浜矩子『「通貨」の正体』(集英社新書) | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…

 前回は著名な社会学者にだまされないようにということを書いたのだが,ケインズ派の経済学者として有名な故ジョーン・ロビンソンは次のように言っている。「経済学を学ぶ目的は,経済学者にだまされないためである」と。個人的には至極名言だと思っている。そこには経済学が庶民をだますことに使われる恐れがあることを警告するとともに,経済学が専門家や官僚だけのものではなく庶民も学ぶべき学問であることを説いているように思う。「新紙幣とアベノミクス」という記事でも書いたのだが,経済学はたくさんの数式やグラフなどを使い,厳密な論理で議論を進めていくため,一般の人には近寄りがたい難解なイメージがあるが,J・ロビンソンの言葉を肝に命じて,私たちは国家御用達の経済学者の言うことを絶えずチェック・批判していかねばならない。

 例えば,前に書いた量的緩和やインフレターゲット政策にしても,「世の中にお金が足りないから景気がいつまでたっても良くならない,だからお金を増やす必要があるのだ」という,経済学を知らない人にとっては大変わかりやすい理由づけがなされるのだが,ちょっと経済学を知れば,それがまったくのまやかしで,経済や金融がそんなに単純に行くものではないことがわかる。J・ロビンソンが言うように,経済学者にだまされてはいけないのだ。

 また,今の経済学者やエコノミストが議論の前提にしている経済・金融の制度にしても,疑ってかからなければならないだろう。例えば,金融政策の主体とされる日本銀行はそもそも必要なんだろうか,とか,私たちが当たり前と思っている管理通貨制度や変動為替制はもう時代に合わなくなっているのではないか,とか,根本的に考え直さないといけない問題はいろいろあると思うわけである。

 前に私は,このブログで日銀解体や金本位制復帰ということを書いたのだが,それは冷やかしでも冗談でもなくて,金融が暴走している現実世界を目の当たりにして,真面目に提案したものなのである。基軸通貨と言われたドルも今や落ち目で,「嘆きの通貨」(浜矩子『「通貨の正体」』p.49)と化しているが,だからといって単に昔の金本位制に戻れば良いということでもない。

 アメリカ中心のグローバリズムや通貨・通商戦争をこれ以上激化させないようにするには,もはや今の制度のままでは限界であろう。それどころか,度を超した資本移動や経済的対立・競争は戦争や紛争を引き起こす危険さえある。その経験を私たちは持っている。だから,そういうリスクをできるだけ減らすような形に制度変革せねばならない。

 先の第二次世界大戦も,そもそもは為替切り下げ競争やそれによる輸出攻勢,保護貿易主義などの通貨・通商をめぐる争いの中で,領土獲得合戦が絡んで始まった。だから,戦後平和が訪れたときには通貨・通商をめぐって二度と対立が起きないように,大戦中から新たな通貨・通商制度を作るよう準備をしていたのである。そこで戦後発足したのがブレトンウッズ体制であった。

 何でここでわざわざブレトンウッズ体制のことを持ち出したかというと,その交渉過程で,イギリスのケインズが提唱した一種の世界共通通貨「バンコール」という構想に,今こそ注目すべきだと考えるからである。

 掲題の浜矩子さんの著書には,ケインズの「バンコール」構想の中身や,それがアメリカのドルに敗れて頓挫した経緯を、歴史ドラマさながらに説明していて実に面白い。ケインズが提案した,バンコールを共通通貨とする「清算同盟」は,金本位制とは違うが,バンコールを「みなし金本位通貨」とした金本位制に準じたしくみである。ドル中心の通貨秩序を確立したいアメリカ側に対して,ケインズはバンコールという一つの国際決済通貨の中にドルを吸収させ,戦後の通貨秩序がドル体制になるのを防ぎたかった。

 浜さんはケインズの提案したバンコールと国際清算(通貨)同盟のしくみを簡潔に三つに整理しているので,下に引用しておく。

 ケインズ構想は,実に斬新で画期的な国際取引の清算方式を提示した。
 その斬新さには,三つの側面がある。第一に,全ての取引国が一つの決済通貨を共有する。しかも,この通貨は金で価値を表示されてはいるが,金との双方向的交換性をもたない。
 第二に,国々は個別的な二国間取引の収支尻調整にこだわらない。あくまでも,清算同盟との総合的・多角的収支尻を調整対象とみなす。
 そして第三に,この収支尻調整責任は,決して一方的に赤字国に課せられるものではない。

 (前掲書p.131~p.132)

 バンコールは,いつでも金に交換できる兌換通貨ではなかったが,金でその価値を定められていた。そのことに各国が同意する。その意味で,バンコールは「みなし金本位通貨」であった。この「みなし金本位制」=国際清算同盟で,なり振り構わぬ為替安競争や貿易戦争,闇雲な資本の移動を規制し,フェアな通貨・通商秩序を作っていこうというのがケインズの構想だったのである。

 〈バンコール対ドル〉〈パックス・ブリタニカ対パックス・アメリカーナ〉というイギリスとアメリカの攻防は結局,アメリカに軍配が上がり,戦後のドル体制=ブレトンウッズ体制がスタートする。そうしてケインズのバンコール構想は忘れられることになったのだが,ところが今,世界の状況は様変わりした。ブレトンウッズ体制発足時には大黒字国だったアメリカは,今や赤字国で,ドルも落ちぶれてしまった。そこにアメリカ第一主義を唱える大統領が現れて,黒字累積国のドイツや日本,中国を非難し始め,通商・通貨戦争の様相を呈している。この様を,ケインズは草葉の陰からどんな思いで眺めているか。

 要するにドルの時代は終わった。といって,何か新しい基軸通貨が出てきたわけではない。もはや基軸通貨を必要とする時代でもないだろう。そこでバンコールのような世界通貨を作って世界の国々に配分し,それによって多角的に債権債務を精算する仕組みを作っていく。それはアメリカなどの先進国に有利な経済ルールを書き換えて,フェアな世界経済に変えていくことでもある。今こそ,このようなバンコールについて真剣に考える時ではないかと思うわけである。

 実はケインズは,1930年代の世界規模の恐慌は野放図な金融の国際化が根本的な原因だと考えていて,いかに金融の暴走を食い止めるかということに肝を砕いていた。そこで,貨幣が国境を越えて動き回るのは極めて危険であり,したがって金融を国際化すべきではなく,貿易は物(財)に限られるべきだとさえ言っているのである。

 今のグローバル経済に慣れきっている私たちからすると,極論のように聞こえるかもしれないが,リーマンショック後の世界的な金融危機などを目の当たりにすると,資本の移動に制限を課そうというケインズの提案はすぐれて現実味を帯びてきているように思える。今日,金融の暴走に歯止めをかけ,市場の機能を回復させるという点で,バンコールを媒介にした「みなし金本位制」という仕組みは大変よくできていると思うわけである。もともとは戦後の通貨秩序を作るために,愛国的な立場から提案されたバンコールであったが,まさに今という時代がバンコールの復活を要請していると言っていい。これも「ケインズ復活」の一つと言えよう。

 柄谷行人さんが『世界共和国へ』(岩波新書)という本の中で,マルクスの世界革命論とカントの国際平和論をつなげるという大変興味深い試みを提示していたが,私はカントの平和論をケインズのバンコール構想で基礎づけてみたいと考えている。バンコールは世界貿易・金融の安定や南北格差の解消といった経済的側面だけでなく,国際平和秩序の構築にも貢献できるシステムだと私は考える。

 実際にIMFがバンコールの復活を検討していることを,本書で浜さんは指摘している。

 二〇一〇年四月,IMFのスタッフが「準備集積と国際的通貨安定」と題する論文を取りまとめた。その中で,グローバル通貨の導入可能性を検討している。グローバル経済の通貨安定のためには,国々が一つのグローバル通貨を共有することが正解ではないか。この考えを提示しているのである。(本書p.139~p.140)


 いずれにしても,私たちにとって通貨というものが重要なテーマであることは間違いない。身近ではあるが得体が知れないため,経済学者にだまされやすいテーマでもある。となれば,だまされないようにしっかりと知識を身につけておく必要がある。その際,掲題の新書は通貨の本質理解の助けとなる。一般読者向けにジョークやダジャレを交えながら,通貨はどうして通貨なのかという基本から,最近の電子通貨や仮装通貨の本質までをわかりやすく解説し,私たちにとって通貨とは何かを考えさせてくれる。

 通貨は,人々がそれを通貨だと認めるから通貨となる。人が通貨と認めなければ通貨ではない。そのことから,浜さんは,通貨の基本は「人本位制」なのだという。ということは,すべての通貨は,「仮想通貨」だということである。つまり,世の中に出回っている通貨はすべて,人がそれを通貨だと「仮想」しているから通貨なのだ。

 対して,今「仮想通貨」と呼ばれているビットコインなどは,浜さんによれば,まだ人々から「通貨」と認められていないから,「仮想通貨」というよりは「通貨」「コスプレ通貨」「暗号通貨」と言った方が適切だと言う。いつも通り浜さんのネーミングは物事の本質を的確に言い表していて感心する。

 ほかにもドルやユーロ,人民元,SDR(IMFの特別引き出し権),そして円にスポットを当てて考察していく。ドルは先ほども述べたように凋落の一途をたどり,ユーロは経済的必然性ではなく政治的な思惑から作られた合成通貨であるため不安定で,その存続がおぼつかない。人民元は人民のための通貨になりうるのか不透明だし,SDRは通貨と金融の境目をフワフワと浮遊していて頼りない。ただし,IMFがSDRに代わる国際流動性としてバンコールを検討していることは先に述べた通りである。

 かつて,バンコール構想を否定することで生まれたIMF体制が,その機能強化に向けてバンコールの名をよみがえらせようとしている。かくして,歴史はひとめぐりして原点に立ち戻った。そのような雰囲気もある。(本書p.201)

 そして我らが円と言えば,ゼロ金利や量的緩和によって生み出された膨大なジャパン・マネーこそがアジア通貨危機やリーマンショックをもたらした真犯人だった。その意味で円は「隠れ基軸通貨」だった!

 日本の量的緩和なかりせば,リーマンショックもなかった。(本書p.212)

 こうやってさまざまな角度から通貨を見てくると,通貨というものが案外と脆(もろ)いものだと思い知らされる。通貨は人々の信認があって初めて成り立つものだ。私は,「量的緩和」という金融政策は通貨の供給過剰を作り出すだけでなく,法定通貨への人々の信認も希薄にしているのではないかと思っている。信認が薄まれば,通貨の通貨性も低下する。やがて信認がなくなれば,通貨は通貨でなくなる。人々が国家も中央銀行も信用できないと思った瞬間,紙幣は紙切れになる。当たり前のことだが,その当たり前のことに対する危機感がなさ過ぎるのではないか。5年後には一万円札の肖像画が福沢諭吉から渋沢栄一に代わるそうだが,私はそれまでに一万円札がゴミに代わらないことだけを望む...。