『共犯』
2015年8月 @ 元町映画館
うーん…
好きだ。
堪らなく。
傑作!と言い切るには余りに自分の中の青臭いフォルダを開かれた様な気持ちが邪魔する訳ですが、僕が言わないでどうする!だ。
やっぱ、傑作!
チャン・ロンジー監督の前作『光にふれる』
が、予告に騙されたー!な、新世代の青春映画の扉開いた作品だったもので、期待はしていたのよ。
にしても、これは相当に力入った勝負作なのではないのだろうか?
前作もデジタル撮影の可能性を存分に物語に忍び込ませていたけれど、今作はちょっと偏執狂的な迄にデジタルでこそ紡げる映画を構築せんとしている。
デジタル・ネイティヴならではの(ディス)コミュニケーションだからこそ紡げた物語・踏み込めた領域が、眼前に事もなげに映画として構築されて行く不気味な心地酔いがあるのよね。
多分狙いでなく、一択。
切羽詰まったリアル。
同日に観た『サイの季節』同様、全編に亘り凝り捲った映像がスクリーンを埋め尽くす訳ですが、どちらもカメラが心象へと寄り添う余りに過剰になっちゃった感あるんだよな。
あと最近は自分の中で封印している表現ではあるものの、今作を観ると矢張り彼の地は青春の眩い刹那を焼き付けるに最適であると言わざるを得ないな。
悔しい程にね。
何だろ?その政治的な背景、特異な文化圏もあるのだろうけれど。
前作『光にふれる』にも岩井俊二やウォン・カーウァイ(製作総指揮として関わってもいましたが)のエッセンス見出せたんだけど、今作は矢張りリリィ・シュシュ過ったよね。
それとフルーツ・チャンも過ったな。
危うい迄の甘美な刹那。
触れるなら、それ相応の覚悟と代償を。
こんなん十代に観てたら…
いじめられっ子と不良と優等生とを“その瞬間”で以って結び付け“共犯”へと落とし込む。事で、それぞれの欠落と孤独とが浮かび上がる。
実はギリギリのところで生きる皆が、自分を保つ為に所属と言う名のプロテクターを装着している。
完璧だった筈の共犯関係が、バランスを失い、自らのアイデンティティで以って自らの崩壊を導いて行ってしまう構図が恐ろしも哀しい。
それを加速させる今なSNS環境もまた残酷で。
実質的に内部から破壊してしまう三人の女子の存在感が、素晴らしい。
しかし、シャー・ウェイチャオのあの部屋の造形が、少しやり過ぎなんじゃ?な程に、その孤独の長さ/深さに比例する意識で作り込まれていたな。
あの日記もねぇ…
孤独な少女“シャー・ウェイチャオ”を演じるヤオ・アイニン(姚愛寗)は、今作迄にモデルやMVへの出演で活躍してたみたいなんですが、初演技にしてもう出来上がってる存在感をスクリーンに焼き付けたよね。
どのシーンも印象深い。




