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安藤忠雄『建築を語る』を語る

■現在、建築家で認知度の高い安藤忠雄。ぼくは彼のポストモダンを思わせる表層に(いつもどおり)何となしの嫌悪感を抱いていた。
■建築に最近興味を抱くようになったぼくは(いつもどおり)何となしにこの本を手に取った。そこに書かれてあるのは、意外にも(!?)モダンに関する地に足のついた論議だった。彼は冒頭でポストモダンを以下のように切り捨てる。
■「乱暴にいえば、そのデザインの根拠は、哲学や言語学の理論などを援用し理論武装した上での、作者の直感ということになるのではないでしょうか。単にデリダの哲学理論であるディスコンシトラクションという言葉の、何か破壊的で先鋭的なイメージを形態に引用したに過ぎないように思うのです」
■ぼくにとっては、安藤こそに「破壊的で先鋭的なイメージ」を抱いていただけに、この論説に転倒してしまったわけだ。
■ところで、安藤は建築の周辺にある「事態」を咀嚼した上で建築が成り立つことを声高にする。
■確かに駅前開発よりも、最上川を媒介として建てられた酒田の山居倉庫のほうが「成り立ち」を理解できる。
■いい例は山形県庁だろう。人は文翔館が県庁だと七日町の果てにある佇まいと昼食時の賑わいを懐かしむ。料亭文化もあったという。ただ、時の流れによって機能性は失われる。そこで現在の県庁があるわけだ。しかし、今の県庁に文翔館時代の「事態」が発生はしない。
■このようにして、ぼくの思考は安藤の建築の周辺にある「事態」を咀嚼した上で建築が成り立つことに帰結してしまう。ぶっちゃけ、再評価。

視線の先のニヴァウド

■モンテディオ山形がまた負けた。開幕3連敗。来週のゲームを落とすと、いよいよ柱谷政権も危うい。さすがに観る側も、ああいったゲーム内容では観戦モチベも凋落の一途を辿ってゆく。99年シーズンのヴァンフォーレ甲府が描いた26戦勝ち無しの荒野は確かに眼前に広がる。
■先制ゴールはニヴァウド。確かなインパクトで放たれたミドルシュートは、NANA-BEANS観戦用・大型スクリーンの前を歓喜に満ちた様々な手が遮ってくれた。見たことも話したこともないモンテディスタと1つのゴールをきっかけに抱きあって喜びを分かち合う瞬間はなかなかにいい。
■さて、今はEURO2004のリヒテンシュタインvsイングランドを観戦中。イングランドのユニフォームが替わったようだがダサい。襟を復活させたことがニュースになっているようでは、とぼくは思う。
■ユニでホットなのは、イタリア代表。EURO2000でのロスタイム準優勝とベスト16に終わったWCの因縁がこびりつくkappaのピタユニを辞めて、pumaのチャイナドレス襟のユニを採用した。これがカッコいい。「ユニフォーム=型」なのに「左右非対称の襟元」ってのがいい。インナーには黒のタートルネックが着用可。フィリッポ・インザーギ、めちゃ似合ってた。
■で、この「pumaのチャイナドレス襟のユニ」。今シーズンのJリーグでは、ジュビロ磐田と水戸ホーリーホックが採用している。昨年完全制覇の磐田とJ2首位の水戸。…状況はホットだ。
■pumaは、adidasの15%程度の利益しかない企業らしいが、ぼくはスパイクのラインとスウェットの丸みが好きだ。
■本場ドイツでは「男はadidas、女はpuma」っていうのが常識なんだけれど。

ギミック・フィルター

■村上隆のポップイメージがルイ・ヴィトンのデザインに採用されたらしい。
■「僕はartをメディアにしたいんだ」と、かつて発言した作家に、ぼくはどことなく違和感を感じる。
■村上の発言が定義として認識した時、従来の「メディア」の周辺事態も美術にトレースは可能なのだろうか。
■「artのメディア・リテラシー」に「artのメディア露出」。そんな用語を仮想すると、20世紀の美術はいかにしてそれら(メディア=TV)を拒否してきたかが浮き彫りにはならないか。
■アンチテーゼ、アンフォルメル、モラトリアム、パンク、アナーキー、ポストモダン。
■すべては2項対立のうちに成立し、上記の用語らはモダニズムやアカデミーと対峙してきた。村上はartをモダニズムの本流へと遡行させる要素を冒頭の言葉に託していたのか。
■それは違うと言えるが、断言できる要因がない。それがぼくの違和感。多層化したフィルターを捉えることはできるが、ギミックを認識できない。
■モダニズムのギミックは「メディウムの認識と効果」にある。村上の作品にメディウムの効果は見いだされるが、認識が見当たらない。
■ヴィトンのバッグに採用された効果は想像できるが、バッグというメディウムに何を認識しえるのか。60年代にイヴ・サンローランがモンドリアンの絵画をノースリーブに採用したことのほうが遥に「ポップ」だと思うのだが。