選挙をめぐる現在の危機的な状況を見れば,今からおよそ90年前に私たちの先人が獲得した普通選挙権とはいったい何だったのかについて考えてみる必要があるのではないか。その場合,吉野作造が,民本主義について次のように説いていたことは興味を引く。
経済上に優者劣者の階級を生じ,為めに経済的利益が一部階級の壟断に帰せんとするの趨向は,是れ亦民本主義の趣意に反するものなるが故に,近来の政治は,社会組織を根本的に改造すべきや否やの根本問題まで遡らずして,差当たり此等の経済的特権階級に対しても亦相当の方法を講ずるを必要として居る。所謂各種の社会的立法施設は即ち之れである。(坂野潤治『階級の日本近代史』講談社選書メチエp.94~p.95)
重要なのは,「経済上に優者劣者の階級を生じ・・・るの趨向」は,「民本主義」の趣旨に反するという認識である。要は,貧富の差の拡大というものは,民本主義の思想とは相反する経済社会状況であるという認識である。ここから,民本主義が選挙権という政治的平等だけでなく,経済社会の公正・平等をも視野に収めた思想であることがわかる。
ということは,民本主義は政治的目標として普通選挙と議会政治を主張したけれども,それは平等な社会を実現するための手段,前提であったとも言える。普通選挙が実現されたとしても,経済社会の格差が拡大した状況であれば,それは民本主義の求めるものではない。民本主義は社会的な不平等・差別に目をつむる思想では決してなかったのである。
この認識が今,非常に重要だと思うのである。民本主義の思想や普選運動は今日の民主主義にも重要な示唆を与えている。
今の日本のような経済的格差が拡大した社会というのは,民本主義(民主主義)の思想,目的からすると全く相反した状況にあるわけである。その意味では,すでに形の上で政治的平等が実現しているからといって,普通選挙権が真の意味で達成されたとは言えないだろう。今日の日本において,選挙権を簡単に放棄したり見縊ったりする事態が出てきているというのは,愚かにも普通選挙権についての無理解を顕わにするものである。
1925年に実現した普通選挙権とは,単に選挙権の平等に限った改革であったのではなく,経済的な格差,社会的な差別の是正・撤廃という改革までをも含む懐の深い人権思想であった。その意味では普通選挙権とは,あくまで社会的平等を実現するための手段なのであり,そして,それが未だ実現していない限りにおいては普通選挙権もまた未完成形態にあるのであって,その完成に向けて行使し続けなくてはならない永久の権利なのである。選挙権の行使とは,そうした普選運動,大正デモクラシ-の精神を受け継いでいくことでもある。普通選挙権は永遠の未完成であり,永久革命なのである。
この普通選挙権の問題は結局のところ政治の目的とは何なのか,というところに行き着く。経済社会の格差・不平等にまで目を向けるのか,それとも政治的平等をもって終着駅とするのか。この点について,普通選挙制を実現した憲政会の幹事長横山勝太郎が1926年に述べた言葉に私は深く共感する。私はここに政治の目的があると思う。今の政治がこれとは真逆なところに向かっていることは言うまでもない。
此手段〔普通選挙〕に依て制限選挙に於ける議会の素質を改造し,特権階級に偏倚する不公平なる政治若しくは之が施設を改廃し,大多数国民を基礎とする公正にして厳格なる所謂民本的政治を実現することが其の目的でなければならぬ。(中略)率直に露骨に言明すれば少数の有産階級と少数の特権階級の生活を引き下ぐると同時に最大多数の階級殊に貧民階級の生活を向上せしむることが政治の全部であると信ずるものである。(前掲書p.95~p.96)
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