軋みの映画なんだね、悲情城市は。
時折インサートされる島の景観、町の景観の、あの美しくも哀しき閉鎖感。
円卓って良いよね。角がないからこそ醸し出せる団欒ってあったんじゃないのだろうか?
飲茶の作法にもグッと。
歴史的な背景解ってないとしんどいかも?なんて声も聞こえてきそうですが、実際描かれてるのはどんな時代下であろうと変わらぬ人と人との想いの軋みと、それでもその先を求めたがる熱(=愛)だ。
まぁ、そんな事は重々承知元映のあのの混み様でありましょう。
有名なエピソードですが、台湾の言葉が不得手であった為にトニー・レオンの役は聴覚障害に変更されたとか。
これ、本当なのかなぁー?
だったら鼻からキャスティングしなさそうだしなぁー
彼が喋れる設定だと随分話変わっちゃうだろう。
あの喋れない=コミュニケーション取れない。が、結構重要なんですよ。
何よりそれぞれの人物が“生きている”のが素晴らしいな、と。
その背景とか細かくは描かれないし、出入りも激しい物語なのに、一人一人が活き活きと劇場に降りて来てくれる。
一番好きなのは、文清結婚してからの食卓だね。文清が食べながら勉強してるのを…に萌えた!
あんなんを求めております。
もう何年振りだろう…
オープニング、そうそうこんなトーンやったわ!とほくそ笑んでたものの、東京篇辺りからの蒼き深淵に一気に引き摺り込まれ、溺れ掛けてたとこへ、更なる後半の非情なる追い打ち…怪作!
“ヤンヤン 夏の想い出”と言う割にヤンヤンが中心って訳でもない、非常に入り組み作り込まれた群像劇。
中心が真空の、奇妙な澱みと衝突。一気に呑まれた。
が、抜群の編集で以って僕ら観客は観測地点を決して見失わない。
ヤンヤンって割に登場頻度低い(まぁ、ヤンヤンはあくまで邦題)ヤンヤンはしかし、登場する度場の空気かっさらう無邪気な不敵さ。
あの父親への鋭過ぎる問い掛け。
何かが見えてるのか!?な写真撮るとこ。
そしてあの雷、プール。
あのカメラを、フィルムで観れる至福ったらない。
高層マンションから見下ろす台湾の夜景…
異邦人の視点で切り撮られた東京の夜。海。
孤独を分かち合えない若き二人が彷徨う夜…
しかし、ヤンヤンでの東京のパートはどのシーンもカメラがヤバかったなぁ…
あの窓越しのホテルのシーンとか。
ホテルのエスカレーター…
駅や神社、海沿いの通り、そして海。
そんでもって滝谷度高しなイッセー尾形さん!
ティンティンがねぇ…
よく押し潰されなかったなぁ、と(涙)。
或いは“ティンティン 忘れ難き夏”。
そして、あの少年殺人事件のリアリティ…
そして、あのお婆ちゃんの沈黙ってのが三時間を通して通底している物語のトーンであろう。
自らの声に耳をすませよ。
まぁ、しかしエドワード・ヤン、ここでの手腕は油が乗り切ってる。
鬼の様な繋ぎ技あるよね。
『悲情城市』では家の両端からギュッと挟まれる家族の構図が多用されてましたが、『ヤンヤン』では似て非なる扉の隙間から覗く構図が多用されてた。最早そこには家族の団欒な姿はなく、一人一部屋な核個人だ。
そうそう、『ヤンヤン』は、スタンリー・クワンや岩井俊二とのプロジェクトの一環で生まれたんですよね。
で、スタンリー監督は『異邦人たち』を撮った。
しかし岩井監督は頓挫しちゃったんだよね…
そうそう、Y2Kプロジェクト!
岩井監督、当初は香港のアーティスト「リリイ」と台湾に住む少年の物語を描くつもりだったんだよなぁ…
まぁ、それはそれで観たかったけど、結果オーライだったんじゃない?
色々事情もあるんでしょうが、この辺り(80年代~90年代初頭)の台湾映画が手軽にレンタルやTV放送で見れないのは大きな損失。
まぁ、まだ劇場で観れるだけ救われますが(ク、ク、クーリンチェ…)。


