先日は韓国の出生率が0.78になったというニュースが世界に衝撃を与えたわけだが,その背景を探ろうと思い,掲題の本を読んでみた。韓国はもの凄い加速主義の国になっているなというのが最初の感想だった。加速主義については前にも何度か書いたが,要は資本主義の競争原理を極限まで押し進め,そのことによって資本主義の外部へ抜けだそうという思想である。日本も加速主義化が進むが,韓国ではそれを上回る勢いで加速主義が国を覆っている。
リミッターを外した資本主義が社会のあらゆる領域で競争を加速主義的に押し進めていったら,どんなディストピアが待ち受けているか。韓国はその実験場になっているような気がした。掲題の本には一つの衝撃的な予測が示されている。
2006年,著名な人口専門家であるオックスフォード大学のデイビッド・コールマン氏は,少子・高齢化によって地球上から消える危険国家の第1号として韓国を指名した。また韓国国会立法調査処は2014年,韓国の人口は2100年には2000万人に減少し,2750年には地球上から消滅すると予測した。
(金敬哲『韓国 行き過ぎた資本主義』講談社現代新書p.112)
韓国では2006年に1.12人だった出生率は,2018年には0.98人になって世界で最も出生率が低い国となり,2022年にはなんと0.78にまで下がった。世界最速のペースで少子化が進む韓国。戦乱や飢餓がない社会としては人類史上まれにみる低い出生率である。この趨勢が続けば,「韓国消滅の日」は2750年よりもっと早く訪れるかもしれない。
受験にすべてを賭ける子供世代も,すべてをあきらめた就職世代(「N放世代」)も,50代でリストラされて家計破綻に追い込まれる中年世代も,働き続けなければ生きていけない老人世代も,韓国ではすべての世代が苛烈な競争を強いられている。福祉や年金などの仕組みが未整備の韓国では,資本主義の競争原理がむき出しになって人々を「ゆりかごから墓場まで」,際限のない競争に駆り立てるのだ。
韓国の若者たちは,こういう自国を「ヘル朝鮮」と呼ぶ。地獄(HELL)のように生き辛い国という意味である。また韓国の若者たちは,韓国が「生まれた環境によって階級が決まる前近代的な社会」だとして,「スプーン階級論」という一つの理論を唱えるようになった。
スプーン階級論では,富裕層の子供は「金のスプーン」,中間層は「銀のスプーン」,庶民層は「銅のスプーン」,最下層は「土のスプーン」と呼ばれる。
(同書p.113)
このスプーン階級論からもわかるように,韓国社会の最も大きな問題は格差問題である。特にこれは90年代後半のIMF危機以降,急速に顕在化した。
IMF危機から20年経った今の韓国社会は,単純に財産による貧富の差だけではなく,所得・住居・教育・文化・健康など多様な領域で格差が広がる多重格差社会になってしまった。しかも,この格差が世代を超えて親から子へと受け継がれる現象に拍車がかかり,いくら努力しても階層上昇ができない社会構造が形成されてしまったのだ。
(同書p.114)
歴史的に見て,なぜ韓国はこのような末期的な状態に陥ってしまったのか。その点に関して,本書には次のような重要な指摘がある。
(1948年の建国以来)この65年で470倍もの成長を遂げた韓国経済は,西欧が数百年かかった経済発展の過程を,わずか数十年に圧縮して経験した。だがこの異常な「圧縮成長」は,大きな副作用ももたらした。
(中略)
〈日本が明治維新以後,100年で西欧の近代化300年の歴史を圧縮して追体験したとすれば,韓国は60年代以降,30年で西欧の300年を圧縮して経験した。…〉
(同書p.8)
西欧300年の経済発展をたったの30年で達成してしまった「圧縮成長」が,韓国に歪んだ競争主義と多重格差社会をもたらしたという。1948年に建国された韓国は,「漢江の奇跡」と呼ばれるほどの急速な経済成長を遂げた。特に60年代初めの朴正熙から全斗煥,盧泰愚に至る軍事政権の30年間は成長が著しく,平均9.4%の成長を続けた。上に書いたように,97年のIMF危機(アジア通貨危機に端を発した韓国の経済危機)をきっかけに,格差や貧困,少子化,自殺の増加といった,成長の弊害や副作用が表面化することとなった。
韓国がこれほどまでに成長第一主義で突き進まなければならなかった客観的な事情は何だろうか。端的に言えば,それまでの韓国社会があまりにも前近代的で遅れていたからであり,また経済的に貧しかったからであろう。そのように韓国の近代化・民主化や経済発展を阻んできたものを歴史的に考えるとき,私たちは大日本帝国による朝鮮統治という問題に向き合わざるを得ない。「ショック・ドクトリン」的に非人間化した韓国資本主義の淵源や来し方を明らかにしようとする場合,いまいちど植民地主義の問題に立ち返って考える必要があるように思うのだ。
すべての世代を「無限競争」に駆り立てる韓国資本主義の姿は,「新自由主義に向かってひた走る,日本の近未来の姿かもしれない」と,本書は結んでいる。だが同時に,この行き過ぎた韓国資本主義は,日本の過去の姿も照らしているように思うのだ…