
ポーランド戦の何が問題だったのか?
「日本サッカー素晴らしい」で一色の日本のメディアを見てアホじゃないかと思うわけだが,全く日本のジャーナリストや評論家はピントがずれている。私があのポーランド戦について一貫して言っていることは,スポーツマンシップとかフェアプレー精神がどうこうじゃなくて,まず第一に,日本代表がFIFAの行動規範に違反したことの重大さなのである。そしてもう一つは,監督も選手も負けを狙いに行ったことをはっきりと「自白」しちゃってる点なのである。
最高法規としてのFIFA行動規範
どうしてそのことがそんなに問題なのか。――FIFAの行動規範(Code of Conduct)は組織の中のいわば最高位のルールである。すべてに細則や罰則規定があるわけではないが,あくまで最高法規である。国内法で言えば憲法に当たるものだ。どうも日本ではこういうCodeや法,ルールに対する認識が,西欧(FIFAを含む)とは大きく隔たっているように思える。つまり日本では,罰則規定のない上位の規範的・理念的なルールなら破っても構わないという認識がはびこっているように思えるのだ。だから今回のワールドカップでも,日本は大会規則や競技規則を守ったんだから問題ない,という理解になる。だが,そういう理解は日本国内では通用しても国際社会では通用しないものだろう。
法規範体系とその認識が,日本と欧米社会では大きく懸け離れているのである。だから世界から批判されている意味が日本人にはちゃんと理解できないし,議論がかみ合わない。
負け試合のパス回しは憲法違反である!
欧米的な認識で言えば,FIFA行動規範は一国の憲法にあたるもの。そして,レフェリーが試合を裁くマニュアルである大会規則や競技規則は法律にあたるものだろう。「日本はルールを守って決勝トーナメントに進出したんだから問題ないだろ」という日本でよく聞く議論は,ルールという語を日本的な狭い意味だけに限定解釈して使っているわけである。こういう正当化は一歩,日本の外に出れば通用しない。
日本がやったことは「勝利を目指してフェアにプレーする」というFIFA規範から明らかに逸脱しており,罰せられて然るべきというのが世界の常識的な解釈であろう。それはいわば憲法違反であり,重大な根本規範を破ったものと受け止められているのである。あのポーランド戦で言えることは,日本代表がルールを巧く使ってグループリーグを勝ち抜いたということではなく,全く前例のない想定外の事態だったため大会規則では対応できなかったということ,つまり大会規則に不備があったということである。「毎試合勝利を目指す」というFIFA規範があるのに,負け試合で延々見苦しいパス回しをするチームが現れるとは誰も想定していなかったのである。最高位の法を侵しながらルールを守ったなどと言うことは,世界的に見れば言語道断,詭弁の極みである。
遵法精神を著しく欠いている国=日本
欧米では法の権威は著しいが,日本では「法」というものがあまりに軽く見られている。特に上位の法(憲法!)ほどその権威が蔑ろにされている。そのことは現実に多々,目にするところであろう。長くなるので今日は政治的な話は控えたいが,安倍政権によって人権尊重も国会の権威も平和主義・専守防衛も,憲法で保障されているありとあらゆるものが次々に法案の強行採決や閣議決定で破壊されていることは,いかに今の日本がルール意識や遵法精神の廃れた国であるかを示しているだろう。最高法であるFIFA規範を逸脱しながら「ルールを守った」などと言い張って日本チームを擁護・称賛している連中は,憲法尊重擁護義務を知らない安倍政権と同格なのである。
また,国際機関からの勧告に全くと言っていいほど耳を貸さないことも,日本における法規範意識の欠如を表している。例えば,死刑制度にしても朝鮮学校への補助金停止にしても,あるいは障害者への強制不妊手術にしても,あるいは特定秘密保護法や「共謀罪」法にしても,日本は国連の人権機関などからの改善勧告を悉く無視し続けている。日本のやっていることは国際法規範(条約や慣習法など)への挑戦であり,国際秩序の破壊行為なのである。そういう国際感覚のなさ,国際社会とのズレは,根源的には何より法規範意識の欠如から来ていると私には見えるのである。
W杯史上最悪の試合だった西ドイツ対オーストリア=「ヒホンの恥」
さて,今回の日本のアンフェアな戦い方について,「被害者」であるセネガルはFIFAに訴えることを準備しているという。この提訴の意味を考える上で,82年の西ドイツ対オーストリア戦を簡単に振り返っておきたい。この試合は,ワールドカップ史上最悪と言われる「談合試合」であり,グループリーグ最終戦2試合が同時刻に開始される現在の制度ができたきっかけにもなった試合である。
《西ドイツ,オーストリア,アルジェリア,チリ》が同じグループリーグ(1次リーグ)で戦ったのだが,最終戦のアルジェリア対チリは,西ドイツ対オーストリアの前日に行われ,3対2でアルジェリアが勝った。その結果,
・西ドイツはオーストリアに勝つことがグループリーグ突破の条件になり,
・オーストリアは西ドイツに負けても,2点差以内の負けならばグループリーグを勝ち抜けできること
になった(詳しい経過や勝ち点などは他のサイトで見てほしい。「ヒホンの恥」で検索すれば出てくると思います)。
そしてその試合は,前半に西ドイツが1点を入れた後,両チームがロングボールを蹴り合うだけの無気力試合になり,結果,西ドイツが1対0で勝ち,西ドイツとオーストリアが2次リーグ進出,アルジェリアは敗退へと追いやられたのである。西ドイツとオーストリアというドイツ語圏のチームが,フランスの旧植民地アルジェリアを蹴落とした格好となって,当然「談合試合」が疑われた。アルジェリアもFIFAに提訴したが,「疑わしいが証拠はない」として却下され,両チームは何の制裁も受けていない。
この西ドイツ対オーストリア戦で,オーストリアは負けのままでいいとして試合運びをしたことは子どもの目にも明らかだったが,客観的な証拠がなかった。状況証拠しかない。両国サッカー協会や監督の指示,金銭の授受はなかったようだし,選手も「談合」を認めていない。だからFIFAも行動規範に反したとして制裁を発動できなかったのである。この試合と,今回の日本・ポーランド戦の一番の違いは,その証拠の有無なのである。
「ヒホンの恥」よりも恥だった日本代表
もちろん82年の西ドイツ・オーストリアと,今回の日本・ポーランドは,置かれた状況は全く違うが,私が言いたいのは,日本はFIFA規範に意図的に違反して負けを狙った証拠をはっきりと残していることなのである。つまり西野監督も長谷部主将も負けを狙って試合をしたことを「自白」している。そして試合中の長谷部や乾のしぐさからも,攻めないこと,またイエローカードをもらわないことを指示していることがはっきり見て取れる。日本の監督も選手も,公に規範違反を実行し,それによってグループリーグを突破したことを認めているわけである。西ドイツやオーストリアはそういうことをしなかった。実はその違いは大きい。法規範意識が内在化しているかどうかを如実に表しているからである。法規範を破ることの重大さに,日本の監督・選手はいささかも気づいていない。それは,法を遵守する健全な精神や倫理観が全く失われていることの表れでもある。
今回の大会でも,デンマーク対イングランド戦で,イングランドは負けてもグループリーグ突破ができ,しかも負けた方が決勝トーナメントで比較的楽なブロックに入れる条件だったから,1点差で負けていても敢えて攻めようとしなかったように映った。だから無気力試合が疑われたのだが,イングランド側は断固それを認めようとしない。少なくとも規範は守っているという建前は貫こうとしている姿勢がうかがえた。日本はその建前さえも取っ払ってしまったと言える。
法規範意識の欠如こそ問題!
私は,バレなければFIFA行動規範に違反してもいいとか,建前だけで良いとか,そういうことを言っているのではない。日本と欧米との,法規範意識の違いを言いたいのである。そういう最高位の規範や建前が崩れてしまったら,どうなるか。スポーツマンシップもフェアプレーも何も成立しなくなってしまうのではないかと懸念するのである。例えば,安倍政権によって規範的な憲法が改正されて三大原則が取っ払われてしまったケースとのアナロジーで考えれば,わかりやすいのではないか。民主主義も個人も法の支配も消えた独裁国家や全体主義国家になることは目に見えているだろう。
そういう意味では,ロンドンオリンピックで日本女子サッカーがグループリーグ2位通過を狙って,無気力な引き分け試合をやった時に,サッカー選手にFIFA行動規範を含めて規範意識を徹底して教えるべきだった。あの試合をもっと問題にして,スポーツ選手・スタッフの意識を改めるべきだったが,賛否両論併記という形で,おざなりのまま終結してしまったことが惜しまれる。
日本の選手も指導者も法規範意識が薄いか欠如しているから,自ら「不本意な試合でした」と自供できるのである。これは,本人たちにその自覚はないにしても,客観的に見ればFIFA行動規範への反逆,国際法の冒涜,フェアプレー精神の蹂躙である。こんな規範なんか必要ない,大会規則・競技ルールさえ守ればいいんだ,という間違ったメッセージを世界に発信したのである。だからFIFAには,セネガルの提訴の意味をよく理解して,日本に対して除名や国際試合無期限停止などを含めて断固とした処分を取ってほしいと,私は個人的に望むわけである。
日本は「いつか来た道」を歩んでいる…
こうやって日本が国際規範や国際世論を無視する先には何が待っているか。救済を求める国際社会の声を無視して幸徳秋水ら12名を処刑し,朝鮮の人びとの反対を押し潰して朝鮮半島を植民地化し,国際連盟の勧告を無視して満州国を統治し,南京大虐殺に対する国際社会からの批判を顧みずに日中戦争を継続していった,その先に何があったか。再び日本は孤立化し自滅する以外に道は残されていないのではないかと深刻に憂う...。