各政党の声明・談話(8月15日)を読み比べ! | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 昨日8月15日に各党から発表された声明・談話を読み比べてみた。

 

 与党自民党は相変わらず、加害者責任すなわちアジア諸国への侵略や植民地支配については触れようとしない。日本軍によるアジアへの加害がなければ対英米戦争も原爆投下もなかったわけで、こういう加害側面を無視した声明文では先の戦争が何だったのか,本質的な部分が何も伝わらない。加害責任を認めないから、戦争を起こしたことの反省の弁もない。与党がこんな声明しか出せないのは本当に情けない。戦没者追悼式での首相の式辞も同じ。話にならない。

終戦記念日にあたって 党声明(自由民主党)

 

 さらに輪をかけてひどかったのは日本維新の会である。さすが「第二自民党」を自任するだけのことはある。日本が起こした過去の戦争を反省するどころか、再び軍事大国へ進む気満々なのである。すなわち、「事実上の丸腰のまま戦争放棄、平和主義を独善的に唱えている」時代は終わったとして、防衛力=軍事力の抜本的強化を訴えているのである。この維新の会が与党に加われば、日本が大軍拡=大増税路線、戦争国家に進んでいくことは目に見えている。

「戦没者を追悼し平和を祈念する日」にあたって(日本維新の会)

 

 公明党も加害責任への言及はないし、先の戦争を本気で反省しているようにも見えない。ただ、「先の大戦で犠牲となられた内外の全ての方々」に哀悼の意を表すると述べていて、日本人だけでなく、日本が侵略・攻撃した外国の犠牲者にも一応、哀悼の意を表明している。その点は評価できるが、あまりにもサラッと流していて印象に残らない。ただ、核兵器禁止条約の第2回締約国会議へのオブザーバー参加を政府に促している点は良い。

終戦記念日 党アピール(公明党)

 

 立憲民主党は、日本の植民地支配と戦争加害に触れ、アジア・南洋諸国の人々に多大な犠牲と苦難をもたらしたと述べている点は評価できる。だが、ほんの一文だけ。しかも哀悼の意を表明していない。哀悼の誠を捧げるのは、「先の大戦でなくなった三百万余のわが同胞」だけでよいという気持ちが透けて見える。だから、反省や謝罪の気持ちが全く伝わってこない。おまけに、安全保障環境が緊迫しているとして、防衛力を整備しようと言っている。全体としてあまりにもザックリしていて、野党第一党がこのレベルでは、日本の平和主義も危ういなと感じる。こういう政党に政権を任せたいと思う国民がどれだけいるだろうか?

78年目の終戦の日を迎えて(立憲民主党)

 

 国民民主党は、予想通り加害責任には一切触れず、過去の反省もない。「戦禍の教訓」と言っているが、何を意味しているのか不明だ。おそらくは日本国土が被った被害を指しているのだろう。結局、被害者意識で戦争をとらえている。だから、「自分の国は自分で守る」という現実的な安全保障政策を進めていくんだと力んでいる。勝手にやってくれ、という気分になる。

戦後78年の終戦の日にあたって(国民民主党)

 

 日本共産党の小池書記局長談話は、最初に「日本軍国主義による侵略戦争と植民地支配の犠牲になられた内外の人々」に対して深い哀悼の意を表していて、大変高く評価できる。また、岸田政権が大軍拡に突き進んでいるとして、憲法9条を生かした平和外交に力を入れることを表明している点も賛同する。全体的に異論はないが、だけど何でタイトルが「終戦記念日にあたって」なの?この談話の趣旨からすれば、「終戦」じゃなくて「敗戦」でしょ!

終戦記念日にあたって(日本共産党)

 

 その「敗戦」をタイトルに付けたのが社民党とれいわ新選組である。「敗戦78年にあたって」と題した社民党のステートメントは、日本の侵略と植民地支配によるアジア諸国への加害について心から謝罪をし、戦争犠牲者に心から哀悼の意を表している。賛同できる内容である。また、「戦争できる国」から「戦争する国」へ突き進む岸田政権の姿勢を批判し、沖縄・南西諸島の軍事要塞化にNOをはっきり言っていて頼もしくもある。ただ、「がんこに平和」というキャッチフレーズが気になる。こういう表現は今の時代、なかなか好感されない。憲法9条堅持という強い意志はわかるが、もっと憲法を平和外交や平和産業に生かす柔軟な姿勢をアピールした方が良い。

敗戦78年にあたって(社会民主党)

 

 「78回目の敗戦の日を迎えて」と題されたれいわ新選組の声明は、昨年よりボリュームも増し、内容も良かった。アジア諸国の人びとに甚大な被害を与えたことを「今こそ、何度でも思い返そう」と言っている。また、国内外の戦争被害への補償や実態調査が、未だ不十分であることを指摘している。このことを言っているのは、この党だけだ。あの戦争はまだまだ終わっていないのだ。なのに、政府は次の戦争の準備を進めている!とんでもない!現状に対する危機感と怒りがよく伝わってくる。だが、絶望するな!未来は変えられる!戦争をさせないために共に行動しよう!と呼びかけていて、素晴らしい内容だった。ただ、国内志向がやや強いのかなという印象も持った。「徹底した平和外交」という言葉は使っているが、それよりも国内経済や国民生活を重視する姿勢が見て取れる。それはそれで良いのだが、国内外の平和とどう関連するのか不明である。なお、外国籍を持つマイノリティを考慮して、「国民」のほかに,「国内生活者」「この国に生きる人びと」という言葉を使っている点は賛同する。

78回目の敗戦の日を迎えて(れいわ新選組)

 

 全体印象として、大きな政党ほど過去の戦争に向き合う姿勢がおざなりで欺瞞的になっている気がする。というより、「日本は戦争の被害者だー」という勘違いや偽り、捏造、修正主義が日本の政治の中に広がっているのが、各党の声明・談話からわかるのではないか。こんな状況では、先の戦争の実相が大きく歪められて後世に伝えられていくのではないかという懸念がますます深まる。

 

 ところで、久しぶりにカルメン・マキの「戦争は知らない」を聴いた。やっぱり寺山修司の詩が良い。北山修の有名な「戦争を知らない子供たち」より圧倒的に良い。何度聴いても感動する。戦争を知らない世代に戦争がどう伝わっていくかを、一つの物語にして私たちに届けてくれている。戦争の真実を伝えるうえでも、物語性は大切なのだなと改めて思う。今後、戦争を知らない世代がますます増えていくなかで、このような歌や文芸作品を通して戦争を見つめる機会も多くなるだろう。私は、戦争で父を亡くした少女の悲しみと強さを歌ったこの反戦歌を後生に伝えていきたい・・・

 

作詞/寺山修司

 

野に咲く花の 名前は知らない 

だけども 野に咲く花が好き 

帽子にいっぱい 摘みゆけば 

なぜか涙が 涙が出るの 

 

戦争の日を 何も知らない 

だけど私に 父はいない 

父を想えば あヽ荒野に 

赤い夕日が 夕陽が沈む 

(以下、略)