「死刑と冤罪」 | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…

 

 先日は袴田さんの再審が確定し,本当に良かった。このブログでも10年くらい前から石川さんの狭山事件や袴田事件について多くの記事を書いてきただけに感慨もひとしおである。袴田事件の再審決定を受けて,「次こそ狭山事件の再審だ」との思いを,下の鎌田慧さんとともに一層強くする。そして,狭山事件について書き続けた作家・野間宏もそれを墓場から願っているに違いない。

 

 袴田さんは一度だけ,2014年に狭山事件の集会(@日比谷野音)で拝見したことがある。釈放されてからまだ半年足らずの時期のことだ。壇上で袴田さんは「最高裁長官として私が死刑を廃止しまーす」というファンキーで前衛的な発言をされて,聴衆の度肝を抜いた。その時の情景を今,懐かしく思い出す。

 

(2014年10月31日)

 

 (袴田巌さんと姉ひで子さん)

 

 これまで何度も書いてきたように,こういう冤罪が起こる背景には《差別と貧困》がある。被差別部落出身の石川一雄さんが警察・検察によって殺人犯にでっち上げられた狭山事件は,そうした冤罪事件の構図を典型的に示している。だから,『真空地帯』『青年の環』の著者・野間宏は,その後半生に並々ならぬエネルギーを「狭山差別裁判」の弾劾・追及に注いだ。その野間文学の影響をもろに受けた私もまた若い頃から狭山事件にこだわり,このブログでも石川さんの再審・無罪を訴え続けた。

 

 

 ところで,ちょうど今週の月・火曜に,中日新聞(東京新聞)に米国での死刑制度に関する特集記事が載った。それを読むと,黒人差別が冤罪事件の温床になっていることがわかる。記事から引用する。

 

(死刑判決後,無実が判明した)ヒントンは「私を本当の意味で有罪にしたのは証拠ではない。差別と貧困だ」と言う。

 逮捕の日,庭で芝刈りをしていたヒントンを連行した白人警官は言った。「おまえは有罪だ。理由を知りたいか」。戸惑うヒントンに構わず,警官は続けた。「おまえは黒人。そして検事と陪審員,裁判官はすべて白人だからだ

 

 

 
 米国は先進国の中でも例外的に,日本と同じく死刑制度を維持する国だ。死刑制度は,常に無実の人の命を奪う危険をはらんでいる。米国NPOの調査によると,死刑判決後に冤罪と判明した人は1973年以降,計191人いるという。しかも,カリフォルニア大などの調査(2017年)では,黒人が無実の殺人罪で有罪となる確率が白人の約7倍だという結果も出ている。
 
 これだけ黒人差別が根強く,黒人の貧困が蔓延る米国社会において死刑制度を維持することは一体,何を意味するか。それは白人権力による黒人虐殺を法的に容認することにほかならない。死刑制度の下でまさに国家は暴力装置,殺人マシーンとして機能しているわけである。
 
 そのことは日本の権力機構にも当てはまるだろう。実際,例えば飯塚事件では司法権力(警察・検察・法務大臣・法務省・裁判所)が結託して無実の人物を絞首刑にした。日本の国家権力もまた民衆を弾圧・支配するための暴力装置であり,その構造は110年前に「大逆事件」をフレームアップして無実の12人を大量虐殺した明治の天皇制警察国家から何ら変わっていないのである。袴田さんは地獄の苦しみに耐えて生き延び,近い将来,再審・無罪が確実になった。だが,袴田さん以外に日本や米国でどれだけ多くの人が冤罪に苦しみ,命を落としたか。死刑制度を維持することは,国家による無辜の民に対する暴力と虐殺を認めることなのだ。
 
(死刑判決後,無罪になった)スミスは言う。「人は後から間違いを正すことができる。でも,死刑はそれを許さない。墓を掘り返しても遅すぎる」
  (中略)
 米国立科学アカデミーは二〇一四年,統計学的に米国の死刑囚の4.1%に冤罪の可能性があるとする研究を発表した。全米では死刑が再開された一九七七年以降,千五百六十七人の死刑が執行されている。
(前掲記事より)
 
 それでもあなたは死刑制度を支持しますか?