『耐雪梅花麗』。黒田選手の座右の銘。
「ゆきにたえてばいかうるわし」と読みます。
梅の花は、冬の雪や厳しい寒さを耐え忍ぶからこそ、初春に美しい花を咲かせ、かぐわしい香りを発するということから、「苦難や試練を耐えて乗り越えれば、大きく見事な成長が待っている」というたとえとして使われています。
今月18日、広島カープの黒田博樹投手が、広島市内のホテルで記者会見を行い、今季限りで引退することを表明しました。
カープファンとしては、覚悟はしていたものの、やはり寂しいものでした。
黒田選手は、座右の銘「耐雪梅花麗」を体現したような選手でした。
高校時代、大阪の名門・上宮高校では、3番手投手として名を連ねるも、これといった実績は作れず、進学した専修大学においても大きな活躍は出来ませんでした。
それでも「打たれた時、失敗した時の姿が印象的」という理由で、ドラフト逆指名2位で広島カープに入団。
入団当初は思うような投球が出来ず、今年、200勝記念として作られ、話題となったTシャツ『あの黒田さんがまさか…1イニング10失点@由宇』にあるように、2軍戦で1イニング10失点という試合もありました。
しかし、そこから徐々に成績を上げ、入団4年目の2000年には、4連続完投勝利を挙げ、入団5年目の2001年には、初の二桁勝利を達成します。
2005年には、同じく今年引退を発表した横浜の三浦大輔投手と、互いに完封リレーを行い0-0というスコアで引き分けるなど活躍し、最多勝利という初のタイトルを獲得します。
しかし、当初の広島カープは超低迷期。
どれだけ素晴らしい成績を残そうと、優勝はおろか、Aクラス(3位以内)に入ることすら許されない状況でした。
そして、2006年。
FA権を取得し、他球団への移籍が可能となった年、悩む黒田選手に対し、広島カープファンは突如
『我々は共に闘って来た 今までもこれからも… 未来へ輝くその日まで 君が涙を流すなら 君の涙になってやる Carpのエース 黒田博樹』
という巨大横断幕を掲げ、引き留め運動を行うと、そのファンの気持ちに打たれ、残留会見で「僕が他球団のユニフォームを着て、広島市民球場でカープのファン、カープの選手を相手にボールを投げるのが自分の中で想像がつかなかった。僕をここまでの投手に育ててくれたのはカープ。そのチームを相手に僕が目一杯ボールを投げる自信が正直なかった」
と発言し、残留を決定します。
そして1年間投げぬいた後、夢だったメジャー移籍。
メジャーでの実績は知っての通り、5年連続2桁勝利を達成するなど、「メジャー屈指の投手」へと成長し、最終年には年俸20億とまで言われる大型契約を打診されます。(成績もそうですが、メジャーの投手が大きな怪我もせず、ローテーションを守り続けたことが大きな評価に繋がっているそうです)
その契約を蹴り、まさかの広島カープ復帰。
広島中が大騒ぎとなりましたよね(笑)
「帰ってきてほしい」と願ってはいたものの、もはや雲の上の存在のようになっており、もう帰ってこないんじゃないかと諦めていたファンも多かったと思います。
まさに「男気」でしたよね。
復帰1年目。
前田健太投手との2枚看板となり、誰もが優勝を疑わなかったシーズンにまさかの4位。
前田健太投手のメジャー挑戦はもちろん、黒田投手の去就も噂されていました。
黒田選手の答えは「残留」でした。
このままでは終われないと、痛み止めを複数打ちながらの投球を続け、7月23日の阪神戦で日米通算200勝を達成。
そして9月10日の巨人戦、優勝がかかった大事な試合で先発として投げ、念願の25年ぶりの優勝に、勝利投手として花を添え、緒方監督、新井選手とともに胴上げをされることとなりました。
黒田選手の涙は、優勝シーンの中でも特に印象的でしたよね。
入団以降1度も優勝できなかったチームで、10勝をあげ25年ぶりの優勝に貢献。
そして引退。
美しすぎる引退ですよね。
まさに「耐雪梅花麗」そのものです。
広島カープにとって、黒田選手は絶大な影響を与える選手でした。
低迷期には、タイトル獲得などでファンに夢を与え、現在は、若手選手の手本となり、今年活躍した選手の多くが、黒田選手の影響を受けているようです。
今月22日からは、日本一をかけた日本シリーズが始まります。
相手の日本ハムファイターズも、エース左腕だった武田勝投手の引退が発表されており、どちらも負けられないシリーズとなります。
黒田選手の野球ドラマに、どのような終止符が打たれるのか、そして、どのような投球を魅せてくれるのか、すごく寂しいですが、ファンとして現役最後の投球を熱く見守りたいですね。
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