映画「書を捨てよ町へ出よう」(@名古屋シネマテーク) | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)



 一昨日は書を捨てて掲題の映画を観に行ってきたわけだが,どうして「万引き家族」ではないのかと問われれば,「観る気がしなかった」と言うほかない。日本人の大多数が称賛するものにロクなものはないという確信めいたものが私にはあるし,権力とは距離を置き,社会の不条理を描いているからといって良い映画とは限らないだろう。さらに,何人かの信頼できるブロガーさんの評価を見て,これは観るに値する映画ではないなと確信したわけなのである。どちらにしても観ていないのだから,これ以上のコメントは差し控えたい。

 私に言える確かなことは,「書を捨てよ~」の方は観て損はないということである。この映画の主役家族はいわゆる「万引き家族」であるし,いま日本人が熱狂させられているサッカーも野蛮なスポーツとしてこの映画の主要な要素になっている(それにしても70年代初めにすでにサッカーに注目して社会風刺をしているのも寺山ならではセンスだ)。反権力も貧困も植民地支配も地方も家族も同性愛も暴力もロックも,ありとあらゆる要素がこの映画には詰まっている。だから,これを観れば「万引き家族」など他の日本映画は観る気が起こらなくなってしまうのではないか。刺激的なシーンも多いので,当時から反発や批判も多かっただろうし,怖さや嫌悪感を覚える女性もいるかもしれない。けれど私は差別意識や偏狭さなどはこの作品から少しも感じなかったし,むしろそういう日常性を超越したシュールさや,世界に開かれた革新性,前衛性を今なおこの作品からは感じた。そして何より作品の至る所にエネルギーが充溢しているのを感じる。70年代初め,この時代にはまだ日本映画は生きていたのだなと実感した。おそらく今の時代には作れない映画であろう。道徳教育とか,お行儀よさ,禁煙,暴力反対,反テロが既定路線になっている今の日本でこういうアヴァンギャルドな作品が受け入れられるわけもない。だから「万引き家族」のようなつまらない映画が当たるのだろう。

 寺山修司はその短歌や俳句が私は好きだったのだが,言葉だけでなく映像作品でも寺山修司は天才だったのだなと再認識させられた。彼はマルチに天才的なクリエーター,というかアジテーターなのだ。この作品でも,映像や音楽が観る者の中にどんどん入ってきて,スクリーンと客席の境が分からなくなる。いつの間にか俳優たちが客席に降りてきて,私たち観客がスクリーン上の人物に同化してしまっているのである。もちろん役者が吐く言葉も重い。在日朝鮮人が どもりを直すために標準的な日本語を一生懸命練習するが上手くならなかったと,どもりながら話している。同性愛者も娼婦も結婚できないサラリーマンもマザコンも左翼かぶれのインテリも,みんな孤独や哀しみを湛えながら自己を主張している。スクリーンに出ている彼ら彼女らはみんな観客の私たちと同じじゃないか,と観ているうちに気づくのである。

 名もなき私たち一人一人が映画になる。時折スクリーンが真っ白になるが,あれは私たちが何かを書き込むためにあたえられた余白なのだろう。寺山映画を楽しむには,あの余白に観客が参加していくことが必要なのだ。寺山が常々言っていたように,作り手側と観客の想像力が一つになることで作品ができあがる。だから,特に本作はできればDVDなどではなく,映画館で観ることを勧めたい。古い映画なので,あまり上映する映画館もないと思うが,家のテレビ画面で観るのなら観ない方がいいかもしれない。というのも,それは先に述べたように,映画館の暗闇に座って観ている観客とその想像力を想定して作られたものであり,観客と一体になって映画館のスクリーンを乗っ取り,既成の「映画」概念を覆そうとした実験映画だからである。観客との共同作業で「映画」を破壊しようとした凄い映画!というか,映画だけでなく,今まで個人や社会を縛っていたさまざまな固定観念や仕組みを打破するために,映画という表現方法を使っているのだ。いずれにしても,「寺山修司,今なお健在」を思い知らされた映画であった...。

「映画『書を捨てよ町へ出よう』エンディング」

「だけどオレは映画が嫌いだ。さいなら映画,さいなら映画」