国立市で本日から始まった「表現の不自由展」。昼過ぎまでは、くにもり、ネトウヨ、街宣右翼の抗議や嫌がらせが続きましたが、いまは平穏を取り戻しています。反対派はとりあえず言ってることが同じ。ヘイト共闘でした。 pic.twitter.com/pADAqvvUxW
— 安田浩一 (@yasudakoichi) April 2, 2022
「表現の不自由展」が2日から東京で開催され,支持表明や抗議活動などいろいろな動きがあるようだが,特に「あいちトリエンナーレ」の時に展示されて物議を醸した《平和の少女像》が今回も展示されて,再びヘイトスピーチや恫喝,嫌がらせのターゲットになっているようだ。
《平和の少女像》という彫像をめぐる問題というのは,表現の自由の問題としてだけでなく,何より彫刻そのものの問題として見直す必要があるのではないか。これまでの議論にはその視点が欠けていたように思う。標記の書物を読んで,彫刻とは私たちにとって何なのか,を学んだ。
それを見る者たちとその時代を鏡映しにするものが彫刻なのだ。彫刻の解釈や評価が時代を経て変わっていくのは,それを見る/論じる「われわれ」が変わっていくからにほかならない。
(小田原のどか『近代を彫刻/超克する』講談社p.131)
彫刻は,私たちや私たちの社会を映す鏡だ。そのことを端的に表す言葉が「公共彫刻」であろう。同書によると,「公共絵画」とも「公共工芸」とも「公共写真」とも人は言わないが,しかし「公共彫刻」と人は言う。公共彫刻とは,簡単に言えば屋外に設置された彫刻のことだが,その公共彫刻が日本に初めて現れた19世紀末頃,それは「公共の場」を作り出すものであって,「公共の場」に設置されるものではなかった。
ということは,まだその頃は日本には「公共」はなかったということになる。では,「公共」とは何なのか。特に日本の「公共」とは何か,が問われなければならないだろう。彫刻は一体,日本にどんな公共を作り出したのか。――
「公共(public)」とは,「私的(private)」に対抗する概念として,大衆の,とか,国民全体の,とかいった意味だが,日本語で厄介なのは,公共の同義語に「公(おおやけ)」があることである。日本語で「公」とはもともと天皇を意味する。つまり,西洋では国民全体を意味する語が,日本では国の特定の元首や象徴を指す言葉になっているのだ。
同一のシンボルのもとに集い共同体をなすこと,ここに本邦における公共性成立の一端を見て取ることができよう。
(同書p.25)
日本で彫像は公共を作り出す装置として積極的に利用され,19世紀末以降,スタチューマニア(彫像建立癖)と呼ばれる現象が起こった。帝都・東京は当時,世界で最も銅像の多い都と言われたという。
彫像建立の大きな波は一九世紀に西欧からひろがり日本にも伝播した。スタチューマニアは近代化した都市における西欧的現象として世界規模で流行した。
(同書p.37)
このように彫像建立の流行・氾濫(スタチューマニア)は近代化現象の一つと言えるわけだが,その近代化とはまず第一に「国民」形成のプロセスと言ってよい。本書は,「ナショナリズムと無縁の公共彫刻など存在し得なかった」という千葉慶氏の言葉を引いている。
では,日本ではどんな国民意識やナショナリズムと結びついて,記念碑や慰霊碑などの彫像が製作されてきたのか。本書は,戦前から戦後にかけてその変遷を辿っている。だから本書は,作品解説が中心の美術史や美術批評などではなく,彫刻を「思想的課題」として語る社会批評,あるいは思想的エッセイと言える。
例えば,戦前には戦意高揚のために軍人像がさかんに作られたのに対して,戦後は一転して,同一の台座の上に平和の女性裸体像が建てられた。軍国主義から平和主義へ――。彫刻は常に時勢と為政者に寄り添いながら,変遷してきた。その意味で,彫刻の変遷は,この国の近代化がはらむ欺瞞や歪みを照らし出している。だからこそ,彫刻を語ることは,この国の近現代史を語ることでもあるのだ。
改めて彫刻とは何かを,本書からの引用で確認しておきたい。
この出来事が示しているのは,体制が変わってもなお彫刻が求められたという事実である。彫像を公衆の面前に置き,それに何かしらの意味を付与して群衆の思考を方向付ける。・・・そもそも,それを見て高揚し,それを見て敬虔な気持ちを体感し,それゆえに共同想起の装置ともなるものが彫刻なのである。そういうものとして彫刻はある。あり続けてきた。ゆえに人は彫刻を必要とする。
(同書p.112)
人は彫刻をさまざまに求め続ける。過ぎゆくものを形に残したいと人は欲する。その変遷,うつろいをこそ記憶にとどめる必要がある。彫刻の意義の一つはそこら辺りにあるのだろう。
彫刻の存在意義に関して,重要ではあるが忘れ去られた一連の事件がある。のちに「東アジア反日武装戦線」と呼ばれた者たちの事件である。1970年代に連続企業爆破事件や天皇暗殺未遂事件を起こしたことで知られる「東アジア反日武装戦線」は,それ以前に,《風雪の群像》などの彫刻記念碑や慰霊碑などの爆破事件を繰り返していた。しかし,これらの事件について語られることはほとんどない。三菱重工爆破事件では多数の死傷者を出したが,これらの彫刻爆破事件では死傷者は出ていない。たぶん大道寺将司ら「東アジア反日武装戦線」の原点は彫刻爆破事件にある。これらの彫刻はすべて日本帝国主義の侵略のシンボルと見なされ,爆破の対象となったのだ。
例えば,《風雪の群像》の中の「コタン」と名づけられたアイヌ人像は,和人の前にひざまずかせるという構図となっていた。東アジア反日武装戦線が《風雪の群像》を爆破する前にも,北海道内ではこうした和人による歴史修正主義的な彫像建立に対して,落書き・汚損事件が多発していた。こうした一連の抗議行動の中で東アジア反日武装戦線による《風雪の群像》爆破事件は起きた。それが決行されたのは,アイヌの戦士シャクシャインが松前藩に呼び出され殺害された旧暦の日付,10月23日であった。
東アジア反日武装戦線は,戦後日本の平和と繁栄が先住民族や東アジア諸国への侵略と差別にもとづくまったくの欺瞞であることを,そのシンボルである彫像の破壊によって白日の下にさらしたのだった。彼ら・彼女らが私たちに突きつけた思想的課題は,いまだ超克されていない。本書中の次の一文に,私は同意を超えて感動さえ覚える。
わたしもまた和人であり,侵略者の,入植者の子孫である。無論,無差別テロを肯定することはできない。しかし率直に言って,大道寺の弁には共感する部分がある。米国におけるBLMと彫像破壊に顕著なように構造的差別を強化する彫刻記念碑はあまねく存在している。むしろ,そのような無自覚な暴力性を幾度でも再確認し,それを超克するためにこそ彫刻は存在していると言うことはできないだろうか。
(同書p.78)
「構造的差別」「無自覚な暴力性」を自覚し超克するためにこそ彫刻は存在するのかもしれない。「表現の不自由展」に展示されている《平和の少女像》もまた,その観点から見直されるべきだろう。すなわち,あの少女像も,東アジアへの帝国主義的侵略と構造的差別という日本の近代史の核心を再確認し克服するために存在している,とも言えるわけである。その意味で,この国にとって平和の彫刻とは何かを問うことは,敗戦国における平和とは何であるかを問うことと等しい。だから,あの少女像を拒絶し撤去することは,戦後日本の欺瞞を上書きすることにならないか。そう自己に問いただす必要があるだろう。《平和の少女像》の展示は,私たちが変われるチャンスでもあるのだ。
本邦において平和の彫刻は可能かと問うことは,敗戦国における「平和」の欺瞞を検証する作業と等しい。
(同書p.128)
彫刻は歴史の定点観測にとって実に有効な装置だ。否定され破壊されることで,はじめて彫刻は見いだされる。何度撤去され,何度引き倒されても,彫刻は私たちの前に舞い戻ってくる。その変遷,うつろいは私たち「公共」のありようを映し出している。
彫刻は変わらない。彫刻を見る「わたしたち」が変わるのだ。彫刻は沈黙していない。つねにこう言っている。あなたたちは変われる,と。そのことを,否定と衝突と破壊を繰り返しながら,わたしたちは今日も確かめ続けている。そのような作業を,「近代を彫刻/超克する」とわたしは呼ぶ。
(同書p.129)
彫刻を主題にした書物で,こんなにたくさん大切なことを学べるとは正直思わなかった。本書は彫刻を超克した素晴らしい思想書だ!