宗教戦争~侵攻と信仰のただならぬ関係~ | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 

 一昨日のBS_TBS「報道1930」は出色の内容だった。軍事オタクによる戦争談義にはうんざりしている人が(私も含めて)多いと思うので,上にその動画を載せておいた(22:30頃~)。ウクライナ戦争について本質に迫る議論をしているように思った。特に,今回初めて拝見する高橋沙奈美さんという,宗教方面の研究者の解説が良かった。これを観れば,今回のウクライナ戦争が宗教戦争の側面を色濃く持っていること,つまり根底に宗教があるから根が深く,泥沼化する可能性が高い,ということが理解できるのではないか。

 

 ところで最近,最上敏樹さんの『いま平和とは』(岩波新書)を読んだ。国際法や人権・人道の観点から平和について考察した非常に優れた内容の本だと思ったのだが,いくら人権や人道が普遍的な価値であり,人権保障の国際的な枠組みが必要だと訴えても,人々の内面に深く根を下ろした宗教とか信仰は,そういう普遍的とされる人権とか人道というものを容易に破壊してしまう。そういう意味で宗教問題は平和を考える上で根本的な問題として重視されるべきだと思うのだが,日本にはあまりにも専門家が少なく,今回のウクライナ戦争でもその方面からの声があまり聞かれない。特にロシアを擁護して,ウクライナをアメリカと同等に敵視する連中は,宗教問題を完全に無視しているようにも思える。

 

 

 さて,今回のウクライナ戦争で重要な精神的役割を担っているのが,言うまでもなくロシア正教会である。ロシア正教会は,ロシアのウクライナ侵攻を支持しただけでなく,1996年には核兵器の開発をも祝福したというから驚く。ウクライナ戦争の性格を正確に把握し,その戦争の行く先を見通す上で,このロシア正教会の正体を見極めることは不可欠であろう。

 

 番組で紹介されていたが,ロシア正教会のトップ,キリル総主教は次のようなことを述べている。まるでプーチンを代弁しているかのような言葉だ。

 

ロシアを公然と敵視する勢力が国境に迫ってきた。NATOは軍事力を年々,毎月増強している。最悪なのは,そこに住むウクライナ人やロシア人を再教育し,ロシアの敵に変えてしまおうとしていることだ。

 

 高橋沙奈美さんの解説によれば,サンクトペテルブルク出身のキリルは元々リベラルでプラグマティックな人物であったが,ソ連時代に,教会は国に逆らっては生きていけないという教訓を学んだのだという。ここで重要なポイントは,ロシア正教会が国家に完全に従属した宗教組織になっている,という点である。その意味では,よく言われる政教一致なのだが,ロシア正教会に特徴的なのは,軍と一体化しているという側面である。


 冷戦後,90年代にロシア軍が弱体化し,核兵器産業が衰退していく状況のなかで,救いの手を差し伸べたのがロシア正教会であった。すなわちロシア正教会は,ロシアの国家安全保障には核兵器への投資が不可欠だと訴えたのである。軍人や核兵器技術者にとってロシア正教は心のよすがになった。こうしてロシアの軍事力と核兵器産業が息を吹き返す。このようにロシア正教会と核兵器産業とが結びついたイデオロギーを,イスラエルの研究者アダムスキーは

 「ロシア核(兵器)正教」(Russian Nuclear Orthodoxy)

と呼んだ。

 

 ロシアは,言わば宗教の力で軍を立て直したわけである。そして2000年代のプーチン政権は,この正教会と軍・核兵器産業の蜜月関係を積極的に利用し,自らの権力基盤を強化していった。プーチンの音頭で正教会と軍・核兵器産業は接近を加速し,ロシアは軍事大国としての地位を回復していく。(以上,下の記事を参照)

 

 2000年にプーチンが大統領に就任した後,2009年にキリルが総主教になり,90年ぶりに従軍司祭が復活する。このあたりから軍とロシア正教会が急速に一体化を強め,2020年には「軍・教一致」の象徴とも言えるロシア軍主聖堂が完成している。軍と正教会とプーチンが接近し一体化するというのが,ここ20年間のロシア国内における基本的な流れで,その一つの帰結が今次のウクライナ侵略と言えよう。

 

 ロシアの国営メディアによる戦争プロパガンダのことがよく指摘され,私もその通りだと思うが,それをロシア国民が簡単に信じ込んでしまうのも,こういったロシア正教会の存在が背景にあるからであろう。というより,正教会自体がプロパガンダになっているのだ。ロシア国民の7割が信仰しているロシア正教会のトップがウクライナ侵攻を正義だとして強く支持している限り,信者はこの戦争に批判的な見方をすることはなかなかできないだろう。「軍教一致」体制が,ロシアという国を決定的に性格づけている。

 

 一方で,もちろんウクライナも宗教的には正教会系であるが,高橋さんの解説によると,ロシア正教会から分離したウクライナ正教会と,ロシア正教会とは関係のない完全に独立系の正教会とがあるという。近年,ウクライナ正教会はロシア正教会とは一定の距離を置き,今回の戦争についても反対を表明している。この戦闘でロシア軍によってウクライナ正教会の施設が多く破壊されているということは,ウクライナ正教会に対して東方正教会としてのシンパシーや一体感といったものをロシア正教会側は持っていないのだろう。小泉悠さんは,無差別攻撃だから宗教施設かどうかをあまり気にしていなかったと言っていたが,気にしていないということは,ロシア正教会にとってウクライナ正教はその程度の存在にすぎないということだろう。むしろウクライナ人の精神的な拠り所を破壊し尽くすことによって戦意を挫くことを,ロシア側は狙っているのではないか,とも思った。その意味で,この戦争は宗教戦争としての性格が色濃い。

 

 ウクライナ戦争には,こういう正教会内の対立に加えて,カトリックvs.正教会という,より大きな対立の構図も絡んでいる。高橋さんによると,ウクライナには「東方典礼カトリック」と言われる宗派があり,ウクライナの人口の1割近くがそれを信仰している。これは形式的には正教会だが,実質はカトリックだという。ウクライナは歴史的にカトリックと正教会がぶつかり合う場であった,という高橋さんの解説は大変興味深かった。

 

 カトリックとロシア正教は同じキリスト教ではあるものの,似て非なるものと言っていい。ロシア正教はかなり世俗的で,神と化した人間を強く求める傾向がある。こういう神の観念・宗教観が,国のトップに立つ者を「神の代理人」と見なす統治者像を生み出した。ロシア帝国においてそれはツァーリであり,現在のロシアではプーチンである。

 

 ソ連時代,レーニンやスターリンがロシア正教を厳しく抑えつけたのも,ロシア正教が共産主義イデオロギーを凌ぐ,より大きな世俗的影響力を持つことを恐れたからである。だが,共産主義イデオロギーが崩壊した現在,プーチンは,帝政ロシア時代のようにロシア正教会と一体化し,それを利用する道を選んだ。「神の代理人」であり皇帝であるプーチンがウクライナに侵攻せよと言えば,ロシア国民の7割を占めるロシア正教信者は神の命令のようにそれを受け入れるのである。

 

 高橋さんは番組の中で下のような恐ろしいことを言っていた。ロシアで正教会がなくならない以上,プーチンに代わって,「神の代理人」にふさわしい統治者が出てくるほか,和平や停戦の望みは薄いのではないか,と悲観的にならざるを得ない。

 

プーチンにはプーチンの神がいる!

 

 ロシア正教会という宗教を視野に入れて考えると,ロシアの異常で非人道的な行動の源泉が何なのかが理解できる。冒頭でも書いたように,宗教や信仰をバックボーンに持つと,人道とか人権とかいう人間的な価値を平気で踏みにじることができる。人権・人命を大切にせよ,とか,ジェノサイドだ,とか,戦争犯罪だと,いくら訴えても,ロシア正教会信者には届かない。彼ら・彼女らにとっては宗教の方が,それら普遍的な価値があるとされるものよりも価値があるからだ。そういう宗教的メンタリティをちゃんと理解しておかないと,不毛なプロパガンダ合戦やどっちもどっち論に終始してしまい,ひいてはこの戦争を泥沼化させてしまうような気がする。

 

 このように「政・軍・教」が一致したロシアの体制を見ると,全く他人事ではない感じがしてくるのは私だけではないだろう。「ロシア核正教」イデオロギーを戦前日本の国家神道と重ね合わせる人も多いはずだ。現在でも政府関係者が靖国神社を参拝し,また神社本庁のもと神社界あげて改憲運動に取り組んでいるさまを見ると,既視感とともに,吐き気を催すほどの嫌悪感を覚える。ウクライナに関する西側の情報を全部フェイクだとしてロシアを擁護している一部の左派は,こういう日本の戦前回帰的な流れを察知できず,日本会議や神社界などの右派勢力といっしょになって国家神道体制を再建しようとする反動勢力であろう。本当にこの国の政治も宗教も,右も左も,全部反動だ。私たちの前途に待っているのは,政教一致と左右合同のファシズム体制かもしれない…