もう一つの沖縄戦 | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…

 

 

 上の「琉球新報」「沖縄タイムス」の記事は、那覇市の市民団体「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」が、「沖縄・米兵による女性への性犯罪(1945年4月~2021年12月)」という記録年表の改訂版を7年ぶりに刊行したことを報じている。この改訂版には、1945年の沖縄戦時から2021年にかけて、沖縄の女性約950人が米兵から受けた性暴力の数々が連綿とつづられている。改訂の度に事件数と被害者数は増えていく。ページ数も、前回から2倍以上に増えた。この年表に書かれてある事件もまだ氷山の一角なのかと思うと、やりきれない気持ちになる。

 

 私は上の記事を読んで、沖縄戦はまだ終わっていない、というか、戦後の米兵による性加害事件は第二の沖縄戦ではないか、との思いを強く持った。

 

 6月23日は「沖縄慰霊の日」で、沖縄戦の組織的戦闘が終結した日とされているが、言うまでもなくその後も戦闘は続いた。牛島司令官が自決したことによって一応、軍としての組織的な戦闘は終わったとされるわけだが、牛島の「降伏するな」との遺言に従ってその後も戦い続けた兵士はいたし、住民にとっては軍の組織的戦闘が終わったかどうかに関わりなく、米軍との戦い・逃走、飢えやマラリアとの闘いは続いた。8月14日にようやく日本政府がポツダム宣言を受諾して実質的に戦争が終わり、9月2日に艦船ミズーリ上で公式に降伏文書が調印された。だが沖縄戦の降伏文書が調印されたのは、それより遅れて9月7日である。その時まで沖縄戦の戦闘は続いていたとみてよいだろう。

 

 沖縄戦が終わったのは9月7日。そこから沖縄の戦後が始まるはずだった。しかし沖縄戦の終結後、新たな沖縄戦が始まったといってよいのではないか。米兵によるレイプ事件が繰り返され、被害者を生み出し続けた沖縄の戦後は、戦後とは言えない。目取真俊が言うように、沖縄はまさに「戦後ゼロ年」である。というより、今も沖縄戦のさなかにある。そのことを、上の記事を読んで強く思ったわけである。

 

 戦後の米軍統治下でも、1972年の本土復帰後も、沖縄では米兵によるレイプ事件は続いた。沖縄は,民主的で平和主義の日本国憲法を持つ日本国に復帰すれば、沖縄女性の人権は守られ、沖縄にも平和が訪れると期待したが、裏切られた。なぜか。日本国憲法の上位に日米地位協定が存在するからだ。刑法を改正して「不同意性交罪」を創設しても、米軍基地を抱える沖縄の女性たちを守ることはできない。米軍に特権を与えている地位協定こそが問題の核心なのだ。それがある限り、沖縄に永久に戦後は訪れないと言っていいだろう。

 

 この年表の作成者の一人、宮城晴美さんはこう言っている。

沖縄女性に「戦後」はなかったことが、性犯罪の数々から確認できる。今も続く暴力被害と女性の生きづらさをなくすため、記録し続けなければならない

 ここにある「記録し続けなければならない」という言葉が、沖縄の歴史と現在を映し出しているように思えた。

 

 沖縄を記録するとはどういうことなのか――このことに考えをめぐらせたとき、一人の写真家が思い浮かんだ。写真家・中平卓馬は、写真は表現・創造などではなく記録だとし、主観や自我を排した「植物図鑑」のような写真を目指した。その中平は、まさに図鑑を作るかのように沖縄を精力的に撮った。写真=図鑑・記録という方法をとる中平にとって、沖縄は撮らねばならない場所であり続けたのだろう。中平の写真が宮城さんたちの年表と重なる。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 活字であれ写真であれ、沖縄の葬られた歴史に光を当て、差別と性暴力をなかったことにしないためには、記録し続けなければならないのだ・・・