立花隆『知の旅は終わらない』(文春新書) | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…

 掲題の立花隆の自伝本を読んでみたのだが、立花さんのジャーナリストとしての活動や思想には意外と戦争体験が深く刻印されているのだな、という感想を第一に持った。戦争体験と言っても、立花さんは1941年生まれなので、5歳の時に日本の敗戦を迎えるわけだけど、当時立花さんは北京に居て、そこからの引き揚げ体験が結構凄絶で、その記憶がその後の人生にも大きな影響をおよぼしたようだ。また、立花さんの生まれた長崎大学の大学病院が爆心地近くだったそうで、そのまま長崎に住んでいたら確実に被爆していただろうということもあって、原爆投下が他人事に思えず、戦後は原水爆禁止運動に深くコミットしていく。そして、ロンドンで開催される核軍縮のための国際学生会議に日本代表として参加するためにヨーロッパに渡り、世界の若者たちに原爆の悲惨さを伝え、核兵器の禁止を訴えた。

 

ヨーロッパの平和運動や反戦運動の伝統というのは、ものすごい層の厚み、日本人には想像を絶するような歴史の厚みに支えられている。

(立花隆『知の旅は終わらない』文春新書p.105)

 

 もう一つ、私が共感を覚えたのが、立花さんの一貫した反権力の姿勢である。立花隆といえば、何といっても田中角栄の金権政治を暴いたジャーナリストとして語られるわけだけど、田中角栄をあれほど長い間追い続け、遂に追いつめたたエネルギーの源は何かと言えば、それは権力者に対する強い敵愾心や憤りというものだった。

 

僕は昔から権力をかさにきて威張りくさる尊大な人間と、権力の前にひれ伏す卑屈な人間が大嫌いでした。

 (中略)

世俗権力も世俗権力にひれ伏す人も、前から僕には侮蔑の対象でしかありませんでした。僕はこうした意味で、政治にかかわる人間とは、根本的に価値観のちがうところで生きてきました。そんな僕にとって、あんな奴に負けて引き下がるかどうかは、自分の生き方の根幹にかかわる問題でした。絶対に負けるものか、とことん闘ってやると思ったわけです。

(同書p.197)

 

 立花さんの関心は、本書の副題「僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」を見てもわかるとおり、上に述べた反戦・平和や政治から、哲学、宇宙、生命科学、遺跡、音楽、絵画に至るまで、非常に幅広く、ここで立花さんの足跡を簡単にまとめたり論評したりはできそうもない。だから、私のまったくの個人的な関心と視点から立花さんの傑作を選ぶとするなら、それは『天皇と東大』である。

 

 日本の近現代史において最大のアクターが天皇であったことに異論はないだろう。それは生身の天皇個人という意味ではなく、天皇という観念や天皇という制度が近現代史の中で中心的な役割を果たしてきた、という意味である。その近現代史の時期を限定するなら、それは近代後期(明治後期)~現代前期(1945年まで)の期間であり、その時期に日本は大日本帝国を名乗り、軍事力でもってアジア全域に植民地を広げようとしていた。天皇はその帝国日本の政治的・軍事的なシンボルであり、また、それに現人神神話が結びつくことで、天皇は政治・軍事と宗教が一体化した神聖不可侵な存在となっていった。この神格化されたシンボルが日本の最高価値として崇められ、「国体」という観念が帝国日本を呪術的に支配した。

 

 立花さんが強調するのは、この「国体」観念が日本を支配し確立した時期に、その後の日本の破局は準備されていたこと、そして、こうした国体観念が確立した主たる舞台は東大であったという点である。

 

 そこで私たちにとって重要なのは、こういう国体観念が支配した大日本帝国と現代日本は、必ずしも断絶しているわけではない、ということである。立花さんは『天皇と東大』を振り返ってこう述べている。

 

 現代日本は、大日本帝国の死の上に築かれた国家です。大日本帝国と現代日本の間は、とっくの昔に切れているようで、じつは無数の糸でつながっています。大日本帝国の相当部分が現代日本の肉体の中に養分として再吸収されて、再び構成部分となっているし、分解もせずにそのまま残っていたりもします。あるいはよみがえって今なお生きている部分すらあります。歴史はそう簡単には切れないのです。

(同書p.351)

 

 ここでで立花さんが言う、つながっている部分、今なお生きている部分として、やはり天皇制、天皇のあり方を指摘しないわけにはいかない。わざわざ今回このことを言うのは、先日の天皇のインドネシア訪問に激しい違和感というか憤りを覚えたからである。

 

 私は、あのインドネシア訪問に極めて欺瞞的なものを感じた。私が問いたいのは、この訪問が憲法の規定する国事行為に反するのではないかという憲法問題ではなく、すぐれて歴史認識にかかわる問題である。今回のインドネシア訪問は、日本の植民地支配や天皇の戦争責任を無かったこととし、国体観念を浸透させるための政治戦略の一つではないか、と思えるのだ。

 

 天皇は、インドネシアでオランダからの独立戦争を戦った残留日本兵の墓地に供花したという。だが、本当に歴史と戦争に向き合う気があるのならば、日本軍によって半強制的に働かされ犠牲になった多数の労務者の墓に花を手向け慰霊をすべきだろう。だが、歴代天皇はそれをしてこなかったし、今回もしなかった。なぜか――

 

 要するに日本政府は、帝国日本による苛酷なインドネシア支配の事実を無かったことにしようとしているのだ。しかも日本政府は、そういう歴史認識の修正を、かつて戦争と植民地支配に深い関わりを持った天皇を利用することで効果的におし進めようとしているのである。

 

 今回のインドネシア訪問の報道で、少しでも日本のインドネシア支配や天皇の戦争責任について想起させるものがあっただろうか。マスコミも大いに反省した方がいい。あれでは戦前・戦中の報道規制・思想統制と同じで、全く史実や実態が人々に伝えられていない。むしろ隠蔽されたり歪められたりして、歴史修正主義に国家と天皇とマスコミが三位一体になって加担している格好である。

 

 一体、天皇の国である大日本帝国はインドネシアで何をしたのか――それをしっかりと直視し、真摯に反省し、心から謝罪しなければ、未来は開けないし、再び違った形での破局を招くだろう。立花さんが言うように、歴史はそう簡単には切れないのである。

 

 インドネシア史が専門の倉沢愛子・慶応大名誉教授は、朝日新聞の取材に対しこう述べている。

残留日本兵のみならず、日本兵に半強制的に働かされたインドネシアの労務者らの慰霊にこそ大きな意味がある。・・・日本軍によって軍用飛行場などで強制労働を強いられた労務者は約400万人ほどおり、うち約30万人がタイ、ビルマなどのジャワ島外で働かされた・・・

 

 この倉沢先生は、インドネシアでの日本軍の戦争犯罪を下の共著で暴いている。731部隊の関連組織がインドネシアにも手を伸ばし、そこでワクチン開発に失敗、甚大な被害を与えたというのだ。すなわちジャワ島各地から集められた「ロームシャ」(労務者)が、軍医の作ったチフス・コレラ・赤痢の混合ワクチンを接種され、破傷風を発症して多くの人々が亡くなった――

 

 こうした事実を無視して、よくもまあインドネシアに出かけていって、日本兵に花を手向けられるものだなと思うわけである。これが皇室外交とか国際親善とかいうものの本質なのである。すなわちインドネシアでの大日本帝国の蛮行=人体実験を、天皇のインドネシア訪問は国際親善とか皇室外交とかいう美名の下に覆い隠しているのだ。こんな力ずくであからさまな歴史修正主義、戦前擁護・回帰もないだろう。

 

 立花さんが言う、大日本帝国とつながっている部分、大日本帝国の生きている部分は現在、至るところに見られるが、戦前への回帰という問題意識から見ると、天皇制はその中で最も注意を要する領域であろう。戦後、国家元首から象徴天皇に様変わりしたとは言え、慰霊の旅や皇室外交を続ける中で、戦前の神聖シンボル的な性格が、平和憲法のもとで違う形でよみがえってきたように見える。その意味で国体観念も消えていない。生き続けている。現憲法の下で政治的権能が封じられている象徴天皇を巧みに担ぎ上げ、最大限に政治利用することで歴史を隠蔽・修正しようという力が、日本の政治・外交には強く働いている。そのことを私は今回のインドネシア訪問で強く感じた。新たな装い(=象徴天皇)だが中身(=歴史認識)が同じ「戦前」が、間違いなく近づいている…