
昨日の記事でたまたま大逆事件の12名の処刑(1911年1月24日に幸徳秋水ら11名,翌日に管野スガ1名を処刑)について触れたのだが,今日の一日7名もの死刑執行は,その大逆事件以来の大量処刑ではないか。まさかこの時代に法治国家と称する日本の国家が7人も一気に処刑するとは予想できなかった。やはりこの国は尋常ではない。安倍政権の下,国家暴力剥き出しのおぞましい大虐殺国家に成り果ててしまった。統治権力を維持するのに,もはや死刑という国家暴力に頼るしか手がなくなったということだろう。しかも死刑が執行されるたびにリアルタイムで逐一報道するテレビ局があるとは,狂っているとしか言いようがない。それを観ていた人の中には具合が悪くなった人も多いのではないか。死刑をバラエティショーみたく報道するというのはまともな感覚ではない。
死刑のおぞましさは,"人殺し"にほかならない死刑を正当化し,傍観する者の心を腐敗させてしまうことでもあります。
(大道寺将司『最終獄中通信』河出書房新社p.133)
死刑執行があると,直接に関わる刑務官でなくても険しく,沈うつな表情になります。執行を煽るメディアは執行に関わる者たちのことなど,全く考慮していないのではないだろうか。
(同書p.217)
(大道寺将司『最終獄中通信』河出書房新社p.133)
死刑執行があると,直接に関わる刑務官でなくても険しく,沈うつな表情になります。執行を煽るメディアは執行に関わる者たちのことなど,全く考慮していないのではないだろうか。
(同書p.217)
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昨日書いたような国際法規範も守ろうとせず,国際社会の声にも耳を貸そうとしないこの国の人びとが,世界の潮流に反して,こういう野蛮な死刑制度を支えてるのだろうと思う。死刑存続を積極的に支持するのでなくても,このような法規範意識も人権感覚も国際感覚も欠如し,残虐な刑罰を禁止した日本国憲法や死刑廃止条約について無知・無関心な人たちが,実は死刑制度を社会の奥底で支えているのである。その点について,大道寺将司『最終獄中通信』に重要なことが書かれていた。私たち一人一人が「ノコギリ」を引いているのだと。元死刑囚であり俳人が残したメッセージは重い。
国家が法に基づいて人を殺すことは,国家の構成員たる一人ひとりが死刑囚の首を少しずつノコギリで引いてゆくことだと。死刑制度を存続させるということは意識的であれ無意識的であれ,ノコギリを引いていることなんですね。
(同書p.204)
(同書p.204)
死刑なんていう残虐な刑罰は,加害者の反省や償い,また事件の真実解明や犯罪抑止などとは全く関係のない,国家の国家による国家のための殺人である。それが今回の悪辣なパフォ-マンスで明らかになったのではないか。死刑執行でオウム事件の真実は永久に閉ざされたままになるだろう。生きて贖罪と自責の念を背負い,オウムとは何だったのかを問い続けることが,被害者や社会に対する真の意味での償いになるのではないだろうか。死刑は今や被害者遺族の感情を満たすというよりは,国家権力のための政治利用や自己満足にすぎなくなっている。こういう死刑制度は,人の命を虫けら以下に扱う安倍政権とともに直ちに廃止すべきだ。さしあたりはもうこれ以上執行させないこと,執行停止を国際社会と連携して求めていきましょう!
死刑執行は民主主義の理念と相反する,国家による殺人以外の何物でもありません。
国連人権高等弁務官は,日本政府に対し,・・・死刑執行の停止を求める声明を出しました。鳩山法相は死刑は内政問題だと躱(かわ)しましたが,国際社会からの批判には真摯に向き合うべきです。
死刑執行の速やかな停止を!(2008年2月)
(同書p.166)
国連人権高等弁務官は,日本政府に対し,・・・死刑執行の停止を求める声明を出しました。鳩山法相は死刑は内政問題だと躱(かわ)しましたが,国際社会からの批判には真摯に向き合うべきです。
死刑執行の速やかな停止を!(2008年2月)
(同書p.166)
