KOTOKO | Electronic Dolphin Eats Noise

Electronic Dolphin Eats Noise

空論上の九龍城

塚本晋也監督の『ヴィタール』のエンディングに当時活動を休止していたCoccoが新曲(「blue bird」)を提供したって報が入って来た時には、その奇妙な共振に眩暈がしたものだった・・・
http://www.kotoko-movie.com/
その後『Inspired Movies』(Coccoの楽曲をモティーフに様々なクリエイターが映像を撮り、後に震災救援企画の作品集としてリリースされた)を経て、遂に真正面から二人が組んだ映画が生まれた。

『KOTOKO』は通常の映画体験とは別次元の興奮と混乱を味わわせてくれる。
それはもう体感と言うレベルで。

最初、Coccoサイドとも言えそうな程の前・後半と、まんま塚本サイドな中盤とでのガラリと変貌する映画の温度に、これはCoccoと塚本監督の双方のコンセプトを折半する形での歪さなのかな?とも思ってた。
一般的イメージでのCocco像と実像であるあっちゃん(Coccoは自らをそう呼ぶ)のギャップを縫う様に紡がれたかの様な前・後半パート。子育て時の母親の混乱する内面をそのまま映像として見せつけられる様は、子育ての経験すらない私なんかにはまさに驚愕の連続で、あの我が子に近付いて来る見知らぬ他人の恐怖の描写とかさ・・・
一方でこれは塚本監督からのCoccoへのラヴレターか?とまで勘繰ってしまう程の中盤・・・あそこまで血塗れなのに、あんなにも愛と笑いに溢れたラヴシーンを他に知らない。

が、しかし、観てから暫しの時が経ち、随分印象は変わった。
前・後半と中盤のあの変貌はそれこそ塚本監督演じる田中との邂逅が琴子の内面に齎した変化そのものなのでは?
実際あれぐらいに世界は変貌するのだろう。
他人の表層と、こちらが嗅ぎ取ってしまう他者の内面(決して実際の内面ではないものの)が別人格として分裂して見えてしまう感覚が、田中との出会いで統合するのは最たるものだね。
キリキリとした表情から、次第に女性としての柔らかさと色香を醸し出し行く琴子=Coccoはただただ美しい・・・

一方で不意に出会った琴子に眠っていた魂を揺さ振られ、全身全霊で愛を注ぎ込み、やがて本来の自分に辿り着く田中もまた愛おしい。
あんな男を演じれるのは矢張り塚本監督を於いて他ならない。

やがて、それは当然の帰結なのか、田中は去り、再び琴子はいよいよまで追い詰められる。
この辺が観ている側に付き突けて来る想いは痛い。
前半や中盤の“痛さ”とは全く違った次元の切実さで。
それは世界へ向けてのWhy?であり、自らへ向けてのナイフであり、母性愛そのものでもある気がする。
いや、もう、これは永遠の課題なんだろうな。

こんな世界で子育てをせねばならぬ総ての母親達の背中をそっと押してあげるかの様なあのエンディング。辿り着けたCoccoと塚本監督にお疲れ様と言いたい。



しかし、Coccoって歌って躍れて絵も描けて、文才はあるは、料理も巧い。美人だし。
な、上、演技も出来ちゃう。
一般的イメージでは不器用な天才シンガーみたいに受け止められてる気もするけどさ、兎に角贅沢な才能なのである。
今作でもその魂からの歌や踊り、稀有なる美的感覚は存分に堪能出来ます。
※因みに今作の音楽は塚本映画であるのに石川忠さんではない!
それと、何かと共通点ある『ダンサー・イン・ザ・ダーク』との比較は興味深いかもね。



さて、塚本監督は劇中と同じく果たしてCoccoの元を去ってしまうのであろうか?それとも・・・