A FAULT IN THE NOTHING | Electronic Dolphin Eats Noise

Electronic Dolphin Eats Noise

空論上の九龍城

2009年9月、mixiでのBlogを転載

音楽沢山聴いた。聴いてる。多分これからも。

音楽の醍醐味って何だろう?

流麗なラインが途切れる事ないメロディ?
絶妙な溶け合いを魅せるハーモニー?
身体から精神を解放してくれそうなビート?

人によっては人智を超えたヴォーカリゼーションや演奏テクニックかもしれないし。
ミュージシャンから発せられるメッセージや、その奥に見える作家性なのかも。

時に聴いた事もない音色や体感した事もない音響・音圧なんてのも。

そのどれもである気もするし、そのどれもでないのかも…

音楽を聴けば聴く程、知識は自然と身につくし、耳は確実によく聴こえる様になる。
音楽聴き始めた頃に購入した音源とかを今聴き直すと驚く程色んな音が聴こえる。こんな音鳴ってたっけ?成る程、ここはこんな作りになってたのか!そんな経験音楽ファンなら幾度もある筈。

しかし、それは音楽の本質に近づいている様で、実は遠退いてるのかもしれない。なんて、最近思ってる。

時に知識や経験は音楽を楽しむ足枷になってしまうのだ。

ネットでの音楽の在り方に想い馳せれば、これからのミュージシャンの定義って凄く脆い気がするし、曲を完成させる意義も揺らぐ。
いや最早曲と言う概念すら危うい。

しかし、一方それこそ本来の音楽の楽しみ方だとも思う。
いつの時代も最先鋭を突き進む音は実はプリミティヴな音に接近してる。
現代音楽もジャズもプログレもニューウェーヴもテクノもエレクトロニカ/ポスト・ロックも限りなく民族音楽に接近して行った。
20世紀は音楽がラジオ~ディスク(レコード・CD)で流通された時代。必然的に情報量も時間軸も限定されてしまう訳で、だからこそポップ・ミュージックのあの形態が生み出されたのだ。
それが配信の時代になった今崩れてしまうのは当然で、もう数年経てば全く新しい音楽の楽しみ方に即した新たな形態のポップ・ミュージック(それをポップ・ミュージックと呼べるかどうかは別だけど)が続々出てくるだろう。

音楽はとても欲張りなウィルスなので、どんな新しい環境になろうが新型ウィルスとして進化・増殖して行くだろうね。
今までだって、例えば西洋音楽の歴史を紐解いていけば様々な第3世界への侵略で遭遇した民族音楽のスタイルを取り入れ変容して行ってるし、20世紀の情報過多はより短い周期での変容を促してた。
その貪欲な欲望は時間や空間さえ飲み込み…

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有名なジョン・ケージの「4分33秒」。最早説明も必要無いでしょうが、4分33秒何もしない。これがこの楽曲(?)の譜面(?)である。奏者(?)はステージに立ちその時間キッチリ何もしない。現代音楽の場からその後の20世紀の音楽の流れを決定的に変容してしまったケイジのこれは決定打でありましょう。そんな無音は音楽でも何でもない!って意見は当然で、しかしその問い掛けは禅問答の様に音楽の真理をついている気がする。聴こえない・聴けない状況から聴く行為を対象化してまた一度音楽の本質を炙り出すも良し、無音に耳すます事によって浮かび上がる環境音・生活音そして自身の発してる呼吸や鼓動に耳傾けるも良し、勿論退屈だーと苛々するも良しだ。音楽はこんなにも自由にしてくれる。

そんな風に何もかも飲み込む音楽のまさにブラックホール。そして飲み込んだ物がドバーっと世に溢れるホワイトホール。

それと最先鋭がプリミティヴな音へ回帰するループ。と20世紀のポップ・ミュージックのフォーマットの限界云々かんぬんetc.

最近頭を巣食う疑問の宇宙。まんまだなーと思ったのがこれ。
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仏教宇宙論ですかー。何か小難しそうに見えますが、結構これって色んな事象に当て嵌まりますよね。うん、20世紀と21世紀の音楽達にも。
この文章がフィーチャーされてたのが『A FAULT IN THE NOTHING』と言う2枚組CD。
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1996年にイギリスでリリースされたコンピレーション盤。
ご覧の通り真っ黒なジャケット。に、ポツリと穴が開いている。そう、ブラックホール/ホワイトホールなのですね。
2枚のCDもレーベル面は全くの無地(?)で、ポンと小さな黒と白の点が打たれてるだけ。それぞれがブラックホール・サイド/ホワイトホール・サイドと名打たれております。
このCD何故買ったのか本当謎。裏に一応参加者のリスト載ってますが、当時知ってたのはメルツバウぐらいか?池田亮司は名前ぐらいは知ってたと思う。ジョン・ダンカンは非常階段とセッションしてた音源持ってたぐらい。あとは知らない名前ばかり。よくこれだけの情報量で買ったなー。当時は例えば携帯で内容確認して~とか出来なかった訳で。
でも、これが今考えると凄い内容なんだ。この後大きな存在になるオヴァルやパナソニックも参加してるし、バーナード・ギュンターは最近お気に入りのダウザーとも共演してますよね。クリス・ワトソンは元キャブス?
このラインナップでお解かりの様にノイズです。はい。
ただし、終始一貫ギー!ガー!ザー!ではないです。
コンピレーションのコンセプトと見事シンクロしてまして、無音・静寂以上に静寂を感じさせる微細なノイズ・耳を劈く轟音ノイズ・唐突な静止が絶妙な配置で点在している。メルツバウなんて同志社大学でのライヴのサウンド・チェック(笑)を寄せているのに、見事コンセプトに則している。買った当時既にノイズ系もそれなりに聴いていたのに、これは流石に何じゃこれ!でした。無音トラックとか今じゃー慣れたものですが当時は衝撃でしたよ。
でも、あれだけぶっ飛んだ印象だった今作も随分今ではリアルな音として響く。てか、もろ最近の気分だ。

聴く行為がここまでフォーマットされないとこんなにも音楽は楽しめるのか!

最近音楽を創っても完成できないでいる理由は多分ここにある。

ますます音楽が解らない。ますます音楽が好きになる。