恋愛の、あの期待とか魅惑とか焦燥とか幻滅とか消失とか…を一回バラバラに解体して、妄想が現実になる奇跡と、理想と現実が掛け違えて行く軌跡で以って、本質剥き出しに再構築したかの様な…
アナログテイスト満載の恋の軋みが35mmに映え、萌える!
まさに中2病な妄想満載な前半から、まぁ、やっぱそう帰結してくんなきゃね!なエンディングまで。
ありがちと言えばありがちではあるものの、脚本やら編集やら見せ方が抜群の捌き方で、首尾一貫してロマンスとスリルが止まんねぇ!
そしてゾーイ・カザンがもう!ルビーがスパークしてる!
やっぱ、映画って、ここだ!って瞬間のそのインパクトと強度がどれだけ成立させれてるか?っての大きいな。
ルビー・スパークスもあのルビーが初めて現実化する時のあの瞬間を、どれだけドキドキさせれるか?でしょ。そこに勝負掛けてる。
理想の女の子と出会って恋愛ヘタレな主人公が歩み出すものの、幻想と現実の断裂に嵌まり込んでしまうって構造は『(500)日のサマー』や『モテキ』と通ずるものの、『ルビー・スパークス』はそこに“自由に操れてしまう”って捻りが加わってて、だからこそ、より痛さ・苦さが沁みるってのが新鮮。
潔癖なまでに理想と幻想で恋愛を塗り固めてしまう主人公、肉体さえ鍛えておけば女が寄ってくるとせっせとジム通う兄、新しいパートナーの影響で激変してしまった母親…と、何だかシニカルな視点が痛くもある作品ですが、だからこそ辿り着くエンディングの甘さにスパイス効いて至福感たっぷり。
しかし、あの“自由に操れる”ってのが秀逸な視点生み出してるよな。
あくまで自分の理想通りでいて欲しい。
相手を掌握したい・管理したい。
って、身勝手な欲望へのアイロニー。
封印してたタイプライターの鍵が象徴してたもの。
でも、折角フィルム焼かれたのに、上映の機会が極々限られてたルビー・スパークスはちょっと切ないな。
宣伝の仕方では全然第二の(500)日のサマーになり得たし、これってすんごく日本の文系に受けそうな気がするんだけど…
この手の作品にしては、サブカル臭希薄なのがアピール弱かったのかな?
成就しなかった35mm達の情念渦巻く塚口サン(苦笑)。
漱石のお札持ってお祓いに通ってる様なもんです。
