前回の記事で私は、8月15日の声明・談話で先の戦争における日本の加害責任に触れようとしない自民党などの政党を非難した。つまり日本の主要政党は日本の侵略も植民地支配もなかったことにし、被害者意目線であの戦争を塗り替えようとしているのだ。なんでこのような歴史の事実に反する捏造や修正がまかり通るのか。
一つには、1951年調印のサンフランシスコ講和条約が日本の植民地支配責任を問わなかったことがある。そこで植民地支配責任は国家同士の協定にゆだねられたわけだが、ここでも個々の被害者は蔑ろにされた。韓国との関係で言えば、65年締結の日韓基本条約で韓国政府は日本から得られる経済援助と引き換えに、日本の植民地支配に対する一切の賠償請求を取り下げた。その結果、個人の被害者は戦後補償からは完全に弾き出されることになった。
こうした不条理な条約を根拠に、右派・保守系の政党・政治家は朝鮮植民地支配のことはもう終わったことにしようとする。彼ら・彼女らの中では、日韓基本条約の締結で韓国への賠償も謝罪もすべて終わったことになっているのである。したがって、今さら韓国(朝鮮)に対する加害責任についてとやかく言われる筋合いはない、と傲慢な態度が取れるわけだ。
だが、こうした決着の仕方に対して、韓国国民の側では当然、不満や怒りが鬱積したし、一方の日本でも道徳的な負い目を感じる人たちが一定数いた。国家間の条約・協定で日本の加害者性が特段問題にされなかったのをいいことに、戦後日本の歴史認識は被害者意識でどんどん染められていく。
こんなことで良いのか、と問題提起したのが大島渚の『忘れられた皇軍』(1963年放映)であった。言わずと知れたテレビドキュメンタリーの傑作。このドキュメンタリーで大島は、戦争で身体に欠損を負った「傷痍軍人」を取り上げ、その姿をテレビ画面いっぱいに映し出した。
戦後のある時期まで各地の街頭に白装束で立っていた傷痍軍人。大島は彼らの多くが韓国籍であることを知る。祖国が日本の植民地となったことから先の戦争で日本軍兵士として戦い、傷を負った彼らは、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効して日本が独立すると、日本国籍を剥奪された。主権を回復した日本は、軍人恩給を復活するなど様々な戦後補償法を作ったが、対象は日本国籍を持つ者のみ。元日本兵の韓国人は日本の補償制度から除外され、韓国からも補償を拒絶された。
大島は、白装束で補償請願のために街頭に立ちデモ行進する傷痍軍人たちの姿を映し出すと同時に、高度経済成長に浮かれて傍観する日本人の顔もとらえた。だから最後にこう問いかける。――
日本人たちよ、私たちよ、これで、いいのだろうか!
この大島の問いかけから8月15日で60年がたった。日本は本当に何も変わっていないなと感じる。何も変わっていないどころか、8月15日の各党の声明・談話を読むと、ますます加害者意識が薄れ,道徳的に劣化しているのがわかる。大島の問いに真剣に向き合ってこなかったことの結果が,あのような歴史を直視しない不誠実で歴史修正主義的な態度になって表れている。大島は傷痍軍人の姿を通じて、日本人が加害者であることを私たちに強く訴えかけた。私たちが今、観るべき映像作品はこれだと私は思う。
こうした大島の映像や問題意識に激しく呼応して作られた楽曲が、朴保の『傷痍軍人の歌』である。強烈なロックサウンドと心底からの怒りを込めた歌詞が、日本人の加害者性を問い糾し、戦後日本の被害者意識を粉々に打ち砕く。何度聴いても心が震える。これこそ本物のロック、ソウルミュージックだ!
作詞/朴 保
子供のころのお祭りだった
彼らを見たのは
白い着物に松葉杖 アコーディオンの音
ある者は手を奪われ足を取られて
ある者は両目失って生きるしるべもない
傷痍軍人
従軍慰安婦
松代大本営
何の補償も残されず
情けのかけらもない
ただ年老いて死に絶える
忘れ去られてく
誰のために死んだのか
大義名分何ゆえに
どこへ行っても知らん顔
誰に聞いてもわからない
傷痍軍人
従軍慰安婦
松代大本営
(以下、略)