川名壮志『記者がひもとく「少年」事件史』(岩波新書) | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 一昨日は日経平均株価がバブル以来の最高値をつけ,メディアでも大きく取り上げられた。およそ35年ぶりの高値更新だが,この間,欧米の株価が右肩上がりだったのに対して日本の株価が低迷していたことは,まさに日本の「失われた30年」を象徴していたと言える。グローバル資本主義が席巻する中で,企業は国際競争力を失い,労働者の実質賃金もだだ下がりで,成長できないデフレ体質が日本経済に染みついた。その間,新自由主義的経済政策のもと,自己責任論が台頭し,社会に浸透・定着した。

 

 日経平均が史上最高値をつけた日,私はちょうど掲題の本を読んでいて,「失われた30年」というのは,経済だけの話ではなくて,実は「少年」についても言えるのではないか,と思った。この30年で「少年」もまた失われたのである。

 

 「少年」が失われたとは,どういうことか――。本書は,新聞報道を通じて戦後の少年事件をたどり,「少年」とは何かを考察している。著者は20年近く少年事件を取材してきた新聞記者でもある。その著者が主張するのは,「少年」像は時代によって変化してきたということである。

 

新聞の紙面をめくってみると,戦後から現在にいたる過程で,世間がとらえた「少年」像は,そのイメージがはっきりと変化してきている。…「少年」は,常に時代によって相対的に位置づけられているにすぎない。…絶対的な「少年」の実像など,どこにも存在しないのである。

(川名壮志『記者がひもとく「少年」事件史』岩波新書p.211)

 

 

 じゃあ,世間がとらえた「少年」像はどう変容してきたのか――。本書は,戦後復興期(第1章)から,裁判員裁判が導入された2010年代(第8章)までの8期に分けて少年事件を検証し,各時代の「少年」像を示している。その8期に分けられた少年事件史の中でも最大の分岐点は,1997年の神戸連続児童殺傷事件であった。

 

神戸の事件より前の「少年」は,政治テロリストでも,ツッパリでも,「反社会」型だった。だが,それ以後は,いきなり事件を起こす「非社会」型の少年だ。歳月を経て「少年」像は,大きく変わった。

(同書p..216)

 

 つまり,この14歳の少年が起こした神戸の事件までは,メディアも世間も,少年事件を社会情勢と結びつけてとらえていた。60年代ならば,山口二矢は右翼の政治少年であり,永山則夫は極貧の中で育った少年であり,いずれも社会の端っこに追いやられた異端児的な存在とされた。80年代は,親子や学校に背景があるとされた少年事件に世間の注目が集まった。

 

 だが,バブル絶頂の80年代後半には,そうした型にはまらない事件も起こっていた。目黒中2少年祖母両親殺人事件,名古屋アベック殺人事件,綾瀬女子高生コンクリート殺人事件などである。当時,メディアはこれらの事件をさほど大きくは取り上げず,個別の子どもの事件として目をつぶった。つまり,社会情勢や家庭・学校を背景とした,それまでの枠組みを逸脱して,大人顔負けの残忍な手口で人を殺める「少年」を正面からはとらえきれなかったのである。

 

 バブル崩壊前後の時期は,少年事件においても過渡期だったといえよう。そして,「反社会」型から「非社会」型への「少年」像の転換を決定的なものにしたのが神戸の事件だった。

 

 ところで,私は『難民キャンプの子どもたち』という本の感想を書いたとき,「子どもたちは大人社会を映し出す鏡だ」と書いたが,似たような意味で少年事件は「社会の鏡」といわれる。社会の歪みや矛盾が,少年事件を通じてあぶり出されるからである。

 

少年は炭鉱のカナリヤ。こうした視点に立って,少年事件を「社会の鏡」といった場合,その鏡は,大人たちが目をそむけようとしている現実を露骨に映しだしている。社会のひずみや矛盾を余すところなくさらけ出しながら,反射しているのである。

(同書p.218)

 

 筆者は,現在その鏡がひび割れているのではないかと警鐘を鳴らす。少年事件では精神鑑定が重んじられ,少年個人の属人的な特性が注目されるようになった。だんだん「少年」は,保護対象の「子ども」扱いされなくなり,裁判員裁判においても一般市民によって「大人」とさして変わらない視点で裁かれるようになった。少年事件は,社会や環境に原因を求めるべきではなく,少年個人の責任と考えられるようになった。こうして少年事件への世間の関心は低下し,現在「少年」は絶滅危惧種になりつつある。

 

 「失われた30年」とは,「少年」が失われていく30年でもあったわけである。つまり,冒頭に書いた経済の話と,少年事件史とは決して無関係ではないということだ。私は,「少年」が絶滅しつつある背景には,苛烈な競争主義や緊縮主義,自己責任論などの新自由主義的な経済政策やイデオロギーがあると見ている。社会に置き去りにされた弱者や異端児として事件を起こした「少年」もまた,新自由主義的な競争社会を形成する一つのコマとして「大人」同様の扱いを受け,負け組としての自己責任を負わせられるのだ。

 

 例えば,今もし19歳の永山則夫が現れ,連続射殺事件を起こしたとしても,その事件は永山の個の特性として精神鑑定的に処理され,その背景にある貧困や格差,虐待,セーフティネットの欠如といった大きな社会の問題は捨象される。つまり今後,第二,第三の永山が現れても,報道も司法も世間も,そういう存在とは認識できないであろう。かつて永山を死刑から無期懲役に減刑した控訴審の裁判長は「劣悪な環境にある少年に救いの手を差し伸べることは,国家社会の義務である」と述べたが,そんなことを言う裁判官はもういない。

 

 バブル以後から続くこの流れが良いとは思わない。もう一度,「社会の鏡」としての「少年」像を構築し直す必要があると思う。国家権力や新自由主義から「少年」を奪還しよう!永山則夫を私たちの手に!

 

 株価史上最高値の日にそんなバカなことを考えた・・・