明石順平『データが語る日本財政の未来』(インターナショナル新書) | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…

 前回紹介した『リバタリアニズム』という本で,オーストリア経済学を研究するリバタリアニズム系の研究所が「健全通貨」ということを重点課題にして,連邦準備制度の解体と金本位制への回帰を訴えていると書かれていて,大変興味深く思った(渡辺靖『リバタリアニズム』中公新書p.69)。大きくなりすぎたFRBと政府の権限や役割に対する根本的不信がリバタリアンには根強く存在する。だから中央銀行&政府の経済への介入を否定し,市場の自生的秩序に信頼を置く。FRB解体と金本位制復帰という政策の現実的可能性についてはともかく,こういうラディカルなことを本気で議論できるアメリカには言論・思想の自由が生きているなあと,つくづく感じるわけである。


 日本こそ日銀解体と金本位制について本気で議論する時期に来ているのではないか。掲題の明石順平氏の本を読んで,それくらいドラスティックなことをやらないと日本の財政破綻と円暴落は避けられないんじゃないかと思えてきた。確かに日銀の解体とか金本位制への回帰と言っても直ちに実現できるものではないし,時代錯誤として一笑に付されるのが関の山だろう。だが根本的に日銀の金融政策や管理通貨制度の存在そのものを疑ってみるという態度は,結構重要で意味のある思考実験ではないかと思うわけである。

 現在,少なくとも日銀や政府による市場介入が常軌を逸していることは,リバタリアンだけでなく多くの人が感じているところであろう。日銀による年間約80兆円にも上る国債の”爆買い”を見ても,そのことは明らかではないか。大規模に金融緩和をして通貨量を増やせば,物価が上がり賃金も上がって景気が良くなるというリフレ派の言説を信じて,日銀は今も国債の”爆買い”を続けているわけだが,結局2%の物価上昇は実現できないし,消費も活性化しない。いくら国債爆買いで金融緩和して金利を下げても,もともと資金需要のないところにお金は回らない。民間銀行が預ける日銀当座預金が増えるだけの話である。

太郎 アベノミクスって,結局順番を間違えたってことね。物価を上げたいならまず賃金を上げるようにしないとダメだったと。
モノシリン そうだね。(中略)結論として,リフレ派が主張していた二つの現象は起きなかった。アベノミクスは「資金需要はあるはず」「物価が上がれば勝手に賃金も上がるはず」という二つの仮定を前提にしていたが,いずれも間違いだったということが証明されたと言える。前提が間違っているのだからうまくいくはずがない。

  (本書p.148~p.149)

 結局のところ,異次元の金融緩和を軸にしたアベノミクスがもたらしたものは円安と株高だけだったわけであろう。このアベノミクスの顛末は,政府が市場に介入するとロクなことにならないというリバタリアンの主張を裏書きしていると言えないか。私はリバタリアンの主張を全面的に支持する者では決してないが,こうした市場の秩序を攪乱するような異常な介入(異次元緩和や為替操作)に対しては,リバタリアン的な観点からNo!を言わなければいけないのである。

 日銀&政府のやりたい放題にやらせているうちに,国債”爆買い”という底なし沼から抜け出せなくなってしまった。今は日銀が無理やり国債を買い占めているから,金利が低く抑えつけられているけれども,もし日銀が国債を買わなくなったらどうなるか。日本の国債価格は暴落し,金利が急上昇することはほぼ間違いない。日銀は今では物価目標すら取り下げてしまったが,まだ爆買いを止めていない。もう止められないのである。そろそろ出口戦略を考えなくてはいけないとよく聞くが,そもそも異次元の金融緩和に出口などないのだ。

 政府による(金融)市場への介入が最悪の事態を招きつつある。これは,まさにリバタリアンが最も恐れていた事態であろう。こういうことにならないように,法律(財政法)で財政ファイナンス(日銀の国債直接引き受け)を禁止しているのである。だが,その直接引き受けと実質的に変わらないことを,民間の銀行を間に挟んで間接的にやっているわけである(明石氏はそれを「脱法借金」と呼ぶ)。その結果,日銀当座預金が400兆円近くまで膨れ上がってしまった(「異次元の金融緩和」が始まる前の約6倍!)。この超巨額な日銀当座預金があるせいで,当座預金の金利を上げてインフレを抑えるという方法も取れなくなった。利払いが莫大になり,日銀の債務が資産を上回って債務超過に陥るからだ。普通の会社でいえば倒産だ。確かに日銀は通貨を発行できるから,お金を返せないという意味での倒産はないが,果たしてその通貨は信用を保てるだろうか。日銀が債務超過になれば,円の信用が失われる可能性は高い。円の信用が落ちるということは円安を意味し,円安になれば物価は上がって,インフレが止まられなくなる。悪性インフレ,ハイパーインフレーションの再来である。

 世界3位の経済大国の中央銀行が債務超過に陥るなんて事態は人類史上例がないからね。(本書p.225)

 私たちは今,地獄の扉の前に立っているのかもしれない。日銀の買いオペ(金融緩和)は止めることができないが,いつかは止めなければならない。この矛盾がデフォルト(債務不履行)→円崩壊という形か,あるい1930年代のように戦争という形か,わからないが,いずれ爆発することになる。決して不安を煽っているわけではない。掲題の明石氏の本を読めば,このような不安が単なるまやかしではないことがわかるだろう。

 本書は160個ほどのグラフや表を用いて,極めて客観的に日本の経済や財政の問題点を解説している。統計データは決して読解が難しい複雑なものではなくて,ポピュラーな公的データを使っているのでスムーズに理解できる。本書は,一昨年出た『アベノミクスによろしく』の続編という位置づけで,内容が重なるところもあるが,図表も大幅に増えて,さらにパワーアップして読者に「これでもか,これでもか」と厳しい現実を突きつけてくる。前著はアベノミクスがもたらした悲惨な現実を暴き出した感じだったが,本書はアベノミクスだけでなく,より広く歴史的背景や国際比較をふまえて,どうして日本の経済や財政がこれほど悲惨な状況になってしまったのかを実に丁寧に説明していて,経済に疎い人や,おそらく高校生でも十分理解できる内容になっている。是非多くの人に読んでもらい,今,日本の財政がどういう危機に直面しているのか,危機の内実を知ってほしいと思う。

 本書は,財政危機を煽る財政均衡主義,緊縮財政論の類とは違うし,もちろん景気回復には財政出動が必要と説く財政楽観論とも違う。思想の左・右にとらわれず,豊富に用意したデータでできる限り客観的に日本の財政を語らせているところが本書の最大のストロングポイントであろう。そのような豊富な客観データが私たちに語るものは,「日本にとって非常に不都合な事実」であり「恐ろしい事実」である。この不都合な事実から私たちは目をそらしてはいけない。だが,経済の専門家ですらこの辛い事実を直視しようとせず,緊縮しないからダメだとか,もっと財政出動すれば景気は良くなるとか,現実から全くズレた楽観的な議論ばかりしている。というのも,それらの議論はすべて財政破綻は絶対にしないという前提に立っているからである。

 著者の明石氏も指摘しているように,日本は高度経済成長が終わった後も「経済成長すれば何とかなる」という成長幻想を捨てられず,したがって正面から財政再建に向き合ってこなかった。アベノミクスというのは,成長幻想のなれの果ての姿だ。本書では「60年償還ルール」や「借換債」などについて詳しく解説しているが,それらは要するに借金返済を先送りにするテクニックであり,いわば前代未聞の自転車操業である。短期的に終えるならともかく,長期に続ければ元本は全く減らないし,利息は発生し続け,その利息の支払いもまた借金で調達する。そのように借金を延々と先送りしてきた結果,残高が巨大に膨れ上がってしまい,もはや成長してもどうにもならない状況になってしまったのである。

 それにしても,こういう重大なことを経済学者は何でこれまで指摘してこなかったのだろう。『アベノミクスによろしく』を書評したときにも書いたが,著者の明石氏は弁護士である。経済関係の事件を扱う弁護士ではあろうが,いわゆる経済学者やエコノミストではない。経済の専門家ではないから,逆に素人にもわかりやすい本書のような本が書けたとも言えるが,とはいえ,いわば素人の弁護士さんにこのような優れた経済本を先んじて書かれたことに対して,経済学者と称する人たちは恥ずかしく思わないのだろうか。こういう素人向けの一般書を書くことは,研究者としてのプライドが許さないのだろうか。だったらそんなプライドは捨ててしまった方がいいだろう。それとも,日本の経済学者は政権の提灯持ちばかりということだろうか。そうかもしれないね。本書の第5章「アベノミクスの失敗をごまかす『ソノタノミクス』」では,GDP統計の計算方法が2016年に変更されて以降,「その他」の項目で数値がかさ上げされていることをデータ上で証明しているが,こういう統計不正に手を貸しているのも,官庁エコノミストや民間の経済学者である。そういうお抱え経済学者にアベノミクス批判を期待しても所詮無理な話なのだ。

 果たして本書に反論できる経済学者は日本にいるだろうか。私が見た限り,今のところ本書に対する本格的な批判は見当たらない。前に『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』というブレイディみかこ・松尾匡・北田曉大の鼎談本を読んで,反緊縮という3人の立場には基本的に賛同したのだが,経済学者の松尾さんが積極財政やリフレ政策をしきりに説いていて,この人は日本の財政事情や国債の仕組みをわかっているのかなと疑問に思ったことがあった。アベノミクスや緊縮財政に批判的な左派経済学者にはこういう財政楽観論者が多い。「そろそろ左派は〈経済〉を語ろう」と呼びかけるのも大事だが,「そろそろ左派は〈財政〉を語ろう」という姿勢もそれに劣らず大切であろう。

 さて,本書の「あとがき」には,こう書かれている。

 私がこの本に書いた悲惨な未来は,信じたくないかもしれません。しかし,人類の歴史から見れば,結論はここに至るとしか思えません。日本が本当に財政再建に舵を切るのは,円が暴落していき,国民がはっきりと危機を自覚した時となるでしょう。(本書p.284)

 また,本書が真に注目されるのは,通貨崩壊の後のことかもしれないとも述べられている。だが,その時では遅いでのある。

 「オシマイ」――本書のキャラクターが冗談っぽく言ったセリフが逆にリアルで,妙に印象に残った。

太郎 ウワーッ!借換債の発行額が異次元すぎる。一番多い時(2014年度)で約120兆円も発行しているじゃん。これ,毎年の税収の倍くらいの額だよね。こんなに毎年借り換えしてこの先持つのかな。
 借換債って,買ってくれる人がいるから成り立ってるんだよね?もし借換債を買ってもらえなくて,うまく借り換えができなかったら一体どうなるの?
モノシリン オシマイ。
太郎 「オシマイ」って……ふざけないでまじめに答えてよ。
モノシリン 借り換えができなければ,約束した日にお金を返せないことになる。これをデフォルト(債務不履行)という。債務不履行なんてやったら,それ以降国債を買ってもらえなくなる。そうすると国の資金繰りがストップして,公務員の給料が払えなくなったり,年金が支給されなくなったり,病院で治療を受けられなくなったりといった事態が生じるだろうね。

 (本書p.31~p.32)

 モノシリンが言うように,本当にこの国はもう「オシマイ」なのかもしれない。財政が破綻すれば通貨が暴落し,国民生活を破壊する。この当たり前のことがこの国では理解されず,あまりにも軽く見られている。戦前~戦後という近い過去に似たようなことを経験したにもかかわらず。私はすでに破滅的事態を覚悟している。そこからどうやって立て直すかを考えているから,日銀解体や金本位制への回帰という考えに及んでしまったのである...。




〔追記〕リブログさせてほしいとの声を頂いたので,記事の日時更新しました。