プルトニウム最後の日を~高木仁三郎という希望~ | ブロッギン・エッセイ~自由への散策~

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アウシュヴィッツが陸の上のジェノサイド,ヒロシマ・ナガサキが空からのジェノサイドだったとすれば,水俣病は海からのジェノサイドである。(栗原彬編『証言 水俣病』)

 「反原発のカリスマ 市民科学者 高木仁三郎」
 


 何たることか!―――――動画の最後の方に出てくる,プルトニウムの専門書へのこの書き込みが,高木さんの反原発思想の原点なのかもしれない。



 先週(6/30),高木仁三郎さんについての記事を書いたばかりだったが,ちょうど日曜日に「反原発のカリスマ 高木仁三郎」というテレビ番組をやっていたそうだ。僕は見逃したが,Dailymotionに動画がアップされていたので,ここにも掲げておく。

 この間も書いたのだが,高木さんが反原発の市民運動に主導的な役割を果たし,とてつもなく大きな影響を及ぼしたことは確かであるが,反原発のカリスマ(教祖様)というように祀り上げてしまうのも,どうかと思う。確かに彼が危惧してきたことが今,現実になっているから,その優れた先見性が見直されて,教祖様と仰ぎ見られるのもわかる。が,アカデミズムの中から自ら市民運動の中に降りてきた人であり,大学にも企業にも属さず市民科学者という立場を最後まで貫いた人である。だからこそ,彼の教えなり説いてきたことは市民運動の中で生かされなければならない。とりわけ今の状況ではそうだ。カリスマなどと持ち上げている場合ではないのだ。市民とともに歩み,闘ってきた科学者に,カリスマとか神様とかいう肩書きのようなものはふさわしくない。それは本人が一番嫌がっているのではないか,と思う。

 高木さんが死の直前,われわれに向けて書いたメッセージがある(「友へ 高木仁三郎からの最後のメッセージ」)。これを読むたびに,高木さんの人柄が感じられるとともに,どこか申し訳なく思う気持ちもあって,複雑な心境になる。そこには,このようなくだりがある。


 残念ながら,原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが,せめて「プルトニウムの最後の日」くらいは,目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が,私たちの主張が正しかったことを示しています。


 高木さんが目にしたかった「プルトニウム最後の日」がいまだに達成できていないことに対する,現代を生きるわれわれの責任は重い。プルトニウムの危険性について高木さんが生きている間,あれだけ強く主張し,啓蒙したにもかかわらず,今プルトニウムの認識度は下がっていると言わざるをえない。しかも福島原発事故が進行中の今,日本初のプルサーマル発電を実施した玄海原発が再開しようとしている。こんな現状を見たら,高木さんはどう感じるだろうか。反原発にカリスマなんて要らないから,とにかくプルトニウムの危険性を訴え証明することが先だ,と言うのではなかろうか。「プルトニウム最後の日」が近いどころか,遠くなってしまったのだ。そういう意味で,高木さんの最後のメッセージを読むと,自省の念に突き動かされるのである。

 だが,逆戻りしてはいけない。人類滅亡より前に,高木さんが一生を捧げた研究や運動をさらに前進させて「プルトニウム最後の日」を実現せねばならない,と改めて思いを強くする。そのとき高木仁三郎は,パンドラの箱に一つだけ残されていた"希望"のように見え,われわれを勇気づけてくれるのだ。


 後に残る人々が,歴史を見通す透徹した知力と,大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって,一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ,その賢明な選択に英知を結集されることを願ってやみません。(「友へ 高木仁三郎からの最後のメッセージ」より)


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