最近は危ない話や堅い話が多いというような声が届くので,今日は心温まる記事を書いてみようと思う。といっても,ほとんど他の記事(ビルマ難民から日本の被災者への祈り)からの紹介なのだが。
タイにあるビルマ難民の学校の子どもたちが,震災で被害を受けた日本人のために,普段は使わない非常用のろうそくを灯して祈ってくれたという。迫害を受けてタイに逃れ,電灯もない,食べるものもままならない彼らが,行ったこともない国の災禍に,知らない人の不幸に,涙を流しているという。
私達もサイクロンナルギスの悪夢を経験しました。私たちの心は日本人と共にあります。
サイクロンナルギスの際、人々が命を落とす中、ビルマ軍事政権は国内の人権侵害を隠すため、海外の人的支援をシャットアウトしました。今、一つになって頑張っている日本人は素晴らしいです。
こういった記事を読むと,国境を越えて人類というのは繋がり合えるのだなと,人間の良心に国家や民族,人種の壁など存在しないのだと,強く感じた。日本は一つ,というより世界は一つ,という感を強く抱く。
こう書いてきたら,かつて作家の故・小田実が,ワルシャワ収容所を訪れ,多くのポーランド人が処刑された場所に立って,大粒の涙を流して泣いていたシーンを,ふと思い出した。全く見ず知らずの,時代も違う,国籍も民族も違う人の無念に思いを馳せて,噎び泣く姿に,ショックと感動を覚えたものだった。人は,時代も国境も人種も超越して,ただ人類という同胞意識だけで繋がれるものなのだなと,その時も強く感じたことを思い起こす。
小田実といえば,ベ平連など国境を越えた市民運動家というイメージが強いが,(彼の活動を矮小化していると非難されるかもしれないが)僕が彼の一番の功績だと思うのが,政府による被災者支援の土台をつくったという点だ。小田は1995年の阪神大震災で被災した後,家を失った人への公的制度がない実態に憤り,「市民救援基金」をつくった。さらに被災者支援の法制度をつくるために議員立法を呼びかけ,98年の「被災者生活再建支援法」成立の原動力になった。それ以降,各地で起きた大地震などの被災者に対しては内閣からの支援が行われるようになったのである。この一連の動きを見ていて,市民運動の力というものを実感したものだった。それは小田実の力でもあったと思う。小田がいなければ,今の仮設住宅建設などの被災者支援はなかったかもしれないと思うと,それが小田実の凄さを今一番,感じられるものではないかと思う。もし今,小田が生きていてくれたら,また被災者支援に力を発揮してくれただろうと思うと,残念な気がする。
もちろん小田実には九条や非核三原則などの平和運動という,限りなく意義深い功績があるが,これは誰もが知っているところであるし,また堅い話となってしまうので,今日はこの辺でおいとまということにしたい。