「時代に参加しよう!」(by PUSHIM) | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 

 PUSHIMねえさんが沖縄のフェスで「今の時代に参加するということ。具体的には選挙に行ってください」と話している(上の動画)。最近は,ヒップホップやレゲエのアーティストでもこういう事を言う人がほとんど居なくなった。よく聞く言い訳は,「音楽に政治を持ち込むな」「音楽を何かの道具に使うな」というものだ。スポーツでも同じようなことが言われる。「スポーツと政治は関係ない。スポーツに政治を持ち込むな。」

 

 だが実際のところは,「政治のことを言うといろいろと面倒だ」とか「スポンサーがつかなくなる」「仕事が減ってしまう」といった懸念や圧力が彼ら・彼女らに働いているのだろう。とは言え,そんな本音は言えないから,「スポーツや音楽に政治を持ち込むな」と言って体裁を取り繕う。

 

 いずれにしても,そのように政治的なことに触れないでいること自体が実はすでに政治に取り込まれているのである。そのことをアスリートやアーティストたちはよくわかっていない。音楽やスポーツにおいて政治をテーマにしないことは今現在の政治権力者にとっては都合が良いわけで,恋だの愛だのとラブソングを歌ったり,勝利至上主義で勝ち負けに拘っていてさえくれれば,それが一番有難い。こうして影響力の大きいアーティストやスポーツ選手は政治的に骨抜きにされ,飼い慣らされていく。そういう政治的脱色化・無力化が今日では,社会の矛盾や差別に敏感なはずのアンダーグラウンドのアーティストにも及んでいるのを私は実感するのである。

 

 それどころか,自ら権力者におもねり,悪政に手を貸す人気プロレスラーまでいて頭が痛い。この鈴木みのるが新日本プロレスやパンクラスで追い求めてきた強さとか闘いとは一体何だったのだろうか。「長い物には巻かれろ」的に思考を停止して大衆と権力に媚びを売ることが,結局のところ彼の強さの証明なのだろう。「都電プロレス」にとって東京都は大切なパトロンとは言え,このパフォーマンスには誰しも幻滅しただろう。

 

 

 そんな時代状況の中でもPUSHIMが「搾取」や「戦争」を自分たちの身近なこととして考えようと,相変わらず政治的な切り口で話をしていたのは嬉しかった。もちろんソウルフルな歌声は健在だ。黒人の魂を持っている数少ない日本のレゲエシンガーだと思う。ここ最近は急な暑さで体調が悪いが,ねえさんの歌声を聴くと気力が回復してくるのを感じる。歌には確かに力がある。

 

 10年前(2014年)の都知事選の時,ECDさんがKダブシャインと一緒に渋谷をジャックしてライブをやった。「選挙に行くって約束しろよ,選挙行かなきゃ歌わないぞ」と言って,聴衆に投票を呼びかけていた。今こんなことを言えるラッパーはいない。歌の最後でも「ロンリーガール,ロンリーガール,選挙行こう!」と歌詞を変えて絶叫していた。

 

 翌2015年に青山のクラブでECDさんと初めて話した。と言っても,「脱原発の運動を応援してます」と私から一言だけ。ECDさんは軽く頷いただけで特に返答はなかった。2018年,ECDさん死去。もうああいう風に政治のことを正面から語るラッパーは出てこないかもしれない。そう思うと残念でならない。

 

 ECDには「MASS対CORE」という楽曲がある。鈴木みのるのようにCOREであることを忘れて,MASSに埋没してはいけない。そんな趣旨の歌だ。ECDが言うようにMASSに流されてはいけない。時代の傍観者であってはならない。CORE(思想)を持って時代に参加しよう。それがPUSHIMやECDの言いたいことだろう。「ロンリーガール,立ち上がれ!ロンリーガール,投票しよう!」