自ら進んで選択・行動していると思っていても,実際は第三者にコントロールされているわけで,それは昭和天皇の死去の際にも私たちが経験したものだろう。あの時は,すでに国民が天皇制によってマインドコントロールされていたので,権力者が露骨に「自粛」を要請することがなくても,国民は自ら空気を読んで粛々と派手な行動を慎んだ。しかし今回は相手が未知のウイルスということで,当然それを国中に広げたくない政府としては,国民にイベントや外出の「自粛」を要請することになったわけである。
いみじくも橋下徹が指摘していたように,こういった政府や自治体首長による「自粛要請」には何の法的根拠もない。だから,こういう要請は直ちに取り消すべきで,ちゃんと法整備をした上で出すべきだ,というのが橋下の主張だったわけだが,確かに法律家としては正しいことを言っている。法的根拠がなく,ただ国民が進んで自粛をしたということであれば,自粛による経済的損失や健康被害や学力低下を政府が補償する法的義務も全くないわけで,まあ,言ってみれば「欲しがりません,勝つまでは」とか「贅沢は敵だ」として国民に我慢や忍耐を強いた国家総動員体制が,ウイルスという「見えない敵」を前に再現しているということであろう。
だが,政府がこういった「自粛要請」を出しても,パチンコ店やキャバクラなどは営業をするわけだし,K-1という大きなイベントも埼玉スーパーアリーナで実施された。明らかにリスクが高い,こういった店やイベントが自粛をしないのは,自粛をすれば明日から生活や経営ができなくなるという切羽詰まった問題があるからで,自粛をするもしないも当事者の判断次第である。案の定,このような自粛をしない店やイベントには一斉に批判が向けられたが,あくまで自粛するかどうかは当事者の自由であろう。批判される筋合いのないものである。自粛とは本来そういうものであって,非難されるべきは,外出規制や営業中止,一斉休校といった強行措置を補償とセットで出さなかった政府の方である。「自粛・要請」といった悪魔ワードで国民を欺きコントロールしようとしている限りは,ウイルス対策も経済政策も首尾よく行くとは思えない。
さて,今回の特措法改正により,法的根拠に基づいてこういった要請(=緊急事態宣言)が出せるようになったわけだが,私は,橋下徹と違い,このような国家の強権発動や危機管理で国民・市民の安全や健康が守れるとは思わない。橋下を含めて,政府の対応を批判する側も,いつの間にか「国家の危機管理」の議論に乗って合意形成してしまっているように思える。みんな,政府の「危機管理」能力をあてにしてしまっていて,その観点からしか政府を批判していない。つまり,外出禁止令や都市封鎖など,今よりももっと強力な封じ込め政策や水際対策,検疫・防疫などを求めているのである。
私は,こういう感染症対策などの公衆衛生の問題に対して「危機管理」という用語を使うこと自体が嫌なのだが,「国家の危機管理」と「人々の安全・健康」とは全く別物であり,時には対立することさえあると考える。人々の安全・健康は,政府の号令や強権ではなく,地域・現場でのコミュニティによってしか守れないと思うから。政府はそのために必要な情報や資源を提供すればよい。だが,この30年の新自由主義による市場原理主義が地域やコミュニティを寸断し,災害や感染に脆弱な社会をつくり出した。
今回のウイルスによる社会パニックは,この30年間の新自由主義・規制緩和が,地域・現場でのコミュニティーの連帯と創意を根絶やしにしてきた結果ともいえる。
本当の敵はウイルスではなく,社会の抵抗力を解体してきた新自由主義だ。新自由主義のパンデミックが始まったのだ。
(『人民新聞』2020.3.15)
本当の敵はウイルスではなく,社会の抵抗力を解体してきた新自由主義だ。新自由主義のパンデミックが始まったのだ。
(『人民新聞』2020.3.15)
先ほどの記者会見で安倍は「緊急事態宣言はまだ出さないが,今はその瀬戸際だ」と言って,近い将来に発令する可能性を示唆したわけだが,そんなものでこのウイルスに対応できると思っているのだろうか。東京都知事の小池は首都封鎖も示唆し,「感染爆発 重大局面???」という意味不明なフレーズで外出自粛を呼びかけた。安倍も小池も,おそらくはオリンピックを1年延期したことで何としても1年以内に感染拡大をストップさせようとしている。そのためには緊急事態宣言も首都封鎖もやるだろう。だが,そのような荒療治でウイルスをいったん退治したとしても,社会の多数の人々に免疫ができていない状態では感染「第二波」が押し寄せてくることは間違いない。さまざまな国から日本に人が入ってくるオリンピックが「第二波」になる可能性は高い。オリンピックのために強権的に感染を止めても,そのオリンピックで再び感染が広がる。水際対策や封鎖などで一時的にウイルスの蔓延は止めることはできても,いずれはぶり返す。抗体やワクチンがない限りは必ず再び蔓延する。そんなハイリスクなオリンピックは直ちに中止を決断すべきで,日本は世界に先がけて社会に免疫を作っていく方向でウイルスに向き合った方がいい。その方が終息に向けて安全に着地できると思う。
それにしても,東京で感染者が増えているというが,指数関数的に増えるという感染症の前提から見ると,まだ思ったほど増えていない。外国に比べて日本の感染者が少ないのはなぜだろう。あまり検査をしていない,というのももちろんあるだろうが,もともと日本人には抗体を持っている人が多いのだろうか。最近はBCGワクチンとの関係も指摘されているようだが,だったら血清検査を広くやって抗体を調べるべきだろう。昨日の「朝まで生テレビ」でIgG検査のことが話題になっていたが,抗体の有無を調べるこの血清検査をすぐにでも日本で実施・拡充して,感染防止や免疫グロブリン製剤開発に役立てるべきだ。抗体を持っているとわかれば,外出制限など関係なく普通に経済・社会活動ができる。すでにクラボウが中国から輸入した抗体検査キットが市販されていて,安価で迅速にできて特異度も高いのに,なぜ使わないのか。――
話題の血清検査
— けんご (@kengoo_15) March 27, 2020
デメリットもあるものの、
特異性は90%以上
PCR検査より安価
との事。#朝まで生テレビ #朝生
15分で検査結果が出る「新型コロナウイルス抗体検査キット」とは?(柳田絵美衣) - Y!ニュース https://t.co/dTXBeuwLh9
厚労省の壁がこの検査の拡充を阻んでいるのである。もっと正確言えば,厚労省の一部局である健康局と,国立感染症研究所がそれを認めないのである。戦前の伝染病研究所の体質や思想を受け継ぐ,この旧態依然とした官僚組織が,PCR検査にしても,血清検査にしても,それが民間に広がることを阻んでいる。そのため,市中感染率は調べられないし,適切な感染対策がとれない。
上昌弘さんが「imidas」への寄稿で書かれているのだが,厚労省がPCR検査をやりたがらない理由は,国立感染症研究所を中心とした「積極的疫学調査」という体制にある。「積極的疫学調査」とは,要はかつての伝染病予防法が定めた強制隔離の考え方を引き継いだ方法だ。接触者を調査し,確定診断し,隔離する。隔離によって感染の蔓延が防げるという場違いな前提に立っている。だから厚労省は,新型コロナウイルス感染症を,結核や高病原性鳥インフルエンザと同じく,感染症法の2類に指定した。
「積極的疫学調査」の枠組みは、彼らに様々な権限と予算を与えてきたが、医師の指示に基づき、ドライブスルーなどでPCR検査が実施できるようになると、このような権限は失われてしまう。費用は公費でなく、健康保険で支払われるようになるため予算は削減され、情報を独占することが不可能になる。
新型コロナウイルスの流行から3カ月が経った。既に多くの知見が集積している。このウイルスは感染力が強いが、毒性は強くない。感染症法の2類に分類するような病原体ではない。普通のインフルエンザと同様に扱えばいい。「積極的疫学調査」は中止して、通常の臨床および臨床研究の体制で対応すればいい。これこそ新型コロナウイルスの出口対策に求められることだ。
(上昌弘「新型コロナウイルス対策への提言 〜これまでの経緯を振り返り方向修正を」)
新型コロナウイルスの流行から3カ月が経った。既に多くの知見が集積している。このウイルスは感染力が強いが、毒性は強くない。感染症法の2類に分類するような病原体ではない。普通のインフルエンザと同様に扱えばいい。「積極的疫学調査」は中止して、通常の臨床および臨床研究の体制で対応すればいい。これこそ新型コロナウイルスの出口対策に求められることだ。
(上昌弘「新型コロナウイルス対策への提言 〜これまでの経緯を振り返り方向修正を」)
前にも書いたのだが,いま求められている最も有効な感染症対策は,厚労省・感染研の解体とオリンピックの「自粛」であろう…