前回紹介したパンフレット「憲法九条,未来をひらく」の巻末には「九条の会」アピールの文章が載っている。大江健三郎の訃報を機に読み直してみたのだが,そこに示されている懸念がほとんど全て現実のものになっていることに驚かされた。このアピールは「九条の会」が発足した2004年に発表されたものだが,その後の教育基本法の改悪,集団的自衛権の行使容認,武器輸出禁止の形骸化など,軍事大国化へのシナリオをすべて先取りして懸念を表明しているのである。このアピール文を起草したであろう「九条の会」呼びかけ人たちの危機認識がいかに的確で先を見通していたかがわかる。
これは,日本国憲法が実現しようとしてきた,武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し,軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。私たちは,この転換を許すことはできません。
(「九条の会」アピールより)
憲法九条に基づく平和国家から「軍事優先の国家」=「戦争をする国」への転換の総仕上げになるのが,九条を中心とした憲法改正であろう。アピールの中で示された懸念の中で,九条改憲はまだ実現されていない。九条が戦後民主主義=平和主義の最後の砦になっている。これだけは絶対に守り通さねばと,大江さんの死を受けて改めて強く思うわけである。
『憲法九条,未来をひらく』の中で,澤地久枝さんが「私のかかげる小さな旗」という詩を載せている。後半の部分だけ引用します。
すべては「個」から,
「一人」からはじまり,いかなる「一人」になるかを決めるのは,
己自身である。
いま,あえてかかげようとする旗は,
ささやかで小さい。
小さいけれど,誰にも蹂躙(じゅうりん)されることを許さないわたしの旗である。
かかげつづけることにわたしの志があり,わたしの生きる理由はある
(『憲法九条、未来をひらく』岩波ブックレットp.14)
15歳の時,植民地「満州」で敗戦をむかえ,国家も軍隊も一夜で消え去ったのを目の当たりにした澤地さんには,「国家や権力に対する深い不信」が刻まれている。そして戦後,この国でまがりなりにも平和が保たれてきたのは、国家や政府の力によるのではなく,憲法九条や平和を守ろうという一人ひとりの志によるものだとの思いが,自己確認の形でこの詩には表れている。
澤地さんの次の言葉は,18年前に書かれたものとは思えないほど,2023年現在の日本を撃つ。
国家という古い概念とそのイメージ。戦争を必要悪とし,回避の努力を放棄して,アメリカとの軍事同盟をより強くしようとする。この時代錯誤の,独立国にあるまじき追随型国家になる必要をわたしは認めない。
年金,福祉その他の問題はある。しかしすべての前提として,平和がなければならない。軍事予算をふりむければ,多くの問題は解決する。しかし来年度の軍事予算(防衛という名目の)は増えるのだ。アメリカの「忠実」な同盟国として。
(同書p.18~p.19)
澤地さんが言うように,一人ひとりが「私の小さな旗」をかかげて,平和への意志を示そう。その運動のベース,拠点になるのが憲法九条だ。その九条を守る闘いの中で,大江さんが語ったように「求めるなら変化はくる,しかし,決して君の知らなかった仕方で」…