もう少し深く聴けるようになるかもしれません。

 

 

 


「折れてもいい」と思える子どもとの関わり

 

子どもが落ち込んでいたり、心が折れそうになっているとき、
私たちはつい「がんばって」「立ち直って」と励ましたくなります。
 

 

けれども、「折れてもいいよ」と思える関わりの中でこそ、
子どもたちは安心して自分の気持ちを表現できるのではないでしょうか。

 

 

 

誰かに「そのままでいい」と受けとめてもらえたとき、
子どもは少しずつ、自分の中に“生きていく力”を見つけていきます。
 

 

 

支援者の役割は、折れないように守ることではなく、
折れても大丈夫だと思える場をそっと支えること。
 

 

その安心感が、子どもたちが立ち上がる力になります。

 

 

 


思い込みを外した先に見えるもの

 

「折れないことが大事」という思い込みを外してみると、
子どもの“痛み”がただの“弱さ”ではなく、
その子なりの“生きる力のかたち”として見えてきます。
 

 

そして、「立ち直らせよう」とするより、
「今ここ、の気持ちを受け止める」ことの意味が、
少しずつ実感として感じられてくるのではないでしょうか。

 

 

私たち支援者が、
子どものそのままを受けとめられたとき、
 

 

子どもたちは、自分の中にもう一度“生きる力”を見つけていけるのだと思います。

 

 

 


問いかけ

  • 「折れないことが大事」と思い込んでいませんか?

  • “立ち直る”を急がせたくなるとき、あなたの中にはどんな願いがありますか?

  • 「折れてもいい」と思える関わりを、どんな場面で大切にしたいですか?

 

 

 


 

 

 

今日できる小さな一歩

 

誰かが落ち込んでいるとき、「立ち直って」ではなく、
「今のままでも大丈夫」と伝えてみましょう。
 

 

そのひと言が、安心して息をつけるきっかけになるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のサスケさん💕 

かわいい柴ベーグル🥯

美味しそう💕

「どの道に進むか」で悩む季節に


 

進学先を最終決定する季節。

 


「向いているかわからない」「続けられる自信がない」――
 

 

そんな言葉を聴くとき、子どもたちはただ迷っているのではなく、
本気で考えているからこそ悩んでいるのだと感じます。

 

 

大人としてはついアドバイスしたくなりますよね。
 

「資格が取れるから」「この仕事は安定しているから」と、
“手段”の話に焦点を当てて話を進めてしまいがちです。

 

 

でも、職業はあくまで“手段”です。
 

 

「その仕事を通してどんなふうに生きていきたいか」
「どんな貢献をしたいか」を考えることのほうが大切です。
 

 

それが見えていれば、方法(手段)はいくらでも選ぶことができます。

 

 

 

たとえば、「看護師になりたい」という子がいたとします。
 

「向いているかな」「続けられるかな」と悩むとき、
看護師という“手段”に注目すると、就職率や給料の話になってしまいます。
 

 

でも、「看護師になってどうしたいの?」と尋ねると、
 

「患者さんを笑顔にしたい」「病気でつらい人を元気づけたい」といった“目的”が見えてきます。

 

 

その目的を叶えられる仕事は、看護師だけではありません。
 

医師かもしれないし、技術者やセラピストかもしれません。
 

 

それでも「やっぱり看護師がいい」と思うなら、
“看護師になること”を目標にするのではなく、
「どうなりたいか」を目標にすればいいのです。

 

 

 

 

 


辞めたけれど、想いは変わらなかった


 

私は、もともと養護教諭をしていました。

 


子どもの頃からの夢で、ようやく叶えた仕事でした。
 

中高生と関わる仕事がしたくて、
生徒の話を聴き、一緒に考え、解決していく――
そんなことがしたくて養護教諭になりました。

 

 

けれど、学校というシステムの中で感じた難しさもあり、
やがて辞めることを決めました。

 

 

今はスクールカウンセラーとして働いています。
 

場所は変わりましたが、やっていること・やりたいことは変わっていません。
 

中高生と関わり、話を聴き、共に考える。
私が大切にしたい“目的”は、ずっと同じなのです。

 

 

 


“手段”はいつでも変えていい


 

進学先や職業というのは、“ゴール”のように見えますが、
本当は“目的を実現するための手段”のひとつにすぎません。

 

 

 

心理学者のアドラーは、「人は目的をもって行動している」と述べています。
 

つまり、どんな行動にも“こうなりたい”という意図があるということです。
 

 

だからこそ、進路を考えるときも「何をするか」ではなく、
「どんな自分でありたいか」を見つめることが大切なのです。

 

 

 

「やってみて違った」と思ったら、変えてもいい。
 

 

目的がはっきりしていれば、
そのための手段は何度でも選び直すことができます。

 

 

子どもが迷っているときこそ、
「どっちが向いている?」ではなく
「その道のどんなところに惹かれるの?」と聴いてみてください。
 

 

その問いかけが、子どもが自分の心と対話するきっかけになります。

 

 

 


子どもと“目的”を語り合う関わり


 

進路の話というのは、つい“答え探し”のようになりがちですが、
本当は“自分の中にある想いを見つめる時間”なのだと思います。

 

 

大人が“問いを投げる存在”になることで、
子どもは少しずつ、自分の中にある答えを見つけていきます。
 

 

「目的」が明確になれば、
どんな道を選んでも、それを自分の人生として歩いていけるのです。

 

そしてその力は、進路だけでなく、
これからの生き方そのものを支える土台になります。
 

 

私たち大人にできるのは、“答えを示すこと”よりも、
“問いを通して、子どもが自分の中の答えに出会うきっかけをつくること”なのだと思います。

 

 

 


🔹問いかけ

  • 子どもが選ぼうとしている“理由”を、聴いたことがありますか?

  • 「向いている」「安定している」以外にその子が大事にしたいことは何?

  • 子どもが迷っているとき、どんな問いを投げかけたいですか?

 

 

 


 

 

 

🔹今日できる小さな一歩

 

子どもが何かを選ぼうとしているとき、
まず「どうしてそれをやってみたいと思ったの?」と聴いてみましょう。
 

 

その問いかけひとつで、
子どもは“自分の目的”に気づき始めるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のサスケさん💕

お散歩行きたい!早くして!!

かわいい💕

 

子どもの「かばう言葉」に出会うとき

 

子どもと話しているときに「お母さんのことで困っている」と言ってくれると

正直ほっとすることがあります。
 

 

先生たちからも「お母さんへの不満とか、話してくれたらいいですよね」と言われることがよくあります。
 

 

私自身も、そう思う瞬間があります。
 

 

でも実際には、

「でも、お母さんも私のことを考えてくれてるんです」とか

「不器用なだけなんです」といった“かばう言葉”がほとんどの場合に続きます。

 

 

 

 

 


先生たちが願うこと、子どもが見せる姿

 

先生たちがよく言う

「お母さんへの不満とか、話してくれたらいいですよね」という言葉。
 

 

その気持ちは、子どもをもっと理解したい、助けたいという思いからなんです。
 

 

私もその気持ちはよくわかります。

 

 

けれど、お母さんとの関係で深く傷ついている子にとっては、
お母さんへの不満や愚痴を話すことはとても難しい。
 

 

とくに、自分の苦しさの原因が“お母さんかもしれない”と感じている子ほど、
お母さんを悪く言うことは、自分を否定するような怖さにつながる。
 

 

 

だからこそ、

「お母さんもがんばってるんです」「不器用なだけなんです」と言葉をつなぐんだと思います。

 

 

「お母さんをかばう」というより、
「お母さんを信じていたい」「愛されていたい」――そんな願いが、その言葉の奥にあるように感じます。

 

 

 


「愚痴」と「かばう言葉」はセットで出てくる

 

最初は「なぜ?」と思っていたけれど、

話を聴いていくうちに少しずつ見えてきました。
 

 

子どもにとって、愚痴は“思わずこぼれてしまった本音”のようなもの。
「つらい」「わかってもらえない」――その瞬間だけ、心の中の痛みが表に出る。
 

 

でも、言葉にしてしまったあとに「しまった」と思う子も少なくありません。
 

 

それを認めてしまったら、

“お母さんを信じてきた自分”まで否定することになるから。

 

 

だからすぐに、「でも、お母さんもがんばってるんです」「不器用なだけなんです」と言葉をつなぐ。
 

まるで、自分の中に生まれた“絶望の芽”を打ち消すように。

 

 

 

愚痴は、現実の痛み。
かばう言葉は、“希望を手放したくない”という心の動き。
 

 

そのふたつがいつもセットになって、子どもの中で行き来しています。

 

 

 

私は、そんな言葉を聴くたびに思うんです。
 

 

子どもは、愚痴をこぼしながら、かばいながら、
必死に「愛されたい」と訴えている。
 

 

「それでも、お母さんを信じたい。」――その気持ちの奥には、
“私は愛されているんだ”と信じたいという、強い希望が確かにあるのだと思います。

 

 

 


願いを壊さずに聴くということ

 

だから私は、無理に「お母さんの愚痴を言わせよう」とはしません。
 

 

「どう思っているの?」よりも、

「どんな関係になれたらいいと思う?」「どんなお母さんだったらうれしい?」

とたずねるようにしています。
 

 

その“なりたい未来”を話すことの中にこそ、
子どもの願いが隠れているように感じるからです。

 

 

そして、その願いがどんなに小さくても、私はそれを壊さないように聴きたい。
 

 

「そうなれたらいいね」「そう思えるお母さんになってほしいね」――
 

 

そんなふうに、その子が描く理想の関係を一緒に見つめる時間を大切にしています。

 

 

 

子どもの中にある“こうなれたらいいな”という思いを言葉にしていくことが、
次の一歩を見つけるきっかけになるからです。

 

 

 


“守りたい気持ち”ごと信じたい

 

子どもが母親をかばう姿を見ると、やっぱり切なくなります。
 

 

けれど今は、その中にある“愛を信じたい気持ち”をまるごと信じようと思うんです。
その気持ちがあるからこそ、子どもは前を向こうとする力を持てるのかもしれません。

 

 

だからこそ、その“信じたい”という思いを壊さないように、
そっと寄り添うことが必要なんだと思います。
 

 

それが、こうした子どもたちにできる支え方のひとつなのかもしれません。

 

 

 


 

 

 

今日の問いかけ

  • あなたが最近出会った「かばう言葉」にはどんな願いが隠れていそうですか?

  • 子どもの“こうなれたらいいな”という思いをどんなふうに聴いてみたいですか?

  • 子どもの願いを壊さずに受けとめるために、あなたができる小さな一歩は?

 

 

 


 

 

 

今日できる小さな一歩

 

子どもが誰かをかばうような言葉を口にしたとき、
「この子は、どんな関係を願っているんだろう?」と、
心の中でそっと問いかけてみてください。
 

 

その視点が、子どもの本当の思いに寄り添う第一歩になります。

 

 
 
 

 

今日のサスケさん💕

なんておブスなお顔!!

でも、そんなサスケさんもかわいい💕

シャンパンタワーの法則とは?

 

「シャンパンタワーの法則」って聞いたことありますか?
人間関係のエネルギーの流れを、シャンパンタワーで表した考え方です。

 

 

1段目は「自分自身」、
2段目は「家族やパートナー」、
3段目は「友達や同僚」、
4段目は「お客様や社会」。

 

 

一番上のグラスから注がれたシャンパンが、
あふれて次の段へ、そしてその下へと流れていく。
 

 

このエネルギーをきれいに循環させるには、
まずは一番上――「自分自身」を満たすことから始まります。

 

 

 

自分が満たされることで、自然とやさしさが広がり、
まわりの人たちへも伝わっていく。
 

 

そう考えると、「まず自分を大切に」という言葉にも深い意味がありますよね。

 

 

 

 

 


「自分を満たす=わがまま」なのか?

 

ただ、最近「自分を満たす」という言葉を
少し勘違いしている人も多いように感じます。

 

 

シャンパンタワーでたとえると、こんな状態です。

 

 

① 自分だけ大きなグラスになっている。
 

自分ばかり特大サイズのグラスで、下の段にはもう届かない。
「自分さえよければいい」という状態です。
これでは流れが止まってしまいます。

 

 

② 注ぎ方が雑になっている。
 

「自分を満たさなきゃ!」と焦って、
勢いよく注ぎすぎて泡だらけ。
せっかくのエネルギーがこぼれてしまい、まわりのグラスも汚れてしまいます。
 

本当の“満たす”は、静かで丁寧。
ゆっくり注ぐからこそ、下の段にもやさしく流れていくのです。

 

 

③ 自分の段で止めてしまう。
 

「自分ばかり満たされるなんて申し訳ない」と、流れをせき止めてしまう。
でも、本来はあふれた分が下へ自然に流れていく仕組み。
自分が満たされることは、誰かを満たす準備でもあるんです。

 

 

 

どの状態も“悪い”わけではありません。
 

 

ただ、流れが滞っているだけ。
 

 

シャンパンタワーは、上から下へ、ゆるやかに流れてこそ美しい。
大切なのは「ちゃんと流れてる?」と自分のグラスを見つめることなんですよね。

 

 

 


満たし方は人それぞれ

 

私自身、長い間「子どものために」と頑張ってきました。
 

 

子どもたちの笑顔を見るのが何よりの喜びで、
自分のことはいつも後回し。

 

 

だから“自分を満たす”って言われても、正直どうしていいかわかりませんでした。
 

 

 

そんなとき、ある人にこう言われたんです。

 

 

「えみちゃんが子どものためにやってることって、
回り回ってえみちゃん自身のためになってるんだね。」

 

 

その言葉にハッとしました。
 

 

ああ、私の満たし方ってこうなんだ、って。

 

「自分のために何かをする」だけが満たすことじゃなくて、
「誰かの笑顔を見ることで、自分が満たされる」っていう形もある。
 

 

自分を大切にするって、決して一つのやり方じゃないんですよね。

 

 

 


自分のグラスを見つめてみよう

 

人によってグラス満たされ度合いは違います。
 

だからこそ、誰かのグラスと比べる必要はありません。
 

 

「もっとこうしなきゃ」「あの人みたいにできない」と焦るより、
自分のグラスが今どんな状態なのか、静かに見てみること。
 

 

それが“自分を満たす”の第一歩です。

 

 

 

満たすって、特別なことをするわけじゃない。
 

 

好きな音楽を聴く、
おいしいお茶をゆっくり飲む、
「今日もよくやったね」と自分に声をかける。
 

 

そんな小さな時間の積み重ねが、
グラスの中に少しずつエネルギーを充していきます。

 

 

そして、こうやって自分を充していく方法を
たくさん知っておく・用意しておくことが大切です。

 

 

もし今、グラスの中にエネルギーがほんの少ししかなくても、
その“充し方”を知っていれば、自分で整えることができる。
 

 

そして、今すでにたっぷり満たされている人は、
そのエネルギーをますます豊かにして、
自然とまわりに注いでいくことができる。

 

 

グラスの形も、大きさも、注ぐペースも人それぞれ。
大切なのは、どんな状態でも「今の自分のグラスを見てあげる」ことなんですね。

 

 

 


“満たす”は比べない。人それぞれの流れでいい

 

シャンパンタワーの法則が教えてくれるのは、
“順番”よりも“流れ”の大切さかもしれません。

 

 

自分のグラスを見つめ、ていねいに注ぐ。
 

 

その流れが自然に次の段へ伝わっていくとき、
不思議とまわりとの関係もなめらかに整っていきます。

 

 

自分のグラスを、よく見てみてください。
 

 

今、どんな形や大きさをしていますか?
どのくらいエネルギーが注がれているでしょう?
 

 

もしかしたら、もうあふれそうかもしれないし、
まだほんの少ししか入っていないかもしれない。
 

 

どんな状態でも大丈夫。
 

 

気づいたその瞬間から、また流れが動き出します。

 

 

 


🌱問いかけ

・あなたの“満たす”って、どんな形をしていますか?
・最近、自分のグラスをじっと見つめたのはいつですか?
・今の自分に、どんな一滴を注いであげたいですか?

 

 

 


 

 

 

🚶‍♀️今日できる小さな一歩

 

今夜、寝る前に「今日のよかったこと」を3つ書き出してみましょう。
それが、自分のグラスに静かに注がれる最初の一滴になります。
その一滴が、明日のやさしさにつながります。

 

 

 

 

 

今日のサスケさん💕

真っ暗になったよ、帰ろうよ?

帰りたくないサスケさん…かわいい💕

その子の話を聴いた日のこと

 

その子の話が、最初は信じられませんでした。
 

 

でも、淡々と語る表情があまりに静かで、本気だと感じました。
 

 

耳を疑いました。
嘘であってほしいと、心のどこかで思いました。

 

 

それでも私は、その子の話を最後まで聴きました。
 

 

聴きながら心の中で何度も揺れていました。
 

 

「誰にも話してはいけない」と思う一方で、
「このままではこの子がつらすぎる」とも感じたのです。

 

 

 

 

 


共有することが、守ることになるのか

 

スクールカウンセラーとして働く今も、
養護教諭だった頃と同じように迷うことがあります。
 

 

子どもが安心して話してくれた内容を、
どこまで学校に共有すればいいのか。

 

 

「伝えなければ誰も理解できない」と思うこともあります。
けれど、伝えることでその子が居場所を失うかもしれない。
 

 

「守ること」と「伝えること」、そのあいだで私はいつも立ち止まります。

 

 

 


“温度差”の中に立ちすくむ

 

先生たちに話を共有したあと、空気が少し変わりました。
 

 

ある先生は心配そうに何度も質問してきて、
「すぐに対応しなきゃ」と動き出しました。
 

 

一方で、別の先生は「そんなのよくある話だよ」と肩をすくめました。

 

 

 

同じ話なのに、受け止め方がこんなにも違う。
誰かは過剰に反応し、誰かは軽く流す。
 

 

その“温度差”の中に立っているとき、
私はいつも、自分の声の届け方を考え直します。

 

 

どう伝えるかによって、子どもを取り巻く状況は大きく変わってしまいます。
 

 

支援は、子どもだけを見ていればいいわけではありません。
その子を囲む大人たちの温度を感じながら、
どんな波を起こすかまで想像して言葉を選ぶ。
 

 

それが、学校という現場で支援を続けるということなのだと思います。

 

 

 


私は、何を守ろうとしているのだろう

 

そんなとき、ふと思います。
 

 

私は本当にこの子を守っているのでしょうか。
それとも、自分を守っているのでしょうか。
逃げているだけなのではないでしょうか。

 

 

その問いには、今も答えが出ません。
 

 

でも、迷っているということ自体が、
子どもを大切に思っている証なのかもしれません。



 

正解ではなく、立場を決めておく

 

私は、自分の考えが正解だとは思っていません。
 

 

大切なのは、「どんな立場で子どもと関わるか」を
自分の中で決めておくことだと思っています。
 

 

その立場がはっきりしていれば、
迷っても、揺れても、また自分の場所に戻ってこられます。

 

 

情報を共有するときも、
「誰に」「どんな目的で」伝えるのかを、
その都度、丁寧に選びたいと思います。



 

一緒に考えていきたい

 

私は今も、共有するかどうかで迷うことがあります。
 

 

でも、この迷いを消してしまったら、
きっと誰かの痛みに気づけなくなるような気がします。

 

 

だからこそ、同じように迷う人と、考え続けたいのです。
 

 

 

私も答えを知らないけれど、
 

あなたならどうしますか?
 

その問いを、持ち続けていけたらと思います。

 

 

 


◇問いかけ

  • あなたは「守る」と「伝える」の間で迷ったことがありますか?

  • そのとき、何を守りたいと思いましたか?

  • 情報を伝えるとき、どんな“波”が起きるかを想像していますか?



 

◇今日できる小さな一歩

 

迷ったときに、「この選択で守りたいものは何ですか?」と自分に問いかけてみましょう。
 

 

答えがすぐに出なくても、その問いを持ち続けることが支援の第一歩です。

 

 

 


◇noteもどうぞ

 

こちらから

 

 

 

 

 

 

今日のサスケさん💕

今日も道草を食うww

かわいい💕

「なんとかしてあげたい」と思うとき

 

誰かの相談を受けたとき、

「なんとかしてあげたい」と思ってしまうことありませんか?
 

 

苦しそうな顔を見ると、放っておけない。
どうにかしてあげたい。
 

 

その気持ちは、まちがいなく優しさから生まれるものです。

 

 

 

けれど、あるとき思ったんです。
 

 

その「なんとかしてあげたい」という思いが、
相手の中にある力を見えなくしていたのかもしれない、と。

 

 

 

 

 


師匠の言葉が胸に残っている

 

ある日、とても過酷な状況にある生徒の相談を受けました。
 

 

どう関わればいいのか分からず、私は師匠に相談しました。
そのときに言われた言葉が、今もずっと心に残っています。

 

 

「どうにかしてあげたいと思うのは、

その子の力を信じていないってことだよ。」

 

 

そのときは、少し冷たく聞こえました。
 

 

でも、あとになって分かったんです。
 

 

 

私はその子を「何もできない子」として見ていた。
助けたい、支えたいと思いながら、
どこかで“この子には力がない”と決めつけていた自分がいたことに気づきました。

 

 

 


「知っている」という関わり方

 

それから私は、「助ける」や「支える」という言葉よりも、
「知っている」という感覚を大切にするようになりました。

 

 

子どもたちは、どんなときもちゃんと力を持っている。
たとえ言葉にできなくても、助けを求められなくても、
その中にはちゃんと生きようとする力がある。

 

 

そのことを知っている大人でいたい。
 

 

「この子はきっと大丈夫」と知っていれば、
手を伸ばすタイミングを見誤ることはあまりありません。
 

 

その子が「助けて」と言ったときに、自然に手を伸ばせばいい。
 

 

 


「何もできない子」なんていない

 

もちろん、助けたいと思う気持ちはやさしさです。
 

 

けれど、それが強くなりすぎると、
子どもを「何もできない存在」として見てしまう。
 

 

その視点のまま手を伸ばすと、
子どもが自分の力を信じるチャンスを奪ってしまうこともある。

 

 

子どもの中にある“力”は、ひとつじゃありません。
 

 

自分で立ち上がる力

誰かを頼る力
涙を流す力

助けてと言える力。
 

 

そのどれもが、生きようとする力です。

 

 

私たちにできるのは、

その力がすでにそこにあると知って関わることだと思います。

 

 

 


子どもには、ちゃんと力がある

 

子どもには、ちゃんと力がある。
それは、“一人で何でもできる”という意味じゃない。
 

 

助けを求めることも、人を頼ることも、力のひとつ。

 

 

子どもたちは、何かを乗り越えようとするたびに、
自分の力の使い方を少しずつ覚えていく。
 

 

その力を、心の底から信じられる大人でいたいと思います。

 

 

 


🌱問いかけ

  1. 最近、「なんとかしてあげたい」と思ったのはどんなときでしたか?

  2. その子の中にある“力”を感じた瞬間はありましたか?

  3. あなたにとって、「知っている」とはどんな感覚でしょう?

 

 

 


 

 

 

🚶‍♀️今日できる小さな一歩

 

誰かの話を聴くとき、心の中でそっと言ってみてください。
 

 

「この人には、ちゃんと力がある」
 

 

それだけで、関わり方の根っこが変わるはずです。

 

 

 


🪶noteもどうぞ

 

こちらから

 

 

 

 

 

 

今日のサスケさん💕

草むらに顔突っ込んで…種だらけww

かわいい💕