在日朝鮮人と人力飛行機――映画「書を捨てよ・・・」がとらえたもの―― | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)



 「万引き家族」や「HINOMARU」ソングがいろんな意味で話題になっているときに,前回に続いて性懲りもなく「書を捨てよ町へ出よう」について書くのは時代錯誤と思われるだろうが,「今」だけ見ていては見えないものがあると思うのである。

 寺山修司が在日朝鮮人の思いをモチーフにしてこの映画を作ったことは間違いない。映画の冒頭,青森弁訛りの主人公は,在日朝鮮人の貧しい男が人力飛行機で祖国に帰ろうとするが落下して死んだという話をする。エンディングでは,自身も夢の中で人力飛行機で遠くに飛んでいこうとするが,何度挑戦しても墜落してしまう,と独りごちる。家族も友人も社会も国家も,何もつかまるものがないのだ,と。また,在日朝鮮人の青年が,スクリーン一杯に顔を半分だけさらして,日本社会にとけ込もうと涙ぐましい努力をしてきたことを独白するシーンもインパクトがあった。

 「在日朝鮮人」と「人力飛行機」――この二つがイメージの両輪となってこの映画は「映画」の枠を突き抜けている。サイケデリックな映像や音楽の中で若者の屈折した憂鬱とか挫折感が上手く表現されていて,それゆえに逆に今にも爆発しそうなエネルギーやほとばしるような勢いも至る所に感じるのである。ストーリーは確かに粗削りだが,これは一種の映像詩であるから,細かなストーリーはさほど重要ではない。これを観るにあたってはイメージの鮮烈さと「大きな物語」性が決定的に重要だ。

 本作は,貧しさや差別の中で生きる在日朝鮮人を,単に憐れみや救済の対象として,あるいは不幸の素材として,取って付けたようなストーリーを作って描くのではない。あくまで「在日朝鮮人」が「人力飛行機」で海を越えようとしているというイメージを大切にし,そこから生まれる観客の想像力を動員して,「大きな物語」を紡ごうとしている。

 私は,映画を観ている間,寺山修司の有名な次の短歌を思い起こしていた。

 さらば夏の光よ 祖国朝鮮よ  屋根にのぼりても海見えず


 本作はこの歌のドラマ性を映像化したものじゃないかと思えるほど,イメージがピッタリ重なり合う。この映画では,主人公家族が住んでいた豚小屋のような長屋アパートに在日朝鮮人も暮らしていたが,実在的に在日朝鮮人の生活を深く追体験し,限りない共苦・共悲の感情をもって描いていた。そして同時に寺山は,過酷な環境で生きる在日朝鮮人を通して,戦後日本の闇や暗い世相をシュールな映像で描き出した。すなわち,戦後復興や高度経済成長から弾き出され疎外された人たちの悲惨な生活を,在日朝鮮人は劇的に代弁するのである。

 こういう寺山の在日朝鮮人への共鳴,同一化には,日本の植民地主義に対する批判意識や石川啄木の朝鮮人観の影響などが見て取れるが,それとともに,やはり寺山個人の歌人としての柔らかな優しい眼差し,詩人としての繊細なセンスが光っている。寺山の詩歌において,在日朝鮮人が大きなテーマとしてあったことは言うまでもない。彼は在日朝鮮人を通して自分自身の闇にも向き合っていたのではないかと思う。

 そして本作では,戦争犯罪人である父や万引き常習犯の祖母,あるいは同性愛者,マザコン,娼婦,引きこもり,マリファナ常飲者,頭でっかちのインテリなど多彩な人物が登場してくるが,彼ら彼女らは皆,在日朝鮮人に通じる疎外感や喪失感を共有しているように思えた。在日朝鮮人という厳しく困難なテーマを,この映画は決してぼやかしたり甘ったるいものにしたりすることなく,戦後排除された日本人とともにわが事のように描き出している。人力飛行機で海を越えようとして失敗した在日朝鮮人の痛みは,戦後日本に生きる私たち自身の痛みでもある。


 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや