新紙幣とアベノミクス | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…

 2024年からの紙幣刷新が発表され,いろいろと政治的な思惑が取り沙汰されているわけだが,改元に合わせた発表で新しい時代の幕開けを演出し,その高揚感の中で改憲に突き進もうとしている,という解釈はまあ妥当なものであろう。だが私は,そうした政治的意図のほかに,もう一つ,リフレ派(デフレ対策として金融緩和やインフレターゲット政策を唱える連中)による経済政策的な思惑が隠れているんじゃないかと睨んでいる。ATMなどの機械やシステムの改修による経済効果は,あるとしても限定的であろう。私は,このまま国内消費が低迷し続けるなら,アベノミクスを支えるリフレ派連中が,新紙幣発行を機に巻き返しを狙って新しい手を打ってくるのではないかと見ている。

 インフレターゲットもやり,マイナス金利も実行したが,長期デフレ不況にはほとんど効果がなかった。いよいよ追い込まれたアベノミストたち(アベノミクスを支えるリフレ派)は,銀行券を入れ替えるときに,インフレ期待を煽るためのいろんな手を打ってくるのではないか。例えば旧札100万円を新札98万円と交換する。同様に銀行預金は一律2%を税金として徴収する。また,例えば印紙などを用意して,旧1万円札は税金相当額の204円を貼って使うようにする,など。

 要するに,新紙幣発行を機に,無理やり人々にお金を使わせようというわけである。お金の量を操作すれば経済が動かせると考えている連中だから,こういう強硬手段に打って出ることもあながち否定はできない。ここまでやれば,確かに人々の間に「インフレ期待」は生じるだろうが,本当に景気刺激策になるだろうか。もともと資金需要がなく,実質賃金も低下したままの状態でそういうことをやれば,人々の間に「インフレ期待」というより「インフレに対する恐怖」が広がり,国内に流通する紙幣の信用は崩壊するのではないか。

 アベノミクスの第一の柱であるリフレ政策=インフレターゲット政策を論理的に突き詰めていけば,こういう無謀なやり方に着地するのである。そもそもインフレターゲット政策とは,「インフレ期待」という人間の心理をテコにして景気を回復させようというタイプの経済政策である。すなわち,ゼロ金利でもなおデフレ状態の国で,量的金融緩和を続けながら,中央銀行総裁がたとえば「2%のインフレにする」と宣言することで,国民の間に「これからインフレになる」という期待が生じ,個人も企業もお金を使うようになり,実質金利も低下して景気が刺激される,というものである。

 主流の経済学では,こういった「期待」とか「効用」「満足度」といった人間の主観や心理を重視し,それをテコに経済が動くと考える。インフレターゲット政策の場合でも,「インフレ期待」なる人間心理に直接働きかけることで,実際にインフレを起こせると仮定しているわけである。このように人間心理に訴えかける政策の危うさ,不確かさを,私は今日ここで強調しておきたいのである。

 まず第一に指摘したいのは,果たして日本のような長期停滞の中で「インフレ期待」など本当に生じる余地があるのかということである。落ち着いて考えよう。日銀総裁が目標インフレ率(2%!)を発表しただけで,人々の心理に「インフレ期待」が高まってデフレが止まる,なんて事態は奇跡かマジックとしか言いようのないものだろう。そんな奇跡など起こるはずがない。けれども,インフレターゲット論者はそのような奇跡を本気で信じているのである。私は,インフレターゲット政策はインフレを抑制するにはある程度効果はあるが,デフレ脱出にはほとんど効かないし,とりわけ長期不況では全く効果はなく,むしろ副作用の方が大きくなると考えている。

 インフレターゲット論者の欠点として第二に,デフレを金融的・貨幣的な現象としか見ていないことがある。実質金利も,インフレ期待(将来のインフレ率に関する予想)が高まれば,下がるだろうと脳天気に考える。だが,実質利子率が実体経済によって規定されるという当たり前のことを全く見落としているのである。仮に期待インフレ率を目論み通り引き上げることができたとしても,実質金利への影響はわずかであろう。

 そして最後,三つ目にインフレターゲット政策の根本的な欠陥として指摘しておきたいのが,「期待」という概念の危うさなのである。すなわち,国家や政府当局が「期待」という人間の心理を直接,思い通りにコントロールできるのかという問題である。そして,そのように人々の内面を完全にコントロールできるという前提に立って議論を組み立てているこの経済理論のファシズム的性格を問題にせねばならない。今,国家の経済政策の指針となっている経済学というのは,基本的にこの前提の上に成り立っている。だから私は今の経済学に対して根本的な不信を拭い切れないのである。この前提から解放されるとき,「経世済民」としての本来の経済学が息を吹き返すのだろうと思う。現状の経済学は人間の内面を支配しようとする管理の学問に変質し,御用学問に成り下がっている。だから,それを使って政策を立案しているエコノミストや経済学者は徹底的に批判せねばならない。彼ら・彼女らはファシズム権力の取り巻きにすぎないからである。

 数々の数式やグラフを駆使し,厳密な論理でもって客観的な真理を追究しているように見える経済学者の議論は,社会科学の中でも自然科学に近い「科学」と思われるかもしれない。だがインフレターゲット政策やアベノミクスの大失敗を見れば,それが「科学」どころか,現実の世界とは切り離されたオカルト世界を説くカルト宗教に近いものであることがわかるのではないか。「科学」を装った「宗教」で人々を洗脳し,カルト政策を実行し,ファシズムに突き進む。その動きの中に新紙幣の発行も位置づけられるであろう...。