2023年8月24日は歴史に刻まれる日になるだろうと、あるブロガーさんが書かれていたが、まったくその通りだと思う。もちろん負の歴史としてである。今回の放射能汚染水の海洋放出というのは、20世紀の権力が生んだ最大の負の遺産であるジェノサイドの政治の文脈で読み解くことができるだろう。ALPSでは除去しきれず、政治機構によって垂れ流される猛毒トリチウムをはじめ多数の核種は、海のすべての生命のジェノサイドをもたらし、その延長上に、海に生かされてきた人間の死と苦難がやって来る。
日本に住む私たちは本当に歴史から何も学んでいないと感じる。水俣病は、国家と産業の発展を優先して、人間の生命や尊厳を二の次にした政治が引き起こした公害病にほかならない。私たちはそういう倒錯した政治を終わらせなければならなかったのだが、それが今もまだ続いているがゆえに、同じことが繰り返された。経産省の資料によれば、汚染水の地下埋蔵には2431億円、大気放出だと349億円かかるが、海洋放出だと34億円で済む。そこで新自由主義的な論理から、コストパフォーマンスの一番良い海洋放出が選ばれたようである。
チッソ水俣工場が、水俣病を生み出してもなおアセトアルデヒドの生産をやめず、猛毒メチル水銀を含んだ廃液を無処理のまま海に流し続けたのも、まさに同じ論理なのであった。すなわち企業と国家によるコストパフォーマンスの追求が、人の命の尊重や人間の尊厳よりも優先されたのである。私たちはいつまでこうした倒錯した世界の中にいるのか。
このようなコストパフォーマンスを原理とする政治は、企業に大きな利益をもたらし、国家を繁栄させ、豊かで便利な都市型の生活を作り出すかもしれないが、同時に、水俣病で見られたような、取り返しのつかない人間破壊、環境破壊、社会破壊をもたらす。
水俣病の舞台は、前景にチッソ水俣工場、後景に不知火海があった。今回の舞台は、前景に福島第一原発、後景には太平洋が広がる。興味深いのは、放射性核種の太平洋への放出が水俣病と同じ過程をたどって被害を拡大するであろうことを海洋生物学の専門家が予見していることだ。
・・・ハワイ大学のロバート・リッチモンド教授は、福島第一原発から投棄される水にはトリチウム以外にもALPSでは除去できない核種が多数残存していることを指摘した上で、海水で希釈することによって放出段階では一時的に国際的な安全基準を満たしたとしても、海洋生物に取り込まれた放射性物質が食物連鎖の過程で生物濃縮され魚介類の放射性濃度が高くなる可能性があることを念頭に置かなければならないと語る。
チッソ水俣工場から海に排出されたメチル水銀などの有機水銀は魚貝類に蓄積され、それを食した人間の消化管の中でほぼ全量が吸収され、血液に乗って全身を回り、脳の神経細胞に付着してこれを破壊した。放射性物質の海洋放出も、水俣病と同様に食物連鎖による生物濃縮の危険があることをこの学者は指摘しているのである。私たちが負の歴史から何も学んでいないのは、先の戦争だけでなく、水俣病の歴史についても言える。
『証言 水俣病』(岩波新書)の編者である栗原彬氏は、本書の序章で水俣病をジェノサイドの政治の系譜に位置づけ、こう述べている。
アウシュビッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。
(栗原彬編『証言 水俣病』岩波新書p.16~p,17)
放射能汚染水の海洋放出もまた、「海からのジェノサイド」にほかならない・・・