アベノミクス選挙の帰結 | ブロッギン敗北【ご愛読ありがとうございました】

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド、ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば、水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬)
そして21世紀のいま、史上最悪のジェノサイドがパレスチナの地で、殺人国家イスラエルによって遂行されている…


 日本の政治について今考えるべきは,1930年代の政治過程とのアナロジーであろう。1931年にリベラル政党の民政党が退陣し,保守党の政友会総裁犬養毅が内閣を組織したが,この犬養内閣は翌32年初めに衆議院を解散し,総選挙で大勝した(466議席中301議席)。この総選挙で政友会が有権者に訴えたのは,専ら脱デフレ,景気回復であった。選挙直前の同党機関誌は,選挙に向けて,次のようなアピールを巻頭に掲げている。


 今回の政戦の題目は極めて明瞭だと思ふ。
 景気が好きか,不景気が好きか。
 働きたいか,失業したいか。
 生活の安定を望むか,不安定を望むか。
 産業の振興か,産業の破滅か。
 減税をとるか,増税をとるか。
 自主的外交か,屈従外交か。

  (坂野潤治『階級の日本近代史』講談社選書メチエp.134)


 保守政党が大勝したことは,満州事変や十月事件を機とする右傾化や,治安維持法による言論統制の影響も小さくないと思われるが,しかし,この選挙の投票行動だけを分析すれば,有権者,とりわけ社会の下層にある労働者や小作人たちは,失業者の増加や米価の下落というデフレ不況を背景に,社会主義政党ではなくて,脱デフレを訴える保守政党に票を与えたのである。人は「パンのみににて生きるにあらず」とは言うものの,デフレの深刻化した状況(昭和恐慌)においては,「背に腹はかえられぬ」状況から,庶民は,労働者保護や福祉などの社会政策を訴えるリベラルや社会主義政党よりも,パンのことだけを訴える保守政党に期待を寄せ支持を与えたのである。

 しかし,こういうパンのことだけを訴える政策に軍部が満足するはずもなく,周知のように選挙から3ヶ月後の五・一五事件によって,選挙で圧勝したばかりの政友会内閣は早くも崩壊した。と同時に,普通選挙法によって実現した政治的平等も政党政治もまた機能不全に陥ったのである。このようにして30年代に軍ファシズムへの道を開いた重大な契機が,脱デフレを訴えて保守政党が勝利したこの総選挙であったと私は見ている。

 今回の選挙で自民党がとった選挙戦略や訴えた政策は,どこか1932年の選挙で与党政友会がとったやり方と似ていないだろうか。「景気回復,この道しかない」として脱デフレのみを訴え,他の重要な争点はほとんど表には出さないことによって,自民党は圧勝した。前にも書いたけれども,選挙の争点が経済だけに限定されることほど危険なことはない。庶民はパンがなければ生きていけない。景気さえ回復して生活が楽になるなら,右翼であろうと左翼であろうと何でも構わないという心理に陥るのである。特に不況が深刻であればあるほど,そうだ。積極財政を訴えることにより,その心理を付くのがうまいのは,伝統的に保守政党の方なのである。背に腹がかえられない時期に,福祉だの平和だのを強調するよりも,景気の回復だけに期待を持たせる方が選挙には効果的であることをよく知っているのである。本来は,そのことの虚構を大衆の前に晒し,真実を彼らに啓蒙するのが健全な野党の機能であり,また知識人やマスコミの役割だと思うのだが,この国ではそれらがすべて権力に絡み取られ総与党化していることは今さら言うまでもない。

 今回の選挙後も,大企業の利益を起動点にしてデフレを脱却し,雇用を増やし賃金を上昇させるというアベノミクス(経済政策)だけが大きく報道,宣伝されている。しかし,こうして脱デフレのみに国民の関心を集中させることによって,軍の支配と政府の暴走が始まり,破綻への道が開かれたことを1930年代の歴史は示している。

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