鈴木邦男と〈狼〉 | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 (写真は「田中龍作ジャーナル」からお借りしました。)

 

 鈴木邦男逝去の報に接し,ショックを受けている。

 

 鈴木さんには随分前,一度だけ話を伺ったことがある。かなり記憶が薄れているが,右翼のイメージとは違い,紳士的で柔和な方だったという印象がある。私は,鈴木さんのデビュー作『腹腹時計と〈狼〉』(三・一新書)のことについて,どうしても話を聞きたかった。鈴木邦男を語る場合,今ではほとんど話題にのぼらない本書だが,デビュー作ということもあり,私はこだわっていた。右翼を名乗る鈴木さんが本書でどうして左翼・アナーキストの東アジア反日武装戦線〈狼〉を取り上げたのか,いま一つ納得がいかなかった。

 

 鈴木さんは,当時の右翼のだらしなさに怒っていて,むしろ思想的には逆の〈狼〉グループの「反日」的な姿勢や激しい闘争心,革命家としてのストイックさに共感したんだ,というようなことを話した。鈴木さんから見ると,当時の右翼は「反共」一辺倒で,体制権力の手先にすぎなかった。一方,戦後アジアへの経済侵略を続ける日本企業は許せないとして,爆弾を仕掛け爆破した「反日」の〈狼〉グループに,鈴木さんは憂国の情を感じ,共鳴したというのである。

 

 〈狼〉グループを憂国の士と見ることに,当時まだ若かった私は反発を覚えたが,今ではわかる気がする。右翼活動に打ち込み,三島由紀夫からの影響も小さくなかった鈴木さんの眼から見れば,〈狼〉グループの過激な爆弾闘争は,日本はこのままでいいのかと憂う憂国そのものに映ったのだろう。右翼に求めていた憂国を,その右翼にではなく,左翼の側に感じ取ったのだ。これこそ本物の憂国だ,と。

 

 愛国と反日は相反するが,憂国と反日は紙一重だ,と鈴木さんは言う。憂国を突きつめれば,〈狼〉のような反日になる,と。そして,憂国より愛国の方が危険なのだとよく言っていた。憂国は革命的だが,愛国は保守的だ。テロやクーデターは憂国から起きるが,局部的で短期的なものだ。しかし,愛国は全体的で長期にわたり,全国民が強制され,そして戦争へと突き進む――。

 

 鈴木さんは,国を憂う憂国の士というよりは,愛国を憂う反日の〈狼〉だったのかもしれない…