新崎盛暉さん | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)



(4月1日付「沖縄タイムス」より)

 新崎盛暉さんが亡くなりました。

 2年くらい前に新崎さんの『日本にとって沖縄とは何か』(岩波新書)を読んだ。それを読んで,沖縄の基地問題が,地域限定の問題ではなく,沖縄の人々だけが当事者であるわけでもないこと。すなわち,これはヤマトゥンチュー(日本人)一人一人に突きつけられている問題であることを思い知らされたのだった。

 米軍基地は必要だが自分たちの所にあると困るので沖縄に押しつけておきたい,というヤマトゥンチュー(日本人)の多数意思が,安倍政権の沖縄に対する強権的な姿勢を支えている。(本書p.216)


 そして,新崎さんが先鞭をつけた「構造的沖縄差別」という理論的な把握には目を開かれる思いがした。すなわち「構造的沖縄差別」とは,「対米従属的日米関係の矛盾を沖縄にしわ寄せすることによって,日米関係(安保体制)を安定させる仕組み」であり,日本政府は対日平和条約・安保条約以降,その仕組みを積極的に利用し,米軍基地を沖縄にしわ寄せしていった。そして,その構造的差別は現在も厳然と続いているのであり,辺野古新基地建設は「戦後七〇年の日米沖関係史の到達点」(本書p.ⅰ)として存在する。

 構造的沖縄差別は,日本の対米従属が生み出した結果と言える。だから,ヤマトゥンチュー(日本人)は沖縄独立論に傍観者的な関心を示す前に,「日本が惰性的対米従属の仕組みから離脱することに主体的責任を感じ,行動すべきではないか」(本書p.217)という新崎さんの主張は,私たちの進むべき方向を指し示している。

 沖縄の歴史と現状をちゃんと理解するには,新崎さんの本が一番良いのではないかと思う。特に本書は,私のような沖縄以外の地に住む人たちに読んでほしい本である。本書の帯に書かれているように,「これはあなた自身の問題である」のだから。そして,「戦争ができる国」から「戦争を望む国」へとひた走る現代の日本にあって,そうではない国と社会を,未来に想像し創造するためにも,一読をお勧めしたい。



 新崎さんについては,私のようないい加減な人間よりも,ちゃんと然るべき人が追悼の記事を書くであろうから,それらを読んでもらった方がいい。ただ私が蛇足として一つ付け加えることがあるとすれば,ちょっと前に富村順一『わんがうまりあ沖縄』の巻末にあった公判資料を読んでいたときに「新崎盛暉」の名前を発見したことである。新崎さんは富村順一の公判の証言台にも立っていたのだ。すなわち新崎さんは,富村が起こした東京タワー事件の背景を明らかにするために,公判で沖縄の現代史と反基地闘争史を詳らかに述べたのだった。その読書の感慨がまだ新鮮なうちに届いた訃報であった。この公判はちょうど沖縄復帰の1972年のことであるから,新崎さんがまだ三十代のときで,肩書きには「沖縄問題研究家」とある。沖縄大学に赴任するより前のことだ。時代の移ろいを感じるとともに,新崎さんの生涯には沖縄の現代史・民衆史が全部詰まっているような錯覚にさえ陥る...。

 ◎第十四回公判(三月一〇日)
 小山内宏氏(軍事問題研究家),新崎盛暉氏(沖縄問題研究家)が証言台に立った。
 (中略)
 新崎氏は,戦後沖縄民衆の闘いを歴史的経過に則しながら述べ,五〇年代のプライス勧告反対の島ぐるみ闘争からはじまった全島的闘い,六〇年の復帰協結成によってはじまる輝かしい本土復帰闘争の開始,六六年北爆の開始とベトナム戦争の激化にともなう闘いの一層の深化の過程が述べられた。

 (富村順一獄中手記『わんがうまりあ沖縄』柘植書房p.216,資料「公判闘争経過報告」より)