と言う名のつぶやきのまとめ。
彼の作風を真似、長文へとなりました。
2012.7.18『旅芸人の記録』
ふー、『旅芸人の記録』でありました。ス、ス、スゲー!正直最初の一時間は俗世に塗れ切った自分と映画との波長が中々合わない感じあったんだけれど、合致してからは極上のダイナミズムと至福のリリシズムに巻き込こまれる!
上映時間四時間だとかワンシーンワンカットだとか世紀の名作だとか・・・、そんな観る前から僕らを怯えさす様な“冠”引っぺがして対峙したい生々しさ!
物語の背景や根底にある物達を知らないと確かにストレートな理解は出来ない。でも、そんなの実際大した問題じゃない気がする。そんぐらいに、この映像叙事詩は“理解”を越えて響くのだ。まぁ、“理解”するに最適な資料(上映当事のパンフのコピー)は元町映画館では配布してくれますが(ありがたい)。
しかし、映画的には随分アナーキーなんですね。油断してると驚愕するシーン満載。終盤のダンスホール(?)のシークェンスにはチビりそうでありました!『アンダーグラウンド』との比較とか面白そうだな。
アンゲロプロス@元映、これは全部行かなきゃならんではないのか?何本かレンタルで見てはいるんだけれど、やっぱ劇場×フィルムだろう。今日のフィルムも長年愛されてきた証が刻まれててグッときた。
2012.8.6『狩人』&『シテール島への船出』
スリリングなカメラ、滑稽なまでの(仄かな)ユーモア、そして悲哀たっぷりなダンディズム。難解に見える物語以前に映画としての醍醐味満載な『狩人』でありました。
そして、『シテール島への船出』…あんな愛、他の誰が描けると言うのだ!絶句。
音楽の使い方は鳥肌物!あのカフェにラベンダー売りに来た老人を監督が“見初める”シーンとか、夜の横断歩道で音が“降ってくる”シーンとかetc.
ふー、『旅芸人の記録』でありました。ス、ス、スゲー!正直最初の一時間は俗世に塗れ切った自分と映画との波長が中々合わない感じあったんだけれど、合致してからは極上のダイナミズムと至福のリリシズムに巻き込こまれる!
上映時間四時間だとかワンシーンワンカットだとか世紀の名作だとか・・・、そんな観る前から僕らを怯えさす様な“冠”引っぺがして対峙したい生々しさ!
物語の背景や根底にある物達を知らないと確かにストレートな理解は出来ない。でも、そんなの実際大した問題じゃない気がする。そんぐらいに、この映像叙事詩は“理解”を越えて響くのだ。まぁ、“理解”するに最適な資料(上映当事のパンフのコピー)は元町映画館では配布してくれますが(ありがたい)。
しかし、映画的には随分アナーキーなんですね。油断してると驚愕するシーン満載。終盤のダンスホール(?)のシークェンスにはチビりそうでありました!『アンダーグラウンド』との比較とか面白そうだな。
アンゲロプロス@元映、これは全部行かなきゃならんではないのか?何本かレンタルで見てはいるんだけれど、やっぱ劇場×フィルムだろう。今日のフィルムも長年愛されてきた証が刻まれててグッときた。
2012.8.6『狩人』&『シテール島への船出』
スリリングなカメラ、滑稽なまでの(仄かな)ユーモア、そして悲哀たっぷりなダンディズム。難解に見える物語以前に映画としての醍醐味満載な『狩人』でありました。
そして、『シテール島への船出』…あんな愛、他の誰が描けると言うのだ!絶句。
音楽の使い方は鳥肌物!あのカフェにラベンダー売りに来た老人を監督が“見初める”シーンとか、夜の横断歩道で音が“降ってくる”シーンとかetc.
2012.8.29『アレクサンダー大王』
まぁ、ここでのアンゲロプロスは確実に紙一重を突き破ってのあちら側だ。
アレクサンダー大王の、あの登場のシーンと、姿を消すシーン。本作の肝はもうあの二つのシーンに集約されてるよなー。その為の三時間半。いや、勿論そこまで持って行くにはそれだけの時間が必要だったのだ。身震いする程に、美しく・気高く・哀しい。
カリスマ=時代の生贄なのか?
緻密に、いや、偏執狂的なまでに編み込まれた物語から立ち昇るアレクサンダー大王の勇姿は、残酷なまでに孤高であった。
今回も衝撃的な長回し沢山だったけど、俯瞰の絵がもうね、ビビる・チビる。
2012.9.16『蜂の旅人』&『霧の中の風景』
さて、元町映画館でのアンゲロプロス上映もいよいよ中盤。全10作品(全作品でない)をほぼ年代順に、ゆっくりしたタームでの今回の特集上映は、私なんかのちょっと齧ってるぐらいの初心者にはもってこいで、このギリシアの巨大な才能の足跡を共に歩め、困惑させられ、揺さ振られ捲り、引き摺ってる。
今回の二本は80年代半ば~後半に製作されている。元町映画館での特集の一番古い作品『旅芸人の記録』から約10年を経ての、彼のフィルモグラフィーの丁度中間を担う、まさに折り返し地点。
まぁ、ここでのアンゲロプロスは確実に紙一重を突き破ってのあちら側だ。
アレクサンダー大王の、あの登場のシーンと、姿を消すシーン。本作の肝はもうあの二つのシーンに集約されてるよなー。その為の三時間半。いや、勿論そこまで持って行くにはそれだけの時間が必要だったのだ。身震いする程に、美しく・気高く・哀しい。
カリスマ=時代の生贄なのか?
緻密に、いや、偏執狂的なまでに編み込まれた物語から立ち昇るアレクサンダー大王の勇姿は、残酷なまでに孤高であった。
今回も衝撃的な長回し沢山だったけど、俯瞰の絵がもうね、ビビる・チビる。
2012.9.16『蜂の旅人』&『霧の中の風景』
さて、元町映画館でのアンゲロプロス上映もいよいよ中盤。全10作品(全作品でない)をほぼ年代順に、ゆっくりしたタームでの今回の特集上映は、私なんかのちょっと齧ってるぐらいの初心者にはもってこいで、このギリシアの巨大な才能の足跡を共に歩め、困惑させられ、揺さ振られ捲り、引き摺ってる。
今回の二本は80年代半ば~後半に製作されている。元町映画館での特集の一番古い作品『旅芸人の記録』から約10年を経ての、彼のフィルモグラフィーの丁度中間を担う、まさに折り返し地点。
個人的に『霧の中の風景』を昔に見てたのもあってか、この二作、今まで上映された四作とは違い、迫る物強かった。年代的に自分の生きていた時代にも近付き、登場する人物達もより身近になったのも大きいだろう。
舞台も物語も台詞も、そしてあのカメラでさえある種の“解り易さ”を感じた。
勿論四作を経ての“慣れ”もあるのだろう。
アンゲロプロスは器用な作家ではない筈だ。条件沢山な彼の独特な作風は、裏を返せば、不器用さからの転化の証明だろうし。
今まで観た六作…共通するエピソードからイメージ、果てはキャラクターまで盛り沢山。
しかし、同じモティーフではあっても、作品毎に光を当てる角度が変わり、それが時代や場所の変化との相乗で、それぞれに微妙に違う影を作る。そこが“胆”だと思ってる。
まぁ、どんな作家にもそんなとこあると思うんだけれど、より顕著ではないですか?
歴史に翻弄され、過去に縛られ(ってか、まんま生きている)、夜明けを・新年を共に求めながら、歪み合いぶつかり合ってた、過去四作の登場人物達と、今回の二作に登場する若者・子供達の深い断絶に愕然とする。
ロック、セックス、オートバイ…
『蜂の旅人』のマルチェロ・マストロヤンニのあの旧時代の遺物かの様なダンディズムとエロスと、奔放な少女を演じるナディア・ムルージの決して交わらぬ邂逅が素晴らしい。
いやー、あのトラックでレストランに…には拍手しそうになったぞ!
またアンゲロプロス自身がまさにスピロ(マストロヤンニの演じた養蜂家)でさ、少女へ向ける視線がもうね…理解不能だからこそ、ぶつけられる想いもあるのか。あのロックで踊る少女の後ろ姿を見つめる、奇異なる物に向けたかの様な視線…あのダサさも更に助長する。
一方で『霧の中の風景』は、もう一見すると一般的なイメージでのアンゲロプロス的な難解さは皆無で、普通の感動作としてだって広くお勧めできちゃう。勿論ずしーんと重たく引き摺る作品である事には違いない。
昔一度レンタルVHSで見てはいたけれど、やっぱ当然ながら似て非なる物。
少女の強がりが、少年の健気さが、
痛い…抉られる程に。
そして、あの青年にずっぽりシンクロしてしまった。
果たして父親の不在とは?
幽霊の様に彷徨う旅人芸人一座。
霧の中に見えたのは…
あの姉弟の姿は永遠に心に刻まれるだろう。
何て苦難をあんな無垢な世代に背負わしてしまったのだろう。少女の流した血。少年の覗き込むフィルム。
ここでのアンゲロプロスは神と言うより悪魔に近い。
『蜂の旅人』も『霧の中の風景』も、とても詩的なエンディングへと辿り着いてしまうのだけれど、そこにはどこか諦念に近い透明感があって、それが美しくもあり、痛くもある。
しかし、この先にアンゲロプロスはまだ新たなる旅を続けているのだ。そこに何を求めたのか?それは後半戦の楽しみ。
しかし、あの少女の表情の変化は凄いな。どう演出を付けたのだろう???あの浜辺で駆け出す彼女とか鳥肌物で。後半なんて“女”だもんな。
一転弟は終始可愛い。カモメさんを見つけて駆け寄る姿。瓶を集める手を思わず止めて流しに聴き入ってしまう姿。怖がる姉を宥める姿。あんなに自然な表情、どうやったの???
因みにどうでも良い処では、あの『霧の中の風景』に出てくるライヴハウスにダムドのLPあったぞ!演奏してたバンドはドアーズみたいだったけど。
あと、ほんとにどーでも良いのではあの悪しきトラックドライバーのトラックのフロントの文字がDAF(笑)
舞台も物語も台詞も、そしてあのカメラでさえある種の“解り易さ”を感じた。
勿論四作を経ての“慣れ”もあるのだろう。
アンゲロプロスは器用な作家ではない筈だ。条件沢山な彼の独特な作風は、裏を返せば、不器用さからの転化の証明だろうし。
今まで観た六作…共通するエピソードからイメージ、果てはキャラクターまで盛り沢山。
しかし、同じモティーフではあっても、作品毎に光を当てる角度が変わり、それが時代や場所の変化との相乗で、それぞれに微妙に違う影を作る。そこが“胆”だと思ってる。
まぁ、どんな作家にもそんなとこあると思うんだけれど、より顕著ではないですか?
歴史に翻弄され、過去に縛られ(ってか、まんま生きている)、夜明けを・新年を共に求めながら、歪み合いぶつかり合ってた、過去四作の登場人物達と、今回の二作に登場する若者・子供達の深い断絶に愕然とする。
ロック、セックス、オートバイ…
『蜂の旅人』のマルチェロ・マストロヤンニのあの旧時代の遺物かの様なダンディズムとエロスと、奔放な少女を演じるナディア・ムルージの決して交わらぬ邂逅が素晴らしい。
いやー、あのトラックでレストランに…には拍手しそうになったぞ!
またアンゲロプロス自身がまさにスピロ(マストロヤンニの演じた養蜂家)でさ、少女へ向ける視線がもうね…理解不能だからこそ、ぶつけられる想いもあるのか。あのロックで踊る少女の後ろ姿を見つめる、奇異なる物に向けたかの様な視線…あのダサさも更に助長する。
一方で『霧の中の風景』は、もう一見すると一般的なイメージでのアンゲロプロス的な難解さは皆無で、普通の感動作としてだって広くお勧めできちゃう。勿論ずしーんと重たく引き摺る作品である事には違いない。
昔一度レンタルVHSで見てはいたけれど、やっぱ当然ながら似て非なる物。
少女の強がりが、少年の健気さが、
痛い…抉られる程に。
そして、あの青年にずっぽりシンクロしてしまった。
果たして父親の不在とは?
幽霊の様に彷徨う旅人芸人一座。
霧の中に見えたのは…
あの姉弟の姿は永遠に心に刻まれるだろう。
何て苦難をあんな無垢な世代に背負わしてしまったのだろう。少女の流した血。少年の覗き込むフィルム。
ここでのアンゲロプロスは神と言うより悪魔に近い。
『蜂の旅人』も『霧の中の風景』も、とても詩的なエンディングへと辿り着いてしまうのだけれど、そこにはどこか諦念に近い透明感があって、それが美しくもあり、痛くもある。
しかし、この先にアンゲロプロスはまだ新たなる旅を続けているのだ。そこに何を求めたのか?それは後半戦の楽しみ。
しかし、あの少女の表情の変化は凄いな。どう演出を付けたのだろう???あの浜辺で駆け出す彼女とか鳥肌物で。後半なんて“女”だもんな。
一転弟は終始可愛い。カモメさんを見つけて駆け寄る姿。瓶を集める手を思わず止めて流しに聴き入ってしまう姿。怖がる姉を宥める姿。あんなに自然な表情、どうやったの???
因みにどうでも良い処では、あの『霧の中の風景』に出てくるライヴハウスにダムドのLPあったぞ!演奏してたバンドはドアーズみたいだったけど。
あと、ほんとにどーでも良いのではあの悪しきトラックドライバーのトラックのフロントの文字がDAF(笑)
2012.10.10『ユリシーズの瞳』&『こうのとり、たちずさんで』
どちらもエモーショナルな作品で、それは今までの六本からしたら随分とした変化な気がするな。
第三者的な視点がある・ないも大きいのかも?
どちらもエモーショナルな作品で、それは今までの六本からしたら随分とした変化な気がするな。
第三者的な視点がある・ないも大きいのかも?
『ユリシーズの瞳』…色々語りたいけど、何より残るのは音の心地良さ。
これ、ほんと凄い!
三時間目を閉じて浸りたい程に。
いや、参った。
あのオープニングの雨降る中の映画の上映(音声のみ)に重なる上映反対の鐘の音…
雨音にのっかる時空から切り取られた音声と、絡む鈍い金属音…
その絶妙のバランスと配置にゾクゾクしっぱなしで…
思わず、
あれ、今日タルコフスキーだっけ?
これ、デヴィッド・シルヴィアン?
この時空を越え壮大に展開する魂の放浪の叙事詩。を、支えるのは鳴りっぱなしの水の音(雨音、河のせせらぎ…)だろう。
そこに乗っかるナレーションや、爆発音に銃声…のあの心地良さに、三時間は永遠の響き。
ストーリーを追うのすら放棄する程に。
昔VHSで見た時には全くそんなの気付かなかったな。
音響設計の心地良さで言えばタルコフスキーの『ストーカー』や石井監督の『エンジェル・ダスト』、最近のだと『蜂蜜』辺りと並ぶ。
まぁ、『ユリシーズの瞳』は昔見た時は兎角その難解さにうーんと唸ってたんだけれど、改めて観ると全然そんな事なくって、アンゲロプロスにしては解り易い方なんじゃないのかな?
色々耐性出来たのもあるのだろうし、スクリーンで観たのも大きいか?
詰まるところこれ、誰も止めれぬ映画馬鹿の誇大妄想でしょ(苦笑)?フィルムの為に何もあそこまで…
そして、積み重ねて昂ぶる想いな『ユリシーズの瞳』とは対極に、『こうのとり、たちずさんで』は削ぎ落として削ぎ落として尚立ち昇る想いを魅せてくれる。
あの境界を挟んでの婚礼。あの静けさが一際遣る瀬無さを響かせるな。
美しいシーン。だけど哀しい。
しかし、アンゲロプロスの不器用さは愛おしいな。
洗練とは対極の長回し。
あと、こんなにも同じモティーフがストレートに使い回される作家さんも珍しい。
これ、ほんと凄い!
三時間目を閉じて浸りたい程に。
いや、参った。
あのオープニングの雨降る中の映画の上映(音声のみ)に重なる上映反対の鐘の音…
雨音にのっかる時空から切り取られた音声と、絡む鈍い金属音…
その絶妙のバランスと配置にゾクゾクしっぱなしで…
思わず、
あれ、今日タルコフスキーだっけ?
これ、デヴィッド・シルヴィアン?
この時空を越え壮大に展開する魂の放浪の叙事詩。を、支えるのは鳴りっぱなしの水の音(雨音、河のせせらぎ…)だろう。
そこに乗っかるナレーションや、爆発音に銃声…のあの心地良さに、三時間は永遠の響き。
ストーリーを追うのすら放棄する程に。
昔VHSで見た時には全くそんなの気付かなかったな。
音響設計の心地良さで言えばタルコフスキーの『ストーカー』や石井監督の『エンジェル・ダスト』、最近のだと『蜂蜜』辺りと並ぶ。
まぁ、『ユリシーズの瞳』は昔見た時は兎角その難解さにうーんと唸ってたんだけれど、改めて観ると全然そんな事なくって、アンゲロプロスにしては解り易い方なんじゃないのかな?
色々耐性出来たのもあるのだろうし、スクリーンで観たのも大きいか?
詰まるところこれ、誰も止めれぬ映画馬鹿の誇大妄想でしょ(苦笑)?フィルムの為に何もあそこまで…
そして、積み重ねて昂ぶる想いな『ユリシーズの瞳』とは対極に、『こうのとり、たちずさんで』は削ぎ落として削ぎ落として尚立ち昇る想いを魅せてくれる。
あの境界を挟んでの婚礼。あの静けさが一際遣る瀬無さを響かせるな。
美しいシーン。だけど哀しい。
しかし、アンゲロプロスの不器用さは愛おしいな。
洗練とは対極の長回し。
あと、こんなにも同じモティーフがストレートに使い回される作家さんも珍しい。
私が追えた上映順は逆だったけれど、時間軸的には『霧の中の風景』の次が『こうのとり、たちずさんで』で、それから『ユリシーズの瞳』ね。
成る程、しっくり。
そのフィルモグラフィーは思いの外解り易い歩みだ。
国境を目指した『霧の中の風景』、
国境を幾つも越える『ユリシーズの瞳』、
その狭間で国境そのものを描いた『こうのとり、たちずさんで』。
“たちずさむ”前も後も、霧の中の現実は…
『こうのとり、たちずさんで』も『ユリシーズの瞳』も俯瞰している第三者的な視点があるので、私達は随分と映画内の現在地を把握し易くなった。
が、一方で旧作にあった、今は何処なのだか?何時なのだか?な、あのナビレスな感覚が希薄になったのは寂しくもある。
2012.10.29『永遠と一日』&『エレニの旅』
『永遠と一日』…こんな映画だったか…?
レンタルして見た事あった筈だけれど、すっかり忘れていた。
アンゲロプロスって、難解なイメージあるし、実際どれもこれも親切丁寧に導いてくれる作品ではないですが、その難解さの大部分は良くも悪くも彼の不器用さにある気がするんだよな~
溢れる想いは、本筋に枝葉るエピソードから、別個に浮かび上がるエピソードまで…それらが心地良いうねり生む時も、突散らかる混乱生む時もあるな、と。
まさか、最後の最後にこんなとんでもない傑作待ってるとは…
何と言う旅路…
『エレニの旅』、天使が堕っこちて人間になるかの様に、見事に(一般的なイメージでの)映画な作りになってて、しかも完成度高いわ、面白いわ(話はひたすら重いですが)で、これはアンゲロプロスの冠無しに観てもらった方が、変な先入観無くて良いのかもなー、なんて事も思った。
とは言っても、そこはアンゲロプロス、衝撃的な画が、そしていつもの画も、沢山出て来るんですが、それが見事に物語の流れに沿ってて、何だ結構器用じゃん(失礼!)。
まぁ、今作、オープニングからタイトルバックへの流れが素晴らしい!
そこだけでもお釣くるぐらいの。
『永遠と一日』の混乱も、『エレニの旅』のある種の解り易さも、アンゲロプロスの人間宣言の様に見て取れない事もない。
優しくなった。
例えば『エレニの旅』にも容赦のない描写沢山なんですが、『霧の中の風景』みたく思わず劇場から逃げ出したくなる程のではない。
描き方が明らかに変わった。
そのフィルモグラフィーは思いの外解り易い歩みだ。
国境を目指した『霧の中の風景』、
国境を幾つも越える『ユリシーズの瞳』、
その狭間で国境そのものを描いた『こうのとり、たちずさんで』。
“たちずさむ”前も後も、霧の中の現実は…
『こうのとり、たちずさんで』も『ユリシーズの瞳』も俯瞰している第三者的な視点があるので、私達は随分と映画内の現在地を把握し易くなった。
が、一方で旧作にあった、今は何処なのだか?何時なのだか?な、あのナビレスな感覚が希薄になったのは寂しくもある。
2012.10.29『永遠と一日』&『エレニの旅』
『永遠と一日』…こんな映画だったか…?
レンタルして見た事あった筈だけれど、すっかり忘れていた。
アンゲロプロスって、難解なイメージあるし、実際どれもこれも親切丁寧に導いてくれる作品ではないですが、その難解さの大部分は良くも悪くも彼の不器用さにある気がするんだよな~
溢れる想いは、本筋に枝葉るエピソードから、別個に浮かび上がるエピソードまで…それらが心地良いうねり生む時も、突散らかる混乱生む時もあるな、と。
まさか、最後の最後にこんなとんでもない傑作待ってるとは…
何と言う旅路…
『エレニの旅』、天使が堕っこちて人間になるかの様に、見事に(一般的なイメージでの)映画な作りになってて、しかも完成度高いわ、面白いわ(話はひたすら重いですが)で、これはアンゲロプロスの冠無しに観てもらった方が、変な先入観無くて良いのかもなー、なんて事も思った。
とは言っても、そこはアンゲロプロス、衝撃的な画が、そしていつもの画も、沢山出て来るんですが、それが見事に物語の流れに沿ってて、何だ結構器用じゃん(失礼!)。
まぁ、今作、オープニングからタイトルバックへの流れが素晴らしい!
そこだけでもお釣くるぐらいの。
『永遠と一日』の混乱も、『エレニの旅』のある種の解り易さも、アンゲロプロスの人間宣言の様に見て取れない事もない。
優しくなった。
例えば『エレニの旅』にも容赦のない描写沢山なんですが、『霧の中の風景』みたく思わず劇場から逃げ出したくなる程のではない。
描き方が明らかに変わった。
何だろな、そうだ、ロマンチックになったのだ!
多分。
そうだ。
『蜂の旅人』なんかも剥き出しの彼の想いが溢れてたけどさ、どうしていいのか戸惑ってた。
『エレニの旅』のあのアメリカへの出航シーンのあれとかさ!
あんなのって…
何にせよ、これで私のアンゲロプロスとの旅路は一旦終了か。
まさか、全10本観ちゃう事になろうとは。
丁度映画館へと本格的に入り浸る様になるタイミングでの上映開始だったから、尚更色々見えてくるものあったな。
多分。
そうだ。
『蜂の旅人』なんかも剥き出しの彼の想いが溢れてたけどさ、どうしていいのか戸惑ってた。
『エレニの旅』のあのアメリカへの出航シーンのあれとかさ!
あんなのって…
何にせよ、これで私のアンゲロプロスとの旅路は一旦終了か。
まさか、全10本観ちゃう事になろうとは。
丁度映画館へと本格的に入り浸る様になるタイミングでの上映開始だったから、尚更色々見えてくるものあったな。
映画の知識なんて豆粒程だった10代後半~20代前半、何の予備知識も持たず、不意に深夜のTV放送で凄まじい映画に出会い、これは何なのか?と、宙ぶらりんになっちゃう体験って、頭でっかちになっちゃった今はもう取り戻せない。
そんな頃嬉しかったのは、例えばスゲー面白い映画に遭遇して、その監督の名前調べてみたら、以前にも自分が面白く感じた映画も撮ってて、その点と点が繋がっちゃう瞬間。あれは格別。
そんな接続が繰り返され、自分の中のマトリックスが密度と深度を高めてく。
と、最早虜だ。
映画って、色んな入り方あるし、色んな囚われ方あるだろうけど、監督の名前覚え出すと、ググッと一気に自分なりのマトリックス描ける様になるかなーと。
ある時期、レンタル屋行っては、自分内監督週間って感じで纏め借りしてたっけ。
同じジャンルばっか撮ってる人は兎も角、様々なスタイルに挑んでる人であっても、毎回起用してる役者見つけたりさ、カメラワークや編集に癖見つけたり、その奥底に共通したテーマが見えてきたり…
例えば駄作であっても、そんな“いつもの顔”が不意に漏れると嬉しいもんです。
あと、波が解る。
映画監督の作家性であったり、そのデビューからの流れとか、どれが最高傑作か?だったり、縦横の繋がりetc.
思い入れのある映画監督に思い巡らし、語り合うのは何とも楽しいし、有意義な事。
映画好き以外にはチンプンカンプンでも、ミュージシャンや小説家・漫画家なんかに置き換えたら納得?
とか、言いつつも、更に映画踏み込んで楽しみたくなった場合、映画監督の作家性云々に囚われ過ぎると、それが鑑賞の足枷になる事も有り得る。
時に作品単体を、そんな鎖から切り離して、愛でたいし、語りたい。
知識は感覚を鈍らす。世界に没頭出来んのだ。
そんな事に想い馳せてたこの四ヶ月でありました。
いよいよ、元町映画館でのアンゲロプロス追悼上映もこれで終わりか…永遠に辿り着けない場所であって欲しかった。